法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ホメオパシーの民族浄化

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100921/1285087851

id:Midas バカ勢ぞろい, ああ勘違い ↓お前らのやってる事は明治になって近代化を唱えるバカどもがユタやノロを始めとする沖縄のシャーマニズムを弾圧したのと同じ。恥を知れ。今すぐ民族浄化をやめよ/↑君の言ってるのは「人殺し」の理屈 id:Lhankor_Mhy 2010/09/22

すでに同じはてなブックマークページでid:Lhankor_Mhy氏とid:tikani_nemuru_M氏が批判しているが、専門教育の場に偽科学が持ち込まれたから問題になっているのだ。科学を装わず、偽薬以上の効果がないシャーマニズムとして自らを位置づけるならば、ホメオパシーがこれほど危険視されることはなかっただろう。
何度も報道で取り上げられている新生児事件も、ビタミンKを与えるという通常医療をホメオパシー側が否定したからこそ起きたのだ。もちろん、その通常医療否定が事件を起こした助産師だけの過ちでないことも報道されている。
アピタル(医療・健康・介護):朝日新聞デジタル

 社団法人・日本助産師会は7日、加盟助産所の1割弱にあたる36施設で民間療法のホメオパシーが行われ、新生児に必要なビタミンK2を与えない例があったと発表した。山口では5月、ビタミンK2を与えられずに新生児が死亡したとして訴訟も起きており、厚生労働省は同日、同会会長あてに注意を求める通知を出した。

 新生児は、ビタミンKが欠乏すると頭蓋(ずがい)内出血を起こすため、ビタミンK2シロップを与えるよう、厚労省研究班が指針を出している。しかし、山口市助産師が、K2シロップの代わりにホメオパシー療法で使うレメディーという砂糖玉を与え、生後2カ月の女児を死亡させたとして、損害賠償を求められた。

 この訴訟を受け、助産師会は7月下旬から8月まで、全国433の助産所を対象に過去2年以内に、K2シロップを与えず、レメディーを与えていたケースがなかったか調査した。お産をしていない19施設をのぞく、414施設から回答を得た。

 この結果、レメディーしか使わなかったケースがあったとする助産所は36施設に上った。複数の助産師が所属する助産所もあり、ホメオパシーを実践している助産師は36人を大きく上回る可能性が高いという。レメディーを与えた理由として、助産師がK2シロップとレメディーの両方を説明し、妊産婦がレメディーのみを選んだり、妊産婦からどうしてもと頼まれたりしたからと説明している。

 助産師会は「ホメオパシーに傾倒するあまり、通常医療を否定するのは問題」として、助産所にK2シロップを使うよう指導した。今後は研修などを通じ、通常の医療に代わるものとして、ホメオパシーを使用したり勧めたりしないよう会員に周知徹底するという。今回の調査時点では、全助産所でK2シロップを使っていたという。

 厚労省医政局も同日、新生児には、K2シロップが有効として、適切にシロップを使い、望まない妊産婦には、そのリスクを十分に説明することが重要とする通知を出した。

 助産師は全国に約2万8千人。主に助産師が立ち会うお産は、年間約4万5千件で、「自然なお産ブーム」で年々、増えている。

 日本助産師会の岡本喜代子専務理事は「K2シロップは当然与えるものと認識していたので、36という数字は多いと思う。会員には、お産の現場でホメオパシーを使うことがないよう指導する。また、助産院のホームページなどでホメオパシーについて記載しないよう求めた」と話している。(岡崎明子)

ホメオパシーをふくむ「代替医療」という存在は、通常医療を代替しようとするためにそう呼ばれているはずだ。そう考えれば「代替」という言葉は、通常医療を除外し「民族浄化」する欲望もおりこんだ表現のはずだろう。
助産師会のコメントにもあるように、通常医療を「否定」する存在であるためホメオパシーが強く批判される現状がある。かつてホメオパシーが他の代替医療と比べて安全安価だった時代には、皮肉としてだがナイチンゲールが「さしたる害とはならない」*1と表現したという逸話がある。
もしも代替医療が医療でないことを自認しており、責任と判断能力のある個人が自身の意思で選択するならば、全否定しない代替医療批判者も少なくないだろうと思う。


私は「民族浄化」という比喩表現自体を問題視しない。しかし現状において異なる体系を全否定し排除し、つまりは「弾圧」し「民族浄化」しているのは誰だろうか。
さらに皮肉るなら、「弾圧」と書いたのと同じ指先で「やめよ」と書き、異なる言論を抑圧しようとしているのは誰だろうか。