幼少期から仲良く育った不動明と飛鳥了。やがて了は学校のトラブルで不良の指を切り落とすほどブレーキがきかなくなり、明はそれを止められる唯一の存在になった。
ある日のこと、怪物に変わりはてた了の父親を、明は了から見せられる。そして明もまた怪物に寄生されて姿を変え、デーモンでありながら人の意思をもつデビルマンとなった……
『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズの那須博之監督による2004年の日本映画。永井豪による壮大な漫画版を2時間以内に無理矢理まとめ、漫画実写化における邦画の失敗を象徴する作品となった。
映像の質は段違いだが、全体としてアニメ映画『ブレイブストーリー』を思い出す。アクションに迫力がない要因は映像よりも吹替の下手さにある。原作を圧縮するための再構成が不充分なため、登場人物の心情変化を追いづらく、説明や過程が足りずに展開に説得力がない。しかもこちらは吹替だけでなく、俳優初挑戦の主役コンビをはじめとして生身の演技もアクションもひどすぎる。
ただ、いかにもカルト作品らしい困惑をさそう描写はデーモン狩りの巨漢トリオくらい*1。ダイジェスト的にイベントが次々発生するので、特撮映画としては意外と見ていられる。
特にVFXは、同時代の日本映画と比べて健闘している。5年間で3DCG技術全体が底上げされたにしても、同じ約10憶円くらいの制作費だった『Gセイバー』と比べて質も量も満足できる。
『G-SAVIOUR-』 - 法華狼の日記
3DCGで描写されたモビルスーツなどのVFXは現在から見ると厳しいクオリティ。いやリアルタイムで放映版を観た時点でも、ゲームのムービーと大差ない印象だった。おそらく同じ予算で日本の3DCG会社にまかせたほうが良い出来になったと思う。
モーションキャプチャーをつかわず、東映アニメーションらしく手描きアニメーターを呼んで*2、さらにスタントマンの動きを参考にした3DCGの動きは悪くない。打撃の瞬間に荒い絵がオーバーラップする演出も嫌いではない。
明とシレーヌの屋上の会話のように、メイキングを見るまでVFXとわからないシーンもあった。ただのスタジオセットかと思いきや、静止した羽を合成するため俳優もグリーンバック合成していた。
あまり指摘されないが、迷台詞「サタンだからな」の直後に始まる戦争の夜景も、短いながら目を引く。おそらくミニチュアセットにライトやスモークを足しただけだと思うが、カメラワークや空気感が完璧で、動いている映像では実景に見まがうほどだった。
クライマックスのハルマゲドンも、ミニチュアの地下破壊*3と3DCGキャラクターを組みあわせたり、実景をデジタル処理で廃墟化してカメラワークをつけたり、多種多様な手法をつかって現在でも通用する。
一方で問題なのが3DCGの質感の悪さ。同時代と比べてもデジタルっぽく、せっかくのモーションの良さを殺している。しかもその質感で長時間のクローズアップを多用するので、実質以上に悪く見える。下手な造型を長く見せてクオリティに問題が出るのは特殊メイクも同じだ。
意外と3DCGは悪くないのに同時代にVFXの評価が低かったのは、実際はデジタル技術の問題というより、テクスチャ素材などに使う造形物をきちんと作らなかった、あるいは作れなかったためではないだろうか*4。
このようにVFXの不評にはクオリティの低さが気になるまで見せつづける編集の問題もあるだろうが*5、そこもふくめて特撮班より監督に責任がありそうだ。
全体としてアクションとドラマのつながりが悪く、煮えきらない。明とシレーヌの陸空にわたる戦闘は悪くないのに、了の介入でフェードアウトして、顛末は台詞で暗示されただけ*6。アーケード街のワイヤーアクションは日本では珍しい縦の動きで良かったが、そこで人間を銃殺していたのが了だと明が気づき、そのまま再会を喜ぶ展開には感情の動きについていけない。
生身のアクションは全体として説得力がなく、それ自体に問題がある。アーケード街で警察*7に明が抵抗する場面や、明が世話になっている牧村家に悪魔特捜隊がふみこんだ場面など、なぜ発砲しないのかと疑問をおぼえる描写が多い*8。他にも街角で大々的に売られていた銃火器が、脚本では路地裏で拳銃を売る場面だったりして*9、演出段階のアレンジに多くの問題があるようだ。牧村家が暴徒に襲われる場面も、娘をひとりしか襲わないのが謎だ。
もちろん俳優の演技力のなさもアクションの魅力のなさの要因だ。明と了の主演俳優だけでなく、シレーヌを演じる冨永愛も叫び声が不自然かつ迫力がなく、3DCGキャラクターが動くほど浮いていく。声だけでなく、歌手としてダンス経験はありそうなのに動きも悪い。中盤に酒場へ来たデーモンと一般人の戦いは手間をかけているのに迫力がなく、特殊メイクで半デビルマン化した明の動きには重みがまったくない。不良とのケンカなら成立してもデーモンを倒すには説得力がない。
こうしたアクション描写の粗さは、しかしヤンキー同士が抗争をくりひろげる『ビー・バップ・ハイスクール』なら、おそらく問題にならなかったろう。たとえ台詞で舌がまわらず発声に力がなくても、格闘で腰がはいってなくても、いきがっている未成年のケンカにすぎないなら、それはそれで成立するものだ。
そして物語本編は疑問点が多すぎるわけだが、長編を一本の映画にダイジェストした企画そのものは問題ではない気がする。
原作漫画はスケールの大きな長編といっても頁を追加した文庫版ですら5巻におさまる。うまく脇道を削って再構成すれば、一本の長編映画にまとめられなくもないだろう。
上述のアクションで研究を紹介したように、脚本以降に監督がアドリブで追加したディテールがドラマでも説得力をそいでいるが、長大な物語を圧縮する手法が衝突を起こしているのは脚本段階の問題だろう。
序盤では学校描写で明の人間関係に時間をつかい、映画オリジナルの牛久という元不良とヤンキーVシネマのような友情を描いて、そうした人間のいとなみがデーモンによって失われる痛みを強調。同時に、ミーコという明とは別のデビルマンを原作からピックアップして別行動をとらせ、人間社会がデーモンによって崩壊する多視点の群像劇を展開。ここは主人公の周囲から視野を広げていくか、群像劇から主人公の決戦に集約されていくか、どちらかの構成を選ぶべきだった。それぞれ物語を圧縮する手法として効果的だが、同時におこなうことで圧縮効果を打ち消しあっている。
明は牛久と中盤で別離し、了は姿を消してドラマを深められず、以降は牧村家が中心となり、学校やヤンキーは関係なくなったまま映画が終わる。イジメられていたミーコは少年ススム*10を守ることになって各地を逃げまわり、少しずつ戦う決意を育てていくが、描写されなくなった明は終盤まで積極的に社会にかかわらない。
この映画は明が積極的に動かず、了がたびたび姿を消すので、デーモンと人間とデビルマンの対立構図がきちんと描かれない。漫画と違ってデビルマンを組織化しないことは圧縮のためには良いだろうが、かわりにデーモンの立場がよくわからなくなっている。おかげで了がいつから「サタン」だったのかという要点も、きちんと劇中で論じられないまま物語が進み、よくわからない争点で最後の決戦がおこなわれることになってしまった。
そもそも映画序盤の学校描写は、主人公の人間関係を説明するためであっても長すぎる。牧村家での誕生祝いから、そのまま了に飛鳥家へ連れていかれ*11、そこで怪物化した飛鳥父にひきあわされる……という展開なら冒頭10分近く圧縮できるだろう。デビルマンとなった明がいきなり登場したデーモンを殺して苦悩する唐突さは、飛鳥父が完全にデーモン化する描写を追加すればドラマとして成立する*12。誕生祝いの直後であれば、迷台詞「ハッピーバースデー、デビルマン」も唐突さが薄れるだろう。
ついでに本編がダメなのは、純粋に映像の稚拙さもある。それなり以上に予算のついた映画会社の作品とは思えない。
スケジュールが良くなかったのか同じシーンでも天候や時刻が変わるし、人物を真正面や真横から撮影した構図が多くて画面が単調。
会話の説明臭さや演技の過剰さもふくめて、やはり『ビー・バップ・ハイスクール』のようなVシネマでなら許されるかもしれないが……
*1:一般人同士が猜疑心にかられて殺しあっている場面なのに、どう見ても常人ではない存在が一般人をデーモンあつかいして生身で攻撃するという演出としての失敗以前に、悪夢めいた映像なので印象には残る。明らかに一般的ではない俳優が隣人を攻撃するため、一般人同士の衝突に見えない問題は、牧村家を監視するストーカーも同じだが。また、変化した腕を牧村父に見られた明が空を見あげて「あー」と気の抜けた声を出す場面も、その声ばかり困惑されて批判されがちだが、それ以前から違和感がつづいていため、相対的に印象は薄かった。そもそも広い農業試験場でわざわざ肩をよせあう意味がなく、稲刈りするにしては距離が近すぎて動きにくそうで、腕に怪物化の痕跡があるのに袖口から肌がすぐ出る状態にしていることに説得力がない。
*2:作画@wikiにも記載がないが、志田直俊が参加していたりする。志田直俊 - 作画@wiki【11/28更新】 - アットウィキ
*4:たとえば白組がハイレベルなVFXを見せた『ジュブナイル』や『リターナー』といった映画では、小型ロボットや異星人の造形物を作り、3DCGの質感の基礎としつつ、造形物そのものも本編撮影に利用して映像になじませていた。
*5:逆に後述のデーモン警察のように、説明として必要なVFXを削っている問題もある。 実はこのシーン、警官デーモンが正体を現すCGが用意されていたのですが(映画パンフにも載っている)、本編未使用となっています。
たぶん監督が「俳優がイイ表情してくれたのをCGで隠すのは勿体ない。CG無くてもデーモンだって分かるだろ」と判断したんでしょう #全然伝わらなかったよ #実デビTIPS pic.twitter.com/0kfGvj1MV3
*6:シレーヌ戦は漫画版でも魅力的だが、本筋に無関係な女戦士のドラマとして完結している。了の正体の伏線だとしても、映画版では削るべきだった。
*7:実際はデーモンとなった警官の集団らしいが、映像では区別がつかないし、明に発砲しない理由はやはりわからない。
……映像で!!! 説明しろよ!!!!! #実デビTIPS pic.twitter.com/1kPCh6SpiH
*8:後者は研究家が入手した最終稿によると、脚本段階では発砲もふくめて緊張感ある場面だったという。 ここからの一連の流れですが、脚本を読んでから映像を見ると
「こ、こんなスットロい映像になっちゃったの!?」
と驚いてしまいました。
調査研究の結果、逆に評価が下がった1シーンです。 #実デビTIPS pic.twitter.com/SIBozTHfei
*9: 台本ではロシア人や中国人が武器の売人だったのですが、いろいろ差し障りがあったのか映像ではアフリカっぽい感じの人が売人をしています。
なんでそれならセーフだと思ったんだ…… #実デビTIPS pic.twitter.com/ka3ND3HSDW
*10:永井豪の別短編から引用されたキャラクターだが、主演コンビよりも子役なのに演技に安心感があり、普通の家庭が怪物化するホラー演出もまずまず。人類社会がデーモンにのっとられていく設定を印象づけるなら、このエピソードを冒頭にもってきても良かったろう。
*11:学生の了が不良だとしても自動車で学校に乗りつける描写に現実感がない。せっかく明への誕生祝いがバイクなのだから、了も自分のバイクを持っている設定で、ふたりでツーリングする展開で良かったのではないか。好みの問題ではあるが、少しずつ日常が変わっていく恐ろしさを描くなら、決定的な場面までは現実感を残すべきだと思う。移動中に飛鳥父の映像を見る描写は、普通に飛鳥家へついてから普通のモニターで見ればいい。
*12:映画の描写では、飛鳥父は部屋と一体化して巨大化しており、直後に歩いてくるデーモンと同一の個体とは思えない。