法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『バリバラ特集ドラマ「悪夢」』

『バリバラ』とは、Eテレで放映されている「障害者情報バラエティー」。その番組企画として初めてドラマが制作された。
NHK バリバラ|悪夢
主演するのは、実際に統合失調症患者として入院経験もあるハウス加賀谷。義足のアーティスト片山真理*1が地下バーの女主人を演じ、バリバラレギュラーとして盲目の落語家桂福点カンニング竹山も出演する。
初放映されたのは2014年12月5日で、企画の意欲性や完成度で話題になった。
バリバラ「悪夢」レビュー 〜障害者ドラマを超えた何か〜 - Togetter
そのドラマを54分版から67分版へと拡大し、制作後のスタッフによるアフタートークを加えて、2月28日15時から再放映された。


今回はじめて視聴したが、ていねいに楽しめる作品として完成されており、物語として期待にこたえる内容だった。
娯楽作品として共感しやすい導入から、「健常者」と「障害者」の枠組みを懐疑していき、境界線を無数に引こうとする社会のありかたを見つめつづける。
あくまでフィクションであるし、そうと気づけば展開も古典的だが、ていねいに伏線をはって自然に物語を展開していく。硬軟さまざまな見せ場も散りばめられ、飽きずに楽しめた。


まず主人公が幻覚を見る冒頭からして、ホラー作品として完成されている。
ありふれた路地に、さびれかけたアーケード街に、白塗りの男たちがうごめく。中途半端に特撮を使わず、舞踏集団「大駱駝艦」を起用して、実在感ある恐怖をつくりあげた。堂々と異形の存在を画面に出す演出は、『呪怨』『輪廻』の清水崇作品を思わせる*2。引いた構図にそっけなく映す場面は、黒沢清作品にも似ている。
主人公は幻覚と理解しているが、ただ自分は普通なのだと自分に言い聞かせることしかできない。まともに新聞配達をこなせず、仕事を辞めさせられてしまう。めげずに履歴書をもって面接を受けていくが、すぐに仕事場を変わる職歴が足を引っぱる。超常現象などではない、社会の身近にある、逃れられない恐怖だ。
たしかに幻覚や不安は統合失調症のためだ。しかし周囲に自分をあわせる困難や、社会に居場所のない孤独や、良い仕事につけない苦悩は、きっと多くの「健常者」も共感できるはず。社会のつくる弱者を描いた、普遍的な導入になっている。


主人公は街を逃げまどい、「健常者お断り」な地下バー「悪夢」に迷いこむ。
店員も客も障碍者ばかりな空間は、たしかに現在の地上波ドラマでは珍しいが、フリークスを描いた作品として斬新というほどではない。おそらく制作者も自覚しており、だからこそ物珍しさにたよらず、展開における重要な描写をいくつも入れている。
事実、地下バーは刺激的な位置づけではなく、息抜きできる場面となっている。主人公とバーテンダーのやりとりはドラマで初めて笑える場面だし、性的なサービスシーンやプロレス興行のようなアクションも展開される。効果音や構図や照明で奇をてらってないから、しつこいギャグやエロスもあざとくない。
もちろん、障碍者の空間だけが安らげる場所という逆説であるし、違う障碍者を主人公が嫌悪したり見くだしたりする差別描写も意味がある。しかし、そうした距離感は物語が進むにつれて縮められ、新しい友人ができる。わかりやすい成長と和解のドラマだ。
女主人と主人公の向きあう場面が、特に印象深い。女主人は両足の義足を外し、この姿のほうが楽なのだという。おそらく、体と心の両方が、健常者を演じるより楽になるというダブルミーニングだ。さらに女主人は主人公に抱きかかえてもらい、自分たちが「人間」であると語りかける。大柄なハウス加賀谷に抱かれた片山真理は、ちいさな赤子のようだ。しばしば障碍者に投影される聖母のイメージ、それが逆転したビジュアル。


そして主人公は社会にカミングアウトしていくが、うまくいかない。
履歴書に統合失調症と明記しても雇ってもらえず、以前の就職活動と違いがない。母親の紹介で叔父の料理店につとめるようになったが、失敗ばかりでまともな仕事がもらえなくなる。しかも叔父は障碍者雇用枠で主人公を雇っただけだった。
主人公は症状が再発していき、ふたたび部屋に閉じこもっていく。部屋にやってきてはげましてくれる幼い子供も、主人公の助けにはならない。電話をかけてくる母親の優しい言葉は、むしろ主人公を追いつめていく。ここも障碍者にとどまらない、社会の問題を広くとらえている。


一方、盲目の男が主人公にわたしていた果実が、ドラマを新しい展開へ転がしていく。
その果実を食べると障害がなくなるかわり、それまで生きてきた記憶がなくなる。このドラマで数少ない、明らかにフィクションの設定だ*3。その果実を食べるか、食べないか。地下バーの客ひとりひとりが質問され、思い思いに回答していく。回答者の名前と障害がテロップで説明され、ここだけドキュメンタリーのようだ。
そして追いつめられた主人公は果実を口にしようとして、ひとつの事実に直面する。サスペンスとしては古典的だし、見ながら予想はできたが、それゆえ娯楽作品としてのまとまりはいい。それにドラマとしても、時の流れの残酷さや、主人公の孤独を浮きあがらせる意味があった。
オチ自体も古典的だが、それまで描かなかった現実の別面を新しく見せて、あるべき社会を問いかける。これはこれで悪い結末ではない。


全体として、うまく共感させながら、ひとりひとりの個性も描いている。障碍者を社会的な弱者と位置づけつつ、憐憫ではなく共感をもって描ききったのが良いのだろう。
娯楽としても中だるみせず、全員の芝居が達者で、美術や照明も隙がない。視聴側の先入観に助けられた部分もあるだろうが、純粋に単発TVドラマとしてよくできていた。

*1:すでに終了しているそうだが、昨年末から開いていた展覧会の紹介ページがこちら。http://tocana.jp/2015/02/post_5734.html

*2:自己模倣で笑わせるようになった最近の清水崇監督より、ちゃんと真面目に怖がらせているのがいい。

*3:ドラマ後の制作者フリートークによると、とある養護施設で実際におこなわれている設問から着想したのだという。