法華狼の日記

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Wikipediaの「吉見義明」項目は、出典を誤読した記述が多い その2

前回は、主に日本人慰安婦にまつわる事実誤認をとりあげた。吉見教授が日本人を被害者から除外しているかのような虚偽が書かれていたのだ。
Wikipediaの「吉見義明」項目は、出典を誤読した記述が多い - 法華狼の日記
この誤認は現在の版でも残っているが、どれほど良心的な編集者ががんばっても、現在のWikipediaで修正されることは難しいだろう。


しかし桜内文城元議員に対する名誉棄損裁判が地裁で請求棄却され、吉見教授に対する新たな誹謗中傷がなされる可能性が懸念される。
慰安婦問題の研究書をめぐる「名誉毀損訴訟」 元国会議員を訴えた大学教授が敗訴 - 弁護士ドットコム

「論評」によって吉見氏の名誉が毀損されたことは認めつつも、「原告に対する人格攻撃に及ぶものとはいえない」として、違法性はないと判断した。判決文には、次のように記されている。

「被告が原告の著作を読んだこともないのに原告の著作を批判した点において、原告に対する配慮を欠くものと言わざるを得ないものの、他方で、司会者の発言にその場で直ちに対応するために口頭で述べた短いコメントにすぎないことや本件発言の内容、経緯などからすれば、未だ原告に対する人格攻撃に及ぶものとまではいえず、意見ないし論評の域を逸脱したものということはできない」

おそらくWikipediaが参照される機会も増えると思われるので、新たな誤認をひとつ指摘しておく。


誤認に気づいたのは、たまたま見かけた下記のツイートによる。

このような主張を吉見教授の文章で読んだ記憶がなかったが、同じ認識が複数あるのであれば元ネタがあるに違いない。
そこで検索すると、Wikipediaの「吉見義明」項目の、「研究アプローチ」という小見出しの記述が見つかった。
吉見義明 - Wikipedia

吉見は日本の慰安婦に関する論争においては、文書史料などからその証明を行おうとするオーソドックスな歴史学のアプローチを天皇制国家による公文書は信頼ができないと批判し、被害者の「証言」(オーラルヒストリー)から証明を行おうとするアプローチを行っている[4][5]。

4.^ アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 (韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会)口頭弁論 1997年12月15日13時30分より、東京地方裁判所713法廷 鑑定証人尋問[2] "オーラルヒストリーについては、欧米では学会もある。60年代から70年代に研究が進み、オーラルヒストリー協会ができていった。いまでは歴史学になくてはならない存在になっている。文字、記録をもたない、弱者、少数者、女性など、記録を残すことができなかった人たちの証言、オーラルヒストリーは必要不可欠だ。欧米では確固たる地位をもっている。"

5.^ [3] "アジア太平洋戦争中の大本営発表は公文書であるが、日米間の戦争の「現実」を明らかにしようとする課題からみれば、史料的価値は一部をのぞいてほとんどない(公文書だから信用できる訳ではないということをよく示す有名な実例である)。しかし、天皇制国家の情報操作の解明という課題や、当時の民衆が日米戦争の帰すうをどう捉えていたかという民衆の戦争認識の実態解明という視点からは重要な史料になりえるのである。"

これは注記の引用文や出典とてらしあわせるだけで誤認とわかるが、引用したふたつのツイートのように吉見教授を批判できる根拠のようにつかわれはじめている。


一読しておかしいのが、出典となっている[5]の引用文が、どう読んでも「天皇制国家による公文書は信頼ができない」という意味をもっていないこと。あくまで信頼できない公文書の有名な実例として「大本営発表」を特定しているのであり、あらゆる公文書の信用性を全否定しているわけではない。
ここを実際に出典*1で読むと、さまざまな視点で史料から歴史像を再構成して事実に肉迫するという、歴史学の方法論を語っている。だからこの[5]の解釈も“天皇制国家による公文書は信頼ができない”ではなく、“大本営発表ですら天皇制国家を解明する史料としてつかえる”とするべきだ。
もちろん再構成する対象は「文書・記録・証言・物証など」*2といった史料になりうる全てだ。だから出典では「強制連行を証明する文書資料(朝鮮にかんしてはアメリカ軍の公文書、戦地・占領地においては元軍人の日記や戦後の回想記、オランダの公文書)はある」*3といった主張もされている。
そもそも[5]は、吉見教授を文書史料至上主義者と批判する上野千鶴子氏への反論であるが、「文書資料だけを信頼できるものと考える歴史家だが、いまどきそんな歴史家はほとんどいないだろう」*4と応じている。これは証言なども資料としてあつかうという意味であり、文書資料を信頼できないと全否定する意味ではない。そしてその吉見教授の立場が、当時すでにオーソドックスな歴史家だったという主張だ。


Wikipediaの履歴を見ると、「研究アプローチ」が追加されたのは2015年5月24日 (日) 09:27版から2015年5月24日 (日) 09:48版にかけて。「青鬼よし」という編集者がおこなっていた。
吉見義明 - Wikipedia

吉見は日本の慰安婦に関する論争においては、被害者の「証言」(オーラルヒストリー)を重視し、文書史料は天皇制国家による公文書であるため信頼ができないと軽視する立場でアプローチをしている[4][5]。

その追加といれかえるように削除された2015年5月24日 (日) 09:27版の記述は、下記のようなものだった。
吉見義明 - Wikipedia

また、慰安婦の強制連行を認める立場の論客の中でも、文書史料などからその証明を行おうとするオーソドックスの歴史学のアプローチを採用する吉見に対して、上野千鶴子などの論者から「公文書史料は支配者側の記録であり、抑圧された『弱者』の側の現実が史料から見出すことはできない」など、研究手法自体について批判がなされ、論争が展開された[30]。

念のため、この記述でも上野氏側の批判によりそいすぎて、日記や証言も資料につかっているという吉見教授の反論をとりこぼしている。
それでも最新版よりはまともな内容であるし、議論もなく吉見教授の立場を正反対にした青鬼よし氏の編集に問題があることはいうまでもない。