法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

本格的な返事は後日

id:NaokiTakahashi氏へ、いくつか。
まとめよう、あつまろう - Togetter

>魔王だけでなく個々の場面で知的優位に立つ登場人物の描写が、いわば名探偵の描写として巧みか、ということ。<そもそもなんで魔王が名探偵? というかコズミックが暴いたのは、後期クイーン問題が、苦悩する名探偵萌えに過ぎないってこと。魔王萌えに過ぎないってんなら名探偵もそれに過ぎない。
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:14:24

「苦悩する名探偵萌えに過ぎない」という観点ならば、ずっと以前から二階堂黎人氏が似たようなことを主張しているので、私には『コズミック』が決定打になったとは全く思えない。要するに問題を気にしない、というだけの話でしかない*1。方法論の一つではあるが、唯一無二の解答ではないだろう。
後期クイーン問題が「苦悩する名探偵萌えに過ぎない」という指摘は、問題をとりあげた法月倫太郎作品についてだけならば、同感できる部分もある。しかし、名探偵のキャラクターを立てない作品*2でも後期クイーン問題に繋がる要素を見せることもある。
「苦悩する名探偵萌えに過ぎない」という観点でしかとらえられないのであれば、その問題に対するミステリの進化は止まってしまう。だから『コズミック』はせいぜい通過点の一つであって、問題の終点ではないと私は主張してきたし、主張していくつもり。
なお、「名探偵」という言葉を用いているのは、登場人物が超越性をもたされる例として。そもそも「まおゆう」に対して後期クイーン問題を引いてきたこと自体が一種の比喩なのだから、ここで今さら問われても困る。

で、別に注意深く読まなくても、俺がほとんどこの作品においては魔王萌えとしか言ってないのは分かると思うんだ。それを「過ぎない」ってのはバカにしすぎ。
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:16:51

私は「説得するには粗すぎる論理を」「萌えで誤魔化している」*3と書いたが、「魔王萌えに過ぎない」という主張はNaokiTakahashi氏の要約でしかない。
問題にしているのは説得描写の巧拙に関わる範囲において。そもそも私は魔王に萌えることが困難だった。

>表現が現実や思想の一部を切り取ったものである以上< いきなりダメ。現実や思想を切り取ったもの、としてしか読めない、という宣言だろこれ。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100524/1274718898
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:20:30

それならば、後期クイーン問題も「苦悩する名探偵萌えに過ぎない」以外の読みがあるのだと理解してほしいもの。
念のため、上記引用文で私が意図した「思想」とは「苦悩する名探偵萌え」のようなものもふくむ。コンテンポラリーアートの一種などでは表現者の意図が全く介在しえないかのように見える作品もあるだろうが、作品として成り立っているものとして選別され、受容される過程においては現実なり思想なりを土台にされざるをえないという考えは、即座に切り捨てられるものとは思えない。

不明瞭で恣意的な線引きになるのは明らか。ただの好き嫌いを心理的に正当化してるだけ>しかし政治的な正しさへの配慮を行っている程度を相対的に評価することくらい、できるはずだろうとも考える*3。エクスキューズの巧拙といわれればそれまでかもしれないが。
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:21:45

そういう意見は、あらゆる作品評価を無効化しようとする魔法の言葉でしかない。そもそも線引きするつもりはないが、少なくともエクスキューズとされる描写の有無くらいは客観的に論じることもできるだろう*4
逆にNaokiTakahashi氏へ質問するが、政治的な正しさに注意を払い、表現に慎重さを期す作者は、無駄なことに努力する愚か者だと思うのだろうか。その努力を私は評価にくわえたいし、政治的な正しさと娯楽性が繋がっている作品も少なからずあると思うのだが*5

で、アバターなんだけど、ここの「ベストアンサー」とまおゆうを政治的メッセージの側面で絶賛してる人と、どのくらい違うのか僕には分かりませんねw http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237943787
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:28:39

一部の絶賛に通底する部分はあると思えるが、下記ほど現実にふみこんだひどい発言は「まおゆう」絶賛者にもいなかったと思う。

日本は謝るのが文化、人にぶつかったら謝るのが礼儀。アメリカでは謝ったら賠償請求される。謝れないんです。日本は過去の戦争を謝罪してしまったせいで中国や韓国に賠償金を払ってます。当時は植民地支配は合法だったから謝る必要はないのに、日本人は謝罪が好きだから相手につけこまれます。

政治的に正しくないと批判されている作品例として『アバター』を出した私としては、「どのくらい違うのか僕には分かりません」とNaokiTakahashi氏が評した時点で、自論の正しさに確信をいだいたのだが……どうも私が『アバター』を出した文脈について読み違えられているような気がする。

作者が、エンタメだからどちらが善であるかという判断は下さないようにしたと表向きでは言ってるデスノート、実際は後半のキラは相当に邪悪な道化として描かれてると思うんだけど、それでもキラは正しかったよな、って言ってる人はいる。どんなメッセージを作品から読み取るかは読者側の要因も強い。
NaokiTakahashi
2010-05-25 14:45:14

ちなみに、最終巻というか副読本のインタビューで、キラは悪だから最終的にああいう結末を迎えたと、原作者が明言していたはず。


なお、タイトルに書いた本格的な返事は「まおゆう」自体の感想エントリで代替するつもりなので、今回の返事より簡単な内容になるかもしれない。

*1:あえて知りつつ気にしないという態度が、キャラクターに強度を持たせる可能性はあると思う。

*2:たとえば貫井徳郎『プリズム』等もある。貫井作品では他に、作者が自覚的に後期クイーン問題を題材とした短編もあるらしいが、未読。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100520/1274413793

*4:それが物語にどのような効果を与えているかという点で争われるだろうが、そういう論争がなされるからこそ「不明瞭で恣意的な線引き」にはなりえない。

*5:政治的な正しさと娯楽性が両立できていないと感じることも、当然のように多い。これ自体が学問のテーマとなっているようだが。