hagakurekakugo氏は下記エントリーで、田嶋陽子氏が吉田証言を擁護が誤りと指摘している。
今日のたかじんのそこまで言って委員会の論評家に点数を付けよう - 解決不能
「で、田島陽子は吉田清治の証言を未だに信じていることで、勉強不足を露呈。」……この指摘そのものは基本的に正しい。しかし、田嶋氏の発言には少し違う見方も可能ではないか、と思える点もあるのだ。
朝日新聞が一面で報道した吉田清治の手記が、時期や位置に編集が加えられ、歴史資料としては使えないものであることは明らかになっている。
しかし軍人の手記には、記憶違いや誤魔化しだけでなく、出版社の要請による編集が加えられることがままある。
軍事板常見問題の「特攻隊の遺書には捏造がある.」に対して「「捏造」は無いが,出版された特攻隊員の遺書が収録時点で改竄された例は,枚挙の暇がないほど多い」と答えが返っている。そう、これはちょうど従軍慰安婦問題の吉田証言の位置づけにも関わる。吉田証言は少なくとも朝日が「捏造」したのではなく、手記に編集が加わっている事を見抜けなかった資料批判の不備にすぎない。
もちろん吉田証言は朝日新聞が捏造したのではない。手記を出版したのは全く別の会社であり、朝日新聞はそれを見つけて報じたにすぎず、批判されるとしても史料批判の甘さについてくらいだろう。一面に報じたといっても、ほんの数回にすぎず、内容的にも吉田手記の存在や内容を伝えただけであり、誤報と呼ぶことすら微妙である*1。
そう、皮肉な話だが吉田証言の“編集”に朝日新聞は全く関わっておらず、編集されたことが明白な状態だったわけでもない*2。つまり、広義の誤報であったかもしれないが、狭義の誤報ではなかった。
そして、手記が編集されたと確認されたのは時期と場所に関してだけ。吉田氏は暴力的な強制連行そのものが嘘と答えたわけではない。兵士の手記に編集が加えられることは珍しくないが、当時は大きな話題となっていない事件を自ら行ったと捏造することは考えにくいだろう。ゆえに、強制連行証言の「核」となる事象はあったのではないか、と推定されている。吉田証言もまた、広義の嘘ではあったかもしれないが、狭義の嘘ではなかったといえる*3。