法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ホワイトハウス・ダウン』

議会警官ジョンは娘エミリーのホワイトハウス見学に同行していた。ジョンはシークレットサービスへの転身を希望しているがうまくいかず、たまたま出会った大統領にもたしなめられる。そんな時、米国議事堂で大爆発が起きる。それはホワイトハウスを襲撃するための陽動作戦だった……


ローランド・エメリッヒ監督による2013年の米国映画。いかにも『ダイ・ハード』的な閉鎖環境アクションに見えて、外部でも大規模なテロリズムが同時多発する大作映画。

この監督らしい大味なつくりで、スペクタクル映画として映像はそこそこ楽しいものの*1、サスペンスの緊張感はあまりない。


コメディ描写が多いだけならいいのだが、登場人物が無駄にリスクをとる選択が多すぎる。
特に良くないのが主人公親子だ。ハリウッド映画らしく家族優先で権限もないのに危地に飛びこむジョンからして、すでに娘が脱出していれば自分が拘束されて無駄に人質を増やす可能性などを想定もしない。
たとえば建物からは逃げても、後述の映像アップロード描写まで敷地内で葛藤しながら隠れているだけでも、ずっとサスペンスが高まったろうし突入するモチベーションにも共感しやすいだろうに。
同じ対テロアクション映画で比べると、標的の大統領が現場に意味もなく残る映画『エアフォース・ワン』と違って個人の愚行にとどまるが、それでも合理性が弱いことは同じだ。
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能力のある者が子供のためとはいえ利己的な目的でのみ行動して、その説得力を出すための段取りを組んでいないことも違和感しかなかった。同監督の『デイ・アフター・トゥモロー』で主人公父子の個人的な動機に他人を巻きこんだダメさから進歩がない。
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とはいえ、今作はジョンがテロリストと戦うことで事態が解決していくだけでも、娯楽アクションとしての意味はあった。さらに首をかしげるのはエミリーの話の都合にあわせた行動で、明らかにとるべき選択肢を無視して危機におちいっていく。
現代的というにはすでに古い描写かもしれないが*2ホワイトハウス内部で物陰に隠れながらテロリストをスマートホンで撮影するまでは良い。しかし、その映像をインターネットで広く公開する意味がわからない。それで無責任なマスコミから勇気ある少女として報じられテロリストに狙われる原因になってしまう。同じ展開でも、たとえば迷惑系YOUTUBERが自己のチャンネルにだけアップロードする利己性が結果として事態解決の助けになるならまだわかるが、幼いエミリーは最後まで知恵と勇気ある被害者として描かれている。
そもそも、スマートホンがあるのになぜ外部と連絡をとろうとしないのか。そこで警察に電話をかけてテロリストの情報を求められて撮影をする、という段取りがあれば同じ展開でも説得力が違うだろう。そこから警察にわたした映像がマスコミに流出しても、映画の真相から考えて自然な展開になる。
撮影するエミリーの演出もよくない。スマートホンのレンズ部分だけを物陰から出すのではなく、スマートホン全体を物陰から出して画面を見ながら撮影する描写になっているので、なかなか気づかないテロリストが愚かに見えてくるし、さすがにテロリストが気づけばエミリーも愚かに見える。監督が等身大の演出があまりうまくないという印象を、せっかく等身大アクションをがんばっている作品であらためて痛感してしまった。


なお、すべては世界の安定をこばみ実権をにぎろうとする保守派の策謀という真相は、オーソドックスだが悪くないとは思う。オバマ政権時代に公開された時代性を感じさせるし、トランプ政権終焉時の議事堂襲撃を予見していたといえなくもない。
同年公開で酷似ぶりが話題になった映画『エンド・オブ・ホワイトハウス』が、よくできたサスペンスアクションの背景として新興アジア勢力によるテロリズムへの恐怖を描いて、排外主義とつながりかねない危険性を感じたことと比べれば、この点だけは優っているという評価もできるかもしれない。
しかし事件が解決した後、あまりにも能天気に世界が調和にむかっていく結末を見ると、理想を切実に描くための現状の直視が不足しているとも感じられた。約十年後のウクライナ侵略による説得力の低下はさすがにスタッフの責任ではないが……

*1:ただ議事堂爆破の俯瞰シーンの爆炎は大作映画のわりに合成くさくて感心しなかった。遠景の爆破炎上シーンなどは良かったのだが。

*2:十年以上前のTV特撮ドラマ『仮面ライダー龍騎』で、WEBメディアにつとめる主人公がたてこもり事件に遭遇し、携帯電話で写真を撮るエピソードがあった。こちらは犯人に撮影が気づかれる経緯も、携帯電話ならではの説得力があった。