法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『V/H/Sネクストレベル』

失踪した息子をさがす依頼を受けて、とある家へ入った男女ふたり。男が他の部屋を調べるあいだ、女は大量に残されたVHSテープをチェックしていく。その録画された映像には、さまざまな恐怖が映しだされていた……


『V/H/Sシンドローム*1につづいて、POV内POVで各エピソードを描くオムニバスホラー。

主観視点で表現されたPOVというジャンルに加え、悲劇で残された映像という語り口のファウンドフッテージというジャンルでもある。
前作がPOVの形式をさまざまな方向性で試みていたことに対して、今作はホラーの定番ジャンルをPOVの形式で語りなおしたといったところ。
前作とは独立した物語ということもあって、定番の内容を手軽に、少し変わった視点で楽しめる娯楽作品としてよくできている。


サイモン・バレット監督*2の『Tape 49』は、外枠にあたる息子探しのエピソード。
前作の外枠『TAPE56』とほとんど同じ構造だが、特に意味もなく不良青年たちがVHSテープを見るだけの前作と違って、失踪の手がかりを調べる意味があるし、女性ひとりでモニターに注目するシチュエーションでサスペンス性が高まっている。
VHSテープを視聴することが次なる恐怖につながるのも、ベタだからこそわかりやすくて、外枠部分のストーリーとしては悪くない。


アダム・ウィンガード監督*3の『Phase I Clinical Trials』は、カメラ付き義眼を埋めこんだ男が、不思議な人影を見るようになる。
古典的なゴーストストーリーにPOVを組みあわせ。主人公の住む広い屋敷のあちこちに幽霊が出没するサスペンスを展開。義眼がカメラという設定で、危機の最中に撮影しつづけることに説明がつくし、カメラの特殊性から幽霊が見えることの説得力も増す。


エドゥアルド・サンチェス監督*4とグレッグ・ヘイル監督*5の『A Ride in the Park』は、公園で余暇を楽しんでいた人々が襲われるところが、自転車ヘルメットにつけたGoProで撮影される。
説明もなくゾンビが出現するという、ゾンビ映画の一幕を切りとったようなつくりだが、これがけっこう好印象。ゾンビの発生源がはっきりしないことは定番だし、唐突だからこそ出現したゾンビにすぐ対処しようとしない人々にやきもきさせられる。
ヘルメットに機材をつけた状況設定で撮影が自然につづくだけにとどまらず、主人公が早々にゾンビになって人々を追いかける主観映像となるのも、目新しく楽しい。舞台は深い森の公園の一角だけだが、パーティーしている人々や駐車場などで情景に変化をつけているところもうまい。
ゾンビと成り果てながら、どこか人間性を感じさせる主人公の顛末もドラマとしてまとまっている。


ギャレス・ヒュー・エヴァンス監督*6とティモ・ジャイアント監督*7による『Safe Haven』は、新興宗教団体へ取材に行ったドキュメンタリースタッフが、恐怖の儀式を目撃する。
他の作品が偶然に素人が撮影したPOVであるのに対して、これだけは複数の撮影機材をつかったドキュメンタリー形式。カメラの視点を切りかえながら、恐怖の蔓延を目撃していく。
穏健に見える団体が少しずつ狂気を見せていく恐怖から、儀式の発動によってオカルトホラーへ転調。ドキュメンタリースタッフ間のコミュニケーション不足や、異なる世界観で生きている信者たちのずれっぷりも意外と細やかで、だからこそそれらを吹き飛ばす超展開が楽しい。
後半からは流血もたっぷり、VFXの見せ場もたっぷり。ひとつひとつの恐怖描写は定番でも、短編につめこむことで刺激いっぱいの娯楽作品として完成している。


ジェイソン・アイズナー監督*8の『Slumber Party Alien Abduction』は、飼い犬にカメラをつけたりして遊んでいた子供たちが、襲来してきた恐怖を目撃する。
POV形式に動物ゆえの低い視点、素早い移動力という新味を加えつつ、内容は異星人の襲来という古典的なSFホラー。あえて新味を出さないように、異星人のデザインはグレイ型。
他のエピソードと比べて恐怖演出は抑えめで、子供たちだけの休暇の思い出的な、どこか牧歌的なジュブナイルの雰囲気がある。異星人の初登場が水遊びしている池のなかというのも、恐ろしさよりファンタジックに感じられた。
シャマラン監督の『サイン』に比べてポンコツ感がなく、エイリアンホラーに定番なグロテスクさもない。刺激は薄いが短編なのでダレないし、こういう上品な作品があってもいい。

*1:『V/H/Sシンドローム』 - 法華狼の日記

*2:今作の製作総指揮。フィルモグラフィーを見るとほとんど脚本が専業のようで、『サプライズ』『ザ・ゲスト』等に参加している。

*3:前作の製作総指揮。ホラーの定番を少しずらしてエンタメ性を増した『サプライズ』『ザ・ゲスト』の監督で注目され、2020年のゴジラキングコングの対決映画の監督に内定。

*4:ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を監督して、インターネットなどを巻きこんだメディア展開をおこない、POV形式のフェイクドキュメンタリーホラーを復権した立役者。時流に乗った思わせぶりなだけの一発屋かと思われたが、怪異を堂々と見せるPOVホラー『イグジスツ 遭遇』は意外と完成度が高く、健在をアピールした。

*5:ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の製作であり、以降もエドゥアルド・サンチェス監督を支える立場にいるようだ。

*6:ギャレス・エバンス監督という表記が有名か。インドネシアの警察アクション映画『ザ・レイド』で注目を集めた。

*7:やはりインドネシアの映画監督で、食人ホラー『マカブル 永遠の血族』等が代表作か。

*8:『グラインド・ハウス』のフェイク予告編でグランプリをとり、それを自ら長編映画化した『ホーボー・ウィズ・ショットガン』が代表作。

『帰ってきたヒトラー』

チョビ髭の男が地面に倒れていた。かつての独裁者にそっくりのその男を使って、TV局をクビになったばかりの若者が映画を撮ろうと動き出し、注目を集めていく……


2012年に出版された小説を原作とした2015年のドイツ映画。自殺したヒトラー現代社会にそのまま転移した設定の風刺作品。

独裁者本人なのに独裁者を演じる偽者としてあつかわれる設定から、阿刀田高の短編『ナポレオン狂』を連想したりもした。

ナポレオン狂 (講談社文庫)

ナポレオン狂 (講談社文庫)


原作小説は未読だが、映画という表現媒体を活用した「映画映画」として興味深い作品ではあった。
映画内で映画を撮影しているという形式で、独裁者のコピーに大衆が親しんでいく。映画の設定ではヒトラーは本物だが、映画内映画の設定は現実と同じ。映画内の映画撮影で登場する一般市民は、少なからず現実の一般市民を利用している。
そうして入れ子細工となった虚構と現実が混じりあい、極論を風刺と解釈して受け入れることの危うさを描いていく。登場人物の多くが歴史上のヒトラーを危険と認識しながら、それを演じる人物と思えば好意的に受けいれる。ヒトラー本人なのにヒトラーを揶揄しているかのように解釈されたり、あえて極端な意見で議論を深めるかのように評価されていく。
ヒトラーは優しくふるまうことができるし、現代社会にあわせた建前をよそおう。うるさい犬を射殺したりもするが、それは独裁者の特質というより、半世紀前の人間らしい動物観と感じられた。その射殺で初めてヒトラーに嫌悪感をおぼえる観客は、そもそもヒトラーが大量虐殺をおこなったことを本当に理解できていたのか。それが問われる。


ここで娯楽としての感想をいえば、正直いって難のある作品ではある。
なんといっても前半の、若者がドキュメンタリーを作るパートが長くてつまらない。もともとTV局をクビになるくらいの能力しかなく、たまたま見つけたヒトラーという素材をつれまわすだけ。撮影機材も貧弱なので、絵になる情景が出てこない。売りのはずの一般市民とのふれあいも、どれも短い映像ですまされるので、状況設定ほどの危うさを感じない。
現実の映像をコラージュした編集も、さほど出来がいいわけではない。ドキュメンタリーとしてつまらないだけでなく、フェイクドキュメンタリーと呼べるほど劇中撮影を徹底しているわけでもない。頭で考えたようなギャグも笑えず、楽しめたのは『ヒトラー 〜最期の12日間〜*1のパロディくらいだ。
しかし、そうして油断しているところに恐怖がむきだしになって襲いかかってくる。


すでに日本では、かつて極右を演じる芸人としてサブカルチャーで受け入れられていた鳥肌実が、いまや現実の極右団体と連携するようになっている現実がある。
芸人 鳥肌実氏の現在に関するツイート集 - Togetter
ネタの危険性をわかっているつもりで、あえて批判するためにオモチャにしているうちにベタになっていく。この映画を成立させている基盤を、この映画は身を切るように批判していく。
映画がクライマックスにいたると、ヒトラーを演じることが冗談ではすまされないことだと指摘する人物も出てくる。その批判によって決定的な断絶があらわになる。
だが、気づいた時にはいつも手遅れだ。虚構は現実と完全に一体化して、映画でしか表現できない衝撃とともにエンディングをむかえる……

『タイタンの戦い』

同名の1981年の映画をレジェンダリーでリメイクした2010年版。勇者ペルセウスメデューサを倒し、クラーケンを退治するまでをVFX満載で描写する。

ギリシャ時代の街並みを怪獣のように豪快に破壊していくクラーケンが、いかにもレジェンダリー大作といった感じで楽しい。他にも大サソリとの戦いやメデューサとの対決など見せ場は多く、2時間に満たない娯楽活劇でも充実している。気になったのは、立体映像化を意識しすぎて不自然にオブジェクトが飛び出てくる描写が多いことくらい。


さて物語の本筋は、海に捨てられていたペルセウスが成長して、仲間を集めながら神々による難題を解いていく旅路……なのだが、ギリシャ神話の神と男のクズっぷりが何よりも印象に残ってしまった。
少しは現代的にマイルドにしているかと思いきや、メデューサはポセイドンにレイプされてるし、ペルセウスも母がゼウスにレイプされて産まれたことが明言される。そしてレイプ被害者が穢れた存在としてあつかわれ、メデューサは守護してもらおうとした処女神によって怪物にさせられ、ペルセウスは父王によって母ごと海に沈められる。
それでゼウスが人間を愛している神に位置づけられ、ペルセウスの庇護者を気取って目の前にあらわれるのだから唖然とさせられる。そこでペルセウスは何よりもまず父親を殴り飛ばすべきだろう、と思ってしまった。
ちなみに映画のペルセウスの結婚相手はギリシャ神話と違って、助けたアンドロメダではなく、旅路をともにしたイオというくらいの改変はある。関係性の相似から考えると、いっそ半神ペルセウスが半蛇メデューサをめとるくらいの改変があってもいいな、などとも感じた。メデューサのデザインも、ハリーハウゼン人形アニメで完全に怪物として描いた1981年版と違って、人間時に神に見初められただけの艶やかで美しい造形の3DCGで描かれていたことだし。

『遊星からの物体X ファーストコンタクト』

南極で不思議な信号を受信した観測隊が向かったところ、クレバスに落ちてしまう。その底には、異文明の巨大構造物があった。そして異星人が閉じこめられたとおぼしき氷塊を基地へと運びこむが……


1982年の『遊星からの物体X*1の前日譚として作られた2011年の米国映画。

原作をアレンジした前作の謎めいた発端が、どのように起きたかを描く。そこで遺物の発見からクリーチャーの再生、擬態するクリーチャーによる疑心暗鬼まで、時系列にそって展開。
前作が男性しか登場せず登場人物の重要度を弱めたことが、誰がクリーチャーなのかをわからなくする疑心暗鬼を強調していたことに対して、今作は女性も登場して終盤まで生き残る「ファイナルガール」と呼ばれるパターンをそのままなぞっている。
良くも悪くもオーソドックスな閉鎖環境ホラーのパターンにとどまったことで、前作よりも原作に忠実な構成となっていて、原作を最初に映画化した『遊星よりの物体X*2に近しい印象もある。
しかしクリーチャー表現を更新した前作ほど突出していなくても、基地から宇宙船まで舞台を広げてアクションホラー描写は充実しており、ひとつの娯楽としては順当に楽しめた。悪い作品ではない。

『遊星からの物体X』

南極基地で、逃げる犬を執拗に攻撃するヘリコプターがあった。そのヘリコプターは墜落し、犬は米国の基地に保護されるが、やがて惨劇が始まる……


ジョン・カーペンター監督による1982年の米国映画。地球生物に擬態した「物体」が異形化していく描写が、『寄生獣』などの多くの作品に影響を与えた。

約十年ほど前、下記のような一行感想を書いたが、最近に鑑賞しなおして考えを改めた。
ホラー映画の簡素な感想99 - 法華狼の日記

確かに終盤のクリーチャー大活躍は良いが、そこにいたる展開がけっこうダレダレ。

導入からして、説明もなく人間が犬を執拗に追いかける描写がテンポ良くて謎めいているし、雪に閉ざされた基地には静謐な雰囲気がある。
安っぽい小道具を無造作に使うカーペンター監督には珍しく、舞台を限定したことで画面全体をコントロールできていて、余剰のない画面に高級感がある。基地のセットだけを徹底的に作りこみ、怪物はアニマトロニクス表現を徹底して、HDリマスターした映像を高画質で見ても粗を感じさせない。
実際はコマ撮りアニメーションも使う予定だったが、ほとんどのカットが削除され未公開にされた。かつては残念に思っていたが、全体の統一感を守るためには正しい判断だったと今では感じる。
中盤に犬が正体を現すのも記憶より早いし、そこまでも危ない存在をそれと知らず無造作にあつかう描写がサスペンスフル。はっきり真相を知った状態で視聴してこそ恐怖がもりあがる。
こっそり「物体」が手作りしていた宇宙船の安っぽさだけはカーペンター監督らしいと感じたが、そこだけハリボテ感があからさまなことで、逆に人類とは異なる文明らしい異化効果が生まれている。