法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』第1話 鋼の錬金術師

5年ほど前、同放送局の同時間帯*1、同制作会社でTVアニメ化されたマンガ『鋼の錬金術師』の再アニメ化。主要スタッフは、声優とアニメーター菅野宏紀を除いて、ほとんど前回と異なっている。監督とシリーズ構成も入江泰浩と大野木寛へ交替。
以前のTVアニメを手がけたのは、水島精二監督と會川昇シリーズ構成。その際に原作は序盤しか描かれておらず*2、原作終盤の展開をアニメで先んじて明かすわけにもいかないため、中盤からアニメ独自の展開へ突入して完結した*3。原作の陰惨な面を生々しく強調しつつ、隙のない映像化がされ*4、最後の敵が異常に矮小だったことはともかく*5、おおむね満足できる最終回を迎えた。本当に伝えたいことをあえて台詞にするという水島監督の演出作法が『機動戦士ガンダム00』に通じていたり、いつもシニカルな印象の強い會川脚本で冷笑主義批判がなされていたり、今も印象に残っている点が多い。
同スタッフによる後日談の映画『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』も、TVサイズに近い画面作りこそ散見されたが、TVアニメの描写を全て回収しつつ第二次世界大戦前夜を描いた伝奇作品として単独で楽しめる佳作だった。
対して今回は、物語が進展した原作を忠実にアニメ化するという話だが。


初回は、全くアニメ独自の展開。アニメオリジナルの敵キャラクターを縦横無尽に暴れさせ、手早く主要キャラクターを舞台へ集合させる。首都が破壊され大総統の命が狙われる娯楽活劇を展開しながら、主人公の特徴や目的、世界観まで説明してみせた。敵キャラクターはさんざん暴れた後にあっさり死亡し、被害は甚大でも因縁を残さない程度。原作に忠実という今後の展開に悪影響をおよぼすこともないだろう。
前回のアニメ化も前半までは原作から引いた描写が多く、それと同じ展開を長々とくりかえしてもしかたなく、悪くない導入方法だったと思う。主人公の衝撃的で陰惨な姿から導入した前アニメに対し、アクション性と群像劇を重視した導入という違いが、新たな始まりを印象づけていて悪くない。
一国の首都が氷に覆われる大仰な絵作り自体も、水の様々なフォルムや動きが作画される快楽も、楽しめるものだった。


そしてアニメ独自な展開の中にも、原作を忠実にするらしい雰囲気は感じられた。
具体的にはキャラクターデザインをふくむ絵作り。
何度も使われる平面的なデフォルメ絵は、原作の味わいに近い。前アニメでもデフォルメは多用されたが、きわめてコミカルな場面がほとんどで、デフォルメ自体も立体を意識したものが多かった。
一瞬だけ描かれる回想場面も、原作のトレースといっていほど構図から流血の具合まで似せている。前アニメ化では、固まりかけた血液と切断面で、原作より生々しく感じさせた。
そして最も特徴的に感じた差違が、キャラクターデザインだ。前アニメのキャラクターは瞳孔や虹彩を描き込むことが多く、目元の皺や影の入れ方で肉感性を感じさせた。そして今アニメの予告映像が発表された時、作画が悪いという評がネットで散見されたが*6、実は今回のシンプルなデザインの方が原作には近い。丸い顔の輪郭も、原作の絵柄をアニメデザインへ落とし込んだものだ。


やや余談めくが、『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話の作画議論で散見された、原作絵を基調としたキャラクターデザインに遵守するべきという主張は、必ずしも正しくないと今回でも思った。原作絵に近づけて作画への批判が飛び出したのだから。
http://sukebeningen.blog46.fc2.com/blog-entry-174.html

まず大原則として「アニメーターはひとかどのクリエーターではない」って事。
リスキーな作家になる事を放棄して彼らは安定してる「職人絵描きなアニメーター」になった。その安定の代償として「個性を殺して原作(マンガ)の絵をひたすら忠実にコピーするロボット」となるのが決まりだ。

作画をふくむ映像の作り全般への批判が、より激しく印象的だった例が、つい数年前にもある。『ドラえもん』リニューアル時の評価だ。キャラクターの体型や瞳のハイライトを原作画風へ近づけており、特にしずちゃんの変化が顕著だった。背景美術設定でも、部屋の襖を扉へ変更したり、畳のへりを省略していた。しかし以前のアニメを見続けていた層からは不評意見が散見された。
実は『鉄腕バーディー』の原作者も、コマによって線の少ない絵を描くことが特徴的だ。別作品ではあるが、鼻どころか口まで省略した下記コマは、『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話より極端といえるかもしれない*7

こうした主役級キャラクターがやりとりする場面でも、少し引いたコマでは平気で目鼻を省く。
もちろん、原作絵を尊重することに価値がないと主張する気はない。ただし少なくとも、単純に原作を基本とすることだけが実際の作画評価へ繋がるわけではないということはいえるだろう。「作画崩壊」という言葉が用いられる際には、もっと多くの文脈が背景にあることは間違いない。


最後に、OPは映像も音楽も全く文句ないが、いかにも少年向けアニメらしい曲調のEDが絵本のような映像とミスマッチ。映像それ自体は良かったし、最後の仕掛けなど印象的ではあったのだが。

*1:ただし放送局の編成が変更されたため、土曜日18時から日曜日17時に移っている。

*2:アニメ夜話』で會川昇氏が語った事情によると、最初に企画が持ち込まれたのは、単行本2巻が出ていただけの段階。

*3:たとえば敵であるホムンクルスは半分近くが原作未登場だったため、性格も外見も異なっている。シリーズ構成の関係から、ホムンクルスの作り手といった根本設定も異なる。

*4:特に後半からの作画はTVアニメトップクラスだった。

*5:會川脚本における最大の敵は、驚くほど矮小な動機しか持っていないことが常で、予想はしていたことだが。その意味では映画のラスボスも矮小きわまりなかった。

*6:むろん本編放送後の作画評価は高い。

*7:機動警察パトレイバー』20巻12頁より。大コマであることを示すため、頁最上部から引用した。