少女すずが幼いころ、水害から人命を守ろうとして母が亡くなった。それ以来、うまくコミュニケーションができず歌もうたえなくなったすずだが、仮想空間で違う姿になることで、ふたたび歌えるようになった。コンプレックスのソバカスも、仮想現実のアバターではチャームポイントになった。
仮想空間ですずが演じるアバターのベルは歌も姿も絶賛され、大規模なイベントが開催されるくらいに人気を集める。しかしある日、竜と呼ばれるアバターにベルのイベントが阻害された。竜は仮想現実内でさまざまなバトルをしかけて勝利し、賛否両論の対象になっていたが……
2021年に公開された長編アニメ映画。細田守監督が脚本もつとめたオリジナル作品で、細田作品のために設立されたスタジオ地図が制作し、アニー賞の複数ノミネートなどのそこそこ高い評価を受けた。
映像作品としては絵も音も充実していた。現実と仮想を差別化するためか、3DCGモブが普及した現在では珍しく、現実のモブはできるかぎり手描きで動かそうとしているし、仮想空間のモブも多種多様なオブジェクトが浮遊して見ているだけで楽しい。デジタル世界という題材からは、過去作品『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の焼き直しだった『サマーウォーズ』のさらなる焼き直しになりそうな懸念をもっていたが、技術の進展にともない、ぐっと目新しいビジュアルを見せてくれた。
しかもCGガイドで正確なパースが普及した近年でも、ここまで劇場作品らしさがある完璧なレイアウトはなかなかない。シネマスコープサイズでキャラクターを過剰に動かさず、現実世界ではカメラワークもほとんどつけないからこそ、人物の面積や配置の見事さがよくわかる。情景に必要な奥行きと圧迫感のつかいわけもアニメでは珍しい。コンテマンとしての監督の技量の高さをひさびさに感じた。
物語にしても、やはり設定などで自己模倣になるかと思ったが、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を薄く引きのばして成功失敗を多数のキャラクターごとにふりわけて不快感へのフォローが消えた『サマーウォーズ』よりずっと良かった。多人数にフォーカスを当てることが実はうまくない細田監督が、群衆のなかで孤立する個人個人にフォーカスを当てることで、複雑なストーリーラインをうまくさばいている。
『美女と野獣』のようなプロットに*1、『キャットフィッシュ』のようなネット世情を組みこんだシンプルさがわかりやすくていい。善玉と悪玉のふりわけが極端で、ネット世論の動きも一方から一方で極端に動きすぎている感じはあるが、さまざまなサイバーカスケードを念頭に置いて見ると不自然というほどではない。
ヘテロセクシャリズムは過剰というか、たとえば竜のオリジンの性別は女性でも良かったと思わなくもないが*2、さまざまな容貌の中年老年女性が主人公を応援する構図は過去にない。
音楽や配信により自己実現に成功した主人公という物語は、『夜のクラゲは泳げない』*3等の2024年前後のTVアニメ作品群に先行しており、その意味でいま改めて見る意味も感じられた。
ただ、クライマックスで主人公が現実でも竜を助けにいく展開は、話の勢いが止まってしまった問題がある。主人公は仮想現実をとおして救済するだけで、現実での救済は短く省略しても良かっただろう。おそらく、もっと利口な対処もできただろうという批判もできるが、そこは主人公たちが考えをめぐらす時間がないことを思えば致命的な問題ではない。どちらかといえば物語にも映像にも勢いがないため、観客が冷静になってツッコミどころを感じてしまうことが失敗だ。つじつまが合っていないというより、半端につじつまを合わせようとしたのが良くない。
同じ描写でも、たとえば『映画クレヨンしんちゃん』なら劇画タッチで叫びながら移動することで主人公の衝動を維持しただろうし、過去の細田守なら同じ姿勢の主人公を同ポジでテンポ良く別の交通手段に切りかえたりして瞬間的な移動のように感じさせたかもしれない。現実世界ですぐ会わせることにこだわらなければ、まずタブレットなどで主人公と竜を対話させてくれる現地の人をつのって、そして面会交流にたちあって竜の父に暴力をふるわれる展開に描写を分割することもできただろう。
あと、主人公の容貌ギミックは美醜については効果的と思わなかった。現実と仮想でデザインラインを変えているところまでは効果的と思えたが、現実世界の主人公が作中で評されるほど平凡には見えない。ソバカスもさほど目立たない。俳優の制約がないアニメなら、揶揄せずに美醜を誇張することはできるはずだ。
