法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

伊藤博文はテロリスト

これは陰謀論でもトンデモでもない、真面目な話。最近に安重根へ言及した*1こともあって、テロリストとしての伊藤博文について色々と考えている。
たとえば、番組改変期の2時間特別ドラマとして、伊藤博文の生涯を追ってみると、けっこう面白いものができると思うのだ。


一例として、ハルビン駅から物語を導入してみてはどうだろうか。駅ならば人数が少なくても群集を描写でき、制作費が安くても相応に豪華な雰囲気が出ることだろう。
そして群集に紛れた安重根が凶弾をはなつ。倒れる伊藤博文と、捕縛される安重根
生死の境界を一時さまよう伊藤博文の記憶は、走馬灯のように過去へさかのぼる。それと並行して、安重根独立運動に挫折し、暗殺を行うにいたった経緯を描く。過去へ向かう物語と、未来へ向かう物語。そしてドラマの結末で、二人の姿がテロリストとして重なりあう……


さて、こんなことを考えるようになったきっかけについても話そう。
8月13日・20日合併号の『週刊文春』が、『3000人読者が選んだニッポンの「偉い人」116人』と題して、読者アンケートの集計結果を発表していた。
げんなりするような企画だが*2、読者アンケートを元にした記事が面白い。集計結果を肴に、半藤一利福田和也、ノンフィクションライターの梯久美子が座談会し、読者アンケートに様々な疑問符をつけていたのだ。よく考えるとマッチポンプみたいなものだが、歴史オタクの観点から一般に流布された偉人イメージを斬っており、なかなか面白い。
まず3位の坂本竜馬からして、自分からは何もしていないと評価。数少ない成果も、他人が出した案によるものと指摘。むしろ具体的な成果がほとんどないからこそ、自由にイメージをかぶせられて人気が高いのではないかとも指摘されていた。なるほど、歴史小説や時代小説の題材に使いやすい歴史人物の代表といえよう。
13位の杉原千畝も人気が高いが、他の歴史人物と考え合わせ、海外から評価されている人物だから人気が集まっているのではないかと指摘されている。確かに、そういう面もあるかもしれない。昔から映像化されることが多く、もともと有名な人物ではあると思うが。
36位につけた白州次郎への批判は厳しい。マッカーサーがプレゼントを粗雑に扱ったエピソードも、残された記録から虚構と断じたりしている。そもそも流行したこと自体が不思議な人物だから、座談会でも当惑の声がもれていた。NHKドラマで白州次郎が題材になったことが座談会で指摘されてるものの、これはNHKが白州ブームに便乗したのであり、それ以前から流行していた理由は不明瞭なまま。
そうして数々の歴史人物人気を批判した記事の終わりに、座談した面々が好きな歴史人物を上げた。梯氏は台湾総督の後藤新平、福田氏は伊藤博文という、げんなりするような面子。アンケートに入った中から選んでいるらしいとはいえ、読者を批判できる選択なのか。対して半藤氏は、以前から好きと公言している勝海舟を上げた。幕府を裏切った勝海舟福沢諭吉が批判したことに言及し、福沢諭吉を尊敬する人は勝海舟を批判していることを半藤氏自身が指摘しており、興味深い。
さてここで前後するが、勝海舟が政治力で平和的に場をおさめた前振りとしてなのか、半藤氏は伊藤博文を批判していた。近代日本の礎を築いた希代の政治家と福田氏は高評価しているが、若いころに暗殺を行っていた者が初代総理大臣となったことは、近代国家の始まりとして問題だったのではないか、と……


なお念のため、半藤氏が指摘する暗殺とは、伊藤博文が維新志士だった時代に行っていたものだ。安重根伊藤博文暗殺の動機として主張した孝明天皇暗殺は、あくまで当時に存在した噂にすぎない。
しかし孝明天皇暗殺説は別としても、若いころに暗殺に手を染めて一国の初代首相までのぼりつめた者が、独立運動が挫折した結果として行われた暗殺で命を落とした歴史は、考えてみると皮肉で興味深い。また、暗殺者と暗殺対象者とに共通性を見出す物語も有名だ。
理想に燃えた二人の男が、それぞれの大義によってテロリズムへ走る結末へ、物語が収束していく。同じ手段をとりながら、あらゆる意味で対立する二人……
そのように伊藤博文の数奇な生涯という形で物語化してみれば、案外と刺激的で面白い作品になるかもしれないと思ったわけだ。むしろ刺激的すぎて、あらゆる方面から抗議が来るかもしれないが、きちんと作れば歴史の複雑性をとらえることもできるのではないかと思う。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090930/1254322442

*2:政権交代の少し前には、日本の歴代首相で最も批判されるべきは誰かという同様の読者アンケート企画を立てていた。ちなみに、最も批判票がなかったのは石橋湛山