法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー…ですか!?』

TVアニメ『ハートキャッチプリキュア!』放映中の2010年に公開された劇場版。東映生え抜きの松本理恵監督に、シリーズ構成の山田隆司脚本、濃い絵柄で知られる上野ケン作画監督という布陣で制作された。
映画ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー…ですか!? 公式サイト 東映アニメーション
まずパリ凱旋門での戦闘をとおしてプリキュアの能力と性格をテンポ良く説明。やがてパリで少年と出会った主人公は、いにしえに封印されていた敵と初代プリキュアのドラマについて知っていく。そしてパリを縦断するように戦いながら、孤独感にひきさかれていた敵の心情を受け止め、擬似的な父子関係を肯定していった。
一見してシンプルなキャラクターで激しいアクションを展開しつつ、戦う相手の鬱屈をほりさげて肯定するという作品フォーマットを、70分の尺に過不足なくおさめていた。TV作品の劇場版として求められるものをそなえつつ、きちんと独立した映画作品としても楽しめる。そのおかげか、米国業界誌において子供向けTV映画部門の上位3作品としてノミネートされた*1


さて、もちろん作画は良いが*2、もともとTV本編もクオリティが高かったため、特段の驚きはなかった。個人的に楽しめたのは、TVで使えない表現が多用されていたところだ。
特に興味深かったのが3DCGモブのなじませかただ。手描きアニメ作品において群集を3DCGで描く手法は、商業映画ではディズニーが『ノートルダムの鐘』あたりで先鞭をつけていた。日本では東映アニメーションが初期にとりいれていた。しかし手描きキャラクターと3DCGキャラクターを同じ画面に同居させつつなじませることは難しい。フルアニメーションのディズニー作品と違って日本の作品はほとんどリミテッドアニメなので、動きの質からして3DCGと異なっていて違和感を生みやすい。
まず東映アニメーション細田守監督PV『SUPERFLAT MONOGRAM』*3ではモブの足元だけ映すことで解決。細田監督はTVアニメ『明日のナージャ』第26話でも3DCGモブを使用していたが、この時は夕陽のさす色調で不自然さを軽減し、さらに奥の群衆へピントを合わせずぼかしてなじませていた。最近では、マッドハウス荒木哲郎監督が『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』において3DCGモブの機械的な動作を逆用してゾンビ描写に活用したり、PAワークスの『true tears』が不自然でないカットのみ選んで3DCGモブを使っていた*4
そしてこの映画では3DCGモブを豆粒のような遠景でのみ活用し、なおかつ近景のメインキャラクターに視線がいくようレイアウトを構成していた。もともとTV第1話からして近景と遠景のキャラクターを同一画面におさめており*5、その手法の延長ではある。この映画ではくわえて老若男女のモデリングを用意し、歩くだけではなく上半身を動かしたり体の向きを変えるだけのモーションもちりばめていた。個々のモデルに注目すれば単純なつくりであっても、風景の全体として個々人が異なる考えで動いている街角が表現されていた。動きが少ないのでリミテッドアニメになじみやすいし、おそらく複数の歩行モーションを用意するより手間が少なくてすむ。


もちろん映像作品として良かったのは、技術面だけではない。表現映像での説明を重視するだけでなく、物語の都合で不自然な言動をキャラクターにさせなかった。あくまで幼児向け作品でありつつ、観客が理解し理解させてくれると信頼している。
たとえば主人公と敵が会話できる理由を、過去の旅行を回想する場面に日本がうつる描写で暗に説明。ミラクルライトをスクリーンに向けて応援するというシリーズ慣例の観客参加パートも、できるかぎり物語になじむ展開として描いており、映像ソフトで視聴しても不自然さをおぼえなかった。


フランスの首都パリという舞台設定も地味にうまい。
日本の街や異世界を舞台としたTV本編に比べて、ちゃんと映画ならではの華やかで新鮮な風景が楽しめつつ、異世界を新しく設定したり観客に説明する手間を省略できて、ちょっと大人びたリアルな物語を展開できる。それに主人公まわりの少人数しか事件にたちあわないから、たとえ映画での出来事がTV本編に反映されなくても、パラレルワールドあつかいする必要がない。
エッフェル塔凱旋門モンサンミシェルといった有名スポットも、資料から引いただけの一枚絵ではなく奥行きある舞台として描かれている。だからTVより激しいアクションでも混乱することなく、位置関係を利用した殺陣と、ダイナミックなカメラワークで楽しめた。


キャラクター面では、公開当時ひさしぶりに来海姉がサブレギュラーとして意味があったのも良かった。ファッションモデルという設定をいかして、主人公たちをパリへ連れてくるきっかけにするだけでなく、若くても仕事をしている自立した人間としてドラマにもからむ。キュアマリンの姉かつキュアムーンライトの親友として、世代の異なるプリキュアの仲立ちとして重要だっただけに、プリキュア同士の関係が深まるTV後半では出番が減少する一方だったのだ。
逆にキュアサンシャインは使いどころが難しかったようだ。普段は男装して少年らしくふるまっているが、内面は可愛いものが大好きな少女で、それでいて格闘家としての自分も肯定する。そういう社会規範の逸脱を肯定するキャラクターとして、苦しんでいる少年の視野を広げてあげる重要な役割があったのだが……役割を超えた独立した人格までは描かれなかった。複雑な設定と心情を説明するだけで出番が終わってしまったのだ。うまく設定を省略するべきだったかというと、あまりにキャラクターデザインと密接すぎて、それも困難だったのだろう。

*1:http://corp.toei-anim.co.jp/press/2011/12/_2012_kidscreen_award.php

*2:ただ、『プリキュア』はTV放映と同時進行で作っていることもあって、劇場版シリーズの作画は必ずしも良いものではない傾向にある。

*3:現在、ルイヴィトンが公式にYOUTUBEで公開している。http://www.youtube.com/watch?v=rIhnnQH_GdQ

*4:そのことをふくむ感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120918/1348063890

*5:その手法についての言及をふくむ感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100207/1266032587