法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

暗い森まで続く地続きの道

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NaokiTakahashi 「地続き」論理はまずい。何が地続きとみなすかが恣意的でありうる。思想と切り分けてこそ、暴行事件は暴行事件として対処できる/そして思想・言論批判はそれとしてやればいい/在特会でない排外主義者もいるわけで 2009/10/03

「地続き」という表現は、そのまま高評価と繋がりある要素を全て肯定するべきという話ではない。もちろん、問題と繋がりある要素を全て批判したり処罰したりするべきという話でもない。少なくとも、私の使用している意味合いでは。
たとえば、危険な場所へ繋がっている道があるとしよう。その道には、危険性を示す標識なり注意書きなりが設置されるかもしれない。もっと安全な道があるなら、危険な道は封鎖されるかもしれない。
どちらにしても、道が危険な場所へ繋がっていることを指摘すること自体には、問題はないだろう。そして、危険な場所へ繋がっていることを指摘する言説が、必ずしも道を封鎖するべきという主張と同一ではないことも想像できるはず。


全くの的外れかもしれないが、ふと感じたことを比喩で表現してみる。
NaokiTakahashi氏は、地続きでないものを人間が繋げてしまっているという考えを出発点にしているのではないだろうか。
私は、地続きと考えられるからこそ*1、人間が意識的に線を引かなくてはならない、という考えから始める。
もちろん、あくまで比喩表現にすぎない。そもそも、ここでいう「地続き」自体が人間の内面で作られるものだから、どちらが正しいと決められる話でもない。あくまで問題意識の入り口が違うのではないかという問いかけであって、もし実際に違っていても衝突する意見とは限らない。
実際にNaokiTakahashi氏のコメント全体を読むと、表現の選択以外に意見が異なっているわけではないように思う。

*1:私が地続きと考えているとは限らない。むしろ、他人が地続きと主張していることに対し、私が反応することが多い気がしている。基本的に受け手である私と、フィクションの送り手であるNaokiTakahashi氏の違いがあるのかもしれない。