法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『のび太の魔界大冒険』の魔法設定は、むしろ期待したような社会変化がないことが見どころでは?

魔法がある世界なら、身近な道具から住居の構造まで異なっていくのでは、と指摘する匿名記事があった。
魔法で料理をする描写

ドラえもんの魔界大冒険とハリーポッターで見たんだけど、「フライパンを魔法で浮かせて炒め物」みたいな感じなんだよな

そのフライパンに取手があるのがけっこう気になる

とにかく現実文明のマイナーチェンジ版として魔法世界を描かないでほしい SF並みの想像力をもって…と思うんだけど、ガチでそういうレベルの異世界をぶつけられると受け入れるのがしんどいんだろうなあ

大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険』が連載をはじめたのは1983年で、1984年に単行本の出版と映画公開がなされた。

1983年にロボットアニメと異世界転生ファンタジーをくみあわせた『聖戦士ダンバイン』や、1984年に欧風ファンタジーとSFをくみあわせたロボットアニメ『機甲界ガリアン』と同時期の作品だ。

聖戦士ダンバイン

聖戦士ダンバイン

  • メディア: Prime Video
機甲界ガリアン

機甲界ガリアン

  • メディア: Prime Video

ふたつのロボットアニメは『機動戦士ガンダム』以降の作品らしく異世界の設定をつくりこんでいたが、対する『魔界大冒険』は魔法世界が現実世界とほとんど変わらないことが物語上の必然性がある。
なぜなら、その魔法世界は逃避するためだけの現実そっくりのパラレルワールド。魔法があれば苦労しないですむという甘い考えを挫折させ、それで現実世界にもどろうとすると逆に魔法世界の危機に直面しなければならなくなる。そんな冒険劇の根幹だ。


魔法世界が現実世界と大差ないことを痛感させるために、ていねいな過程をふんでいる。
まず夜中に秘密道具でパラレルワールドへうつったドラえもんのび太だが、さっそく魔法をつかおうとしても何もおこらない。しかし朝に目がさめると、魔法で通勤通学する人々の群れが空一面に。そこから朝食で魔法をつかった加熱調理や配膳する母の姿に期待をふくらませるが、高価な空飛ぶ絨毯など家にはなく徒歩で通学するしかないと知らされる……
以降も魔法をつかうには道具や学習が必要なことがコメディチックに描写されつづけ、のび太は現実のマイナーチェンジでしかない魔法世界に失望していく。しかし大差ないはずの現実世界と魔法世界が、やがてかけがえのない場所だと知っていく……
あえて異なる法則が存在しても社会は異なるかたちをとらないことが、この作品の見どころなのだ。科学と魔法の源流が同じという出木杉の説明が伏線として効果をあげて、けしてリアリティがないわけではない。
制限の多い魔法世界という設定は、架空法則の延長ではなく長所短所のバランスで現実感を表現する手法ともいえるだろう。先述した『機動戦士ガンダム』にはじまるリアリティ重視のロボットアニメが、必ずしも巨大人型兵器の必然性を緻密に設定せず、しばしば実在の兵器や戦術の泥臭さを引用するだけでリアルな雰囲気を生み出していたのと同じように。
いずれにしても、現実のマイナーチェンジではない魔法世界を求める気持ちは理解できるが、『魔界大冒険』はそこを期待するべき作品では根本的にない。