法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

オタクならではのシニシズム克服可能性

山本弘『神は沈黙せず』のネタバレ注意。


メカAG氏による以下の『神は沈黙せず』批判には、明示された描写との齟齬が多い*1
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またストーリーの構造から言えば、結局主人公の最終到達点は「神がいようがいまいが自分には関係ない」となるのだけれど、これって中盤で主人公が批判している宗教家の考えと同じだと思うんだよね。主人公はこの宗教家に対して激しく神が実在する証拠を要求する。宗教家は終いには「神が本当に実在するかどうかは我々の宗教にとって重要ではない」と言い出す。主人公はこれを聞いて「宗教にとって神こそが何よりも重要のはずなのに、それがどうでもいいとは何事か」と唖然とする。(この辺うる覚えなのであしからず)。

これが単行本120頁前後で主人公が様々な人々へ宗教観をインタビューしていく場面だとすると、明らかな誤読だ。そもそもが神の実在を信じている人々に質問をしていく場面なのだから、実在性を疑う発言が出るはずはない*2
主人公が一人の牧師を問い詰めても、「神を信じるものは救われるのです」*3と繰り返すだけと描写されている。注記しているような「うる覚え」どころか、正反対の解釈だ。
そして、もし「神はいてもいなくてもいい」と登場人物が主張する場面が別にあったとしても、初期においてと、終盤においてとでは、同じ主張でも異なった強度で読み取るべきだろう。なぜなら、『神は沈黙せず』は中盤において、神と思われる超越的存在の実在を全人類が知る場面があるのだから。
また、反論できない結果として「神はいてもいなくてもいい」と主張することと、作中の考察で「神はいてもいなくてもいい」を明らかにすることも、全く意味合いが異なる。
倒叙ミステリというジャンルでは最初から真犯人は明らかだ。問題はいかにして真犯人を自白させ、あるいは特定してみせるか。冒頭において容疑者を犯人かと疑うことと、推理を経た結末で容疑者を犯人と名指しすることとが同じ意味を持つといえない。

宗教の本質はその時代時代の社会規範や経験則の集大成であり、現代の法律や科学が担っている部分にある。オカルト的要素は味付けに過ぎないわけで、その意味で「神の実在性」もさして重要なことではないわけだ。まあ宗教家にストレートにこれを言うと激怒するが、彼らの言うことをまとめれば結局そういうこと(「神は宗教にとって本質ではない」)にならざるを得ない。言い方を変えれば、社会規範と経験則の集合体を「神」と擬人化しているのだから、大事なのは集合体の方であって、擬人化された偶像ではない。大切なのは集合体である「教え」の方であって、偶像の方は実在していようがいまいがかまわないわけだ。

これは、単行本495頁で『神は沈黙せず』の主人公自身が主張していることとほとんど同じだ。

言ってみれば、人間自身が神だったのよ。確かに『神』という概念は幻だったかもしれないけど、それを生み出した人間の想い、正しく生きたいと願う人間の想いはまぎれもなく本物だし、ちゃんと機能してきた。つまり人間には神なしでも前を遂行する能力があるってことだと思うの

メカAG氏が見落としていたか、あるいは作者の主張を自分の主張かのように誤って記憶してしまったのか。
また、作中で問題視されるのは、非合理的な「社会規範」や「経験則」そして「神の実在性」を優先するあまり人間を傷つける場合に対してだ。しかも批判の矛先は宗教に限らず、差別や偏見のような、ある種の宗教的「社会規範」全般である。


最後に前後するが、メカAG氏による最大の誤読が以下だ。

中盤で出てくる宗教家も、主人公の最終到達点もどちらも「神はいてもいなくてもいい」だ。両者が同じことを言っているのに山本は気づいていないのかもしれない。山本は宗教を超常現象やオカルトという側面からしか見ていないからこういうことになる。

先述した中盤描写の記憶違いだけでなく、結末における主人公描写まで読み落としている。
『神が沈黙せず』終盤で兄から問いただされ、主人公が自分の目的を認識する場面がある*4

「この乱れた世界を見ても? 殺し合ったり憎み合ったりしている人間たちを見ても? 人は神なしで正しく生きることが可能だと、お前は信じるのか?」
「ええ」私は強くうなずいた。「私は信じる」
「それがお前の信仰か?」
「ええ」
 兄に指摘されて、私はようやく気がついた。そう、これは信仰だ。理由なんかない。人は正しく生きる能力があり、正しく生きるべきである――そう信じたいから信じるのだ。なぜなら、それが唯一の希望だから。
 私はついに信仰を見つけたのだ。

このやりとりは、作者自身の解説によると、小説執筆の最終盤になって、意図せず登場人物がしゃべったのだという*5。この無意識的な描写がなければ、メカAG氏の批判に妥当性があったかもしれないが……


この物語において、主人公は「神」というフィクションに対し、自らの信念というフィクションでもって抗する。
この小説を発表した作者も、リアルとフィクションを等価値と主張するような小説を書き続けていく。元からメタフィクションを好んでいた傾向もあるが、より先鋭化したフィクション礼賛小説を発表し始める。人の想いによって妖怪が生まれるという設定のTRPG妖魔夜行』に主要メンバーとして参加した時期と、『神は沈黙せず』執筆時期が重なったこともあるだろう。
大きな物語が死んだ後、いかにもオタク的な作品の、ともすれば稚拙ととらえられかねない理想を賛美し、それを現実は目指すべきだと主張する作品には、少なくとも悪しき相対主義の持つシニカルさはない。
その主張にはまだ危ういものを感じなくもないが、フィクションを楽しむことで逆にシニシズム克服を模索する例として紹介しておく。

*1:主題とは関係ない細部でも、「神が何かを知るために作ったシミュレータ」というような誤解をしている。

*2:頁数の多い小説なので、他に記述されているのを見つけられていない可能性が全くないとはいわないが。

*3:127頁。

*4:496頁

*5:http://homepage3.nifty.com/hirorin/kamiwaatogaki.htm