法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

たぶん『ストライクウィッチーズ』は本質的に戦争を描けない

まず最初に断っておくと、あまり熱心に追っているアニメではなく、各種媒体の情報はほとんど目を通していないし、あらすじは知りつつも実際に見ていない回も多い。ゆえに、これから書くことは物語全体が描いている構図について自問自答した、暫定的な推測と読んでほしい。
今は二期の第2話まで見ているが、見続けられる保証はないし、もちろん物語の進展によっては主張を取り消すかもしれない。


さて、「戦争」であるか否かを問題とする場合に考えるべきは、ここでの「戦争」とは何かということ。
少女が敵に抗する唯一の方策という世界観であれば戦争ではないのか、魔法を設定に導入すれば戦争ではないのか、敵が人間でなければ戦争ではないのか。戦争と見なす基準を変えることでいかようにも主張できる。とはいえ、いくらか共有されやすい基準はあるだろう。その一つとして、敵がネウロイという非人間的な存在であり、目的も判然としないという設定がある。
つまり主人公達の戦いは災害救助や動物駆除に近いものであって、外交で終結されるような戦争ではない、というところが『ストライクウィッチーズ』に対する一般的な見方だろう。


しかし前シリーズにおいて主人公の宮藤芳佳ネウロイとの平和的な意思疎通を信じ、対話をこころみた。対するネウロイも人間を模した姿となったり、対話可能な存在であるかのようなそぶりを見せた。ネウロイの行動には、過剰防衛を思わせる描写がある。
一期全体として対話は失敗に終わったと思っていたのだが、制作会社を代えた二期冒頭において主人公とは異なる立場の人間もネウロイとの対話をこころみる描写があった。つまり、この作品は異生物による一方的な侵略ではなく、交渉可能な知性との衝突へ物語を転換しつつある。
SFというジャンルでは相手が知的存在でさえあれば、人間と同格に見なすことは難しくない。一見すると、災害や獣害ではなく、外交の失敗としての戦争を描きつつあるかのように見える。しかし本当にそうだろうか。


少なくとも一期における宮藤はネウロイと対話することで平和がえられると信じていたようだ。二期冒頭で対話をこころみた人間も、少ない台詞から判断するに対話による戦闘終結を目的としていたらしい。いや、二期冒頭のそれが組織だった行動であったことから見て、独断専行のきらいがあった宮藤による接触より、ある意味では平和への信仰が増しているといえる。
相手に知性があって対話ができれば、戦いが終わる、問題が解決する。それはつまりネウロイによる攻撃が天災や獣害ではない替わりに、人災であるということではないだろうか。
一般論として戦争は人災の側面も持つだろうが、ここでは別物として考えよう。人災と違って戦争には、戦っている勢力*1の一方もしくは双方が、自ら望んで相手を攻撃する背景が想定しうるからだ。


さらに考えを進めると、天災もしくは人災の類いとして戦災が描かれるということは、感情移入の対象が常に被害者、もしくは加害の責任を負わなくてもすむ立場になるということだ。人を守るために防戦する主人公側は元より被害者であるし、望まぬ戦いを行ったネウロイとて加害した主体ではなくなる。
第二次世界大戦のエースを模したキャラクターが戦う物語だというのに……もしくは、だからこそ戦争の責任は消失する。それも、敵が人間ではないという初期設定だけではなく、現在までの展開が示す物語の結末によって、二重に。
アニメは今のところ、欲望に忠実だったがため毒をはらんでいた元作品を、デザインのインパクトを損なわない程度で徹底的に漂白し、尖ったところのない「娯楽」に仕立て直していると感じる。それは職人芸と感じるほどだ*2


いずれにせよ『ストライクウィッチーズ』が戦争を今後の展開で描くのならば、物語の行く先は一つしかないだろう。それはネウロイが知的生命体であるがゆえにこそ戦わなければならなくなる、という展開だ。
むろん、現状の二期が一期の反復であること、そして二期で完結するとすれば残り10話しかないことを考えれば、その可能性は低いだろう。

*1:その勢力内に様々な考えの違いがあることは、ここでは深く踏み込まない。とりあえずは傾向の話と受け取ってもらいたい。ただ一つ注意するなら、作品が志向する結論とは異なる見解も描写することで、物語の世界観が広がるということはある。

*2:http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100722/1279796874でmattune氏が指摘するように、八谷賢一助監督の天然な作風というところが現実かもしれない。確かに『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』は、当時のロボットOVAらしい大張正己の存在を除き、物語の規模に比して薄味の作りだったと思う。