法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ゴースト・イン・ザ・シェル』

人体を機械化する技術が発達した近未来。脳以外の全身を機械化した初めての成功例であるキリアン少佐は、公安9課に所属して任務を遂行していた。
ある時期から、少佐を機械化した関係者が次々に暗殺されていく。その犯人クゼは、少佐の存在しないはずの記憶にかかわっていた……


2017年の米国映画。士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』を原案としつつ、先行する各アニメ化作品からも要素を引用している。
ghostshell.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

最初に公開された断片的な予告は時代遅れな安っぽさを感じさせるとして不評だったが、映画全体を見ると意外と成立している。
それぞれ多くの引用でつくられた『攻殻機動隊』の関連作品をコラージュし、引用に引用を重ねたアイデンティティクライシスな作品として完成されていた。


まず、この実写版は押井守監督の映画1作目『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』のリメイクではない。たしかに後半は再現と呼ぶべきレベルで引用しているが、前半のビジュアルは続編である映画2作目『イノセンス』からの引用が多い。
また、主人公の人物像は前日譚的なOVA攻殻機動隊 ARISE』に近い。実写版も時系列から考えて戦闘経験が少なく、実際に関連作品と比べても心技体のスキルが低いのだ。全身の機械化と無関係に自身の所属で悩んでいるところも通じる。
原作漫画からも、女性同性愛的な要素が引用されている。漫画では電脳技術と性愛を謳歌するような描写だったが、この実写版では生身の娼婦とふれあって魂をたしかめる位置づけへ組みかえられた。
物語全体の構造を見ると、TVアニメ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』が最も近い。物語を動かす犯人クゼも、名前や主人公との関係を引用しており、こここそリメイクといっていいくらいだ。


そして難民問題をテーマにした『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』から一歩ふみこみ、主人公は自身の難民性に向きあうこととなる。
機械化と記憶改竄でアイデンティティを引き裂かれた主人公は、体の母と魂の母にあわせて救われ、ふたたび自己を確立する。そこでドラマとしては完結しており、以降はストーリーを閉じるための戦いだ。
機械の体を作ったオウレイ博士は描写が多く、葛藤もていねいに描かれていて悪くない。実の母であるハイリとの短い時間にいたっては、実写版独自の素晴らしい描写だった。
スカーレット・ヨハンソンが日本人の主人公を演じることには米国で批判があり*1、それに対する日本からの反論は疑問視するしかないものが多かったが*2、映画を観ると物語における効果は感じられた。
桃井かおりが母親としてヨハンソンと抱きあう、その情景こそがVFXを使わずともSFであり、同時に現代を映している。


映像面も、VFXを多用した近未来SFアクションとしては、予算と技術をつかったなりのビジュアルにはなっている。
残念ながら見せ場となるべき序盤のアクションが説得力なく、それが最初の予告にも使われて印象を悪くしていたが、全体として尻上がりに良くなっていく。
基本的イメージは『ブレードランナー』に映画1作目を足した、定番の近未来描写で新味はない。しかし『電脳コイル』のような拡張現実の多用と、映画2作目のように巨大な人型が街をねりあるく広告で、それなりに新作としての個性はある。
ハイリと出会う舞台は基本的に実在するロケーションらしく、VFXを多用した中心部とのコントラストで実在感を増す。静謐ながら雰囲気があり、ひとつひとつのカットが映画らしいたたずまいをもつ。桃井かおりの役者ぶりも感嘆するしかない。
アクションは、先述のように序盤が残念で、芸者ロボットの動きは遅く、それに男性客がつかまることにも説得力がない。ボディースーツを着込んだ主人公も、おそらく安全性のためパッドを内蔵していて、アンバランスな筋肉体型に見える*3。カット割りも『マトリックス』の先行引用から進歩がない。
しかし中盤からは、清掃夫が架空の街を駆け抜ける場面など、映画1作目を見事に現代的なパルクールで再現していた。光学迷彩をつかった水辺の格闘戦もアニメと比べて遜色ない。多脚戦車との戦闘も、象徴性こそ弱まっているが、廃墟となった市街を舞台にして、よくできたVFXとセット破壊で楽しませてくれた。
北野武もヤクザ映画的な銃撃戦を披露して、違った風を送りこむ。ややアクションのテンポ感が異なっていた問題はあるし、演技や存在感からして公安のボスより黒幕に位置づけるべきだと思ったが、アクセントとしては悪くなかった。

*1:「攻殻機動隊」ハリウッド実写化 主役が白人スカヨハで物議

*2:実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」に対する押井守監督のインタビューでの「こういうことは映画世界の慣習なのです」という押井守のコメントにしても、その慣習そのものの見直しが批判の理由だという文脈をふまえていない。

*3:猫背の突入姿勢とあわせて「メスゴリラ」という主人公の通称らしさはあるが、この実写版の主人公像とはそぐわない。