法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『大長編ドラえもん のび太と夢幻三剣士』には、「VRMMO」の先駆としての価値もある

映画化を前提として1冊で完結するよう連載された『大長編ドラえもん』シリーズ。その14作目として1993年から執筆されたのが、『夢幻三剣士』だ。

つらい日々から逃避しようと、夢をゲーム化する秘密道具を楽しむ物語。典型的な西洋欧風ファンタジーをパロディしながら、虚構と現実がいりまじっていく。
なぜか不評が大勢であるかのように語られがちだが*1、シリーズ全体と比べて特に落ちる印象はない。


たとえば、クライマックスにジャイアンスネ夫が参加していないこと。キャラクターのファンから批判されがちなポイントだが、決戦においてドラマの中心人物だけ舞台に残ることは物語の定石だ。
シリーズでは珍しくゲストキャラクターが仲間にいないこともあって、通例より少人数で敵地に突入する緊迫感が高まった。のび太たちが夢のなかとはいえ死亡する展開の衝撃性も、仲間が少ないからこそきわだったのではないか。
さらに、のび太しずちゃんの恋愛を描くという、大長編はもちろん短編でも意外と珍しいコンセプトも、キャラクターを整理することで明確になった。のび太は、短編では庇護の対象として見られることが多くて*2、大長編で恋愛を思わせる関係はゲストヒロインが相手であることが多い。『夢幻三剣士』は、のび太しずちゃんと対等な関係をきずくという、シリーズで貴重な物語でもあるのだ。


また、大長編における逆転が、しばしば物語に未登場の設定で成立していたという問題も、この作品には存在しない。
先にファンタジーを題材にした5作目『魔界大冒険』や、ゲームが現実を侵食する映画『パラレル西遊記』では、ドラえもんの妹のドラミちゃんが前触れなく登場して、主人公たちを救う。前者は2007年のリメイクにおいてドラミちゃんを序盤にも登場させるアレンジをほどこしたように*3、明らかにプロットの穴といっていい。
一方、『夢幻三剣士』では基本的に逆転も挫折も伏線をふまえて展開される。もちろん最終決戦も、それまで物語に登場した設定のみで危機と逆転を演出した。秘密道具の万能性にたよることもなかった。


そして現在の視点で読み返すと、「VRMMO」というジャンルの先駆としても完成していることに驚かされる。
VRMMOとは、多人数同時参加型オンラインゲームいわゆる「MMO」を、仮想現実として楽しむ作品群のこと。WEB小説において新ジャンルとして隆盛して、「小説家になろう」等で一大派閥を形成している。
VRMMOとは (ヴイアールエムエムオーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

単語としての初出はおそらくソードアート・オンラインの第二部である(形式は第一部で出てるが、VRMMOという呼称はなかった)。ただし類似の筋書きの作品は以前からも存在する。サイバーコネクトツー開発・バンダイ販売の「.hack」(2002年)、高畑京一郎の「クリス・クロス 混沌の魔王」(1994年。どちらかというとMO)、岡嶋二人の「クラインの壺」(1989年。ただしこれはMMOではない)など。

仮想現実ゲームを題材にしたフィクションにおいて、虚構と現実が侵食しあう展開までなら珍しくない。上述の『クラインの壺』のような先行作もあるし、さらに『ドラえもん』で1985年に「ドリームプレイヤー」という短編が原型的に描かれている*4
『夢幻三剣士』が特異なのは、のび太が友人を勝手にゲームへ巻きこむこと。しかも友人の自由な行動がのび太の意図を外れて、仲間にするどころか下僕にされたり、勝者への褒美とされた姫が自立して出奔したりする。VRMMOが多人数参加ゲームを描いているようでいて主人公周辺にのみスポットを当てがちなところ*5、きちんと群像劇として成立していた。
時代的にも、現実の代表的なMMO『ウルティマオンライン』が1997年に発売されたことを思えば、仮想現実にMMO的な展開をくみあわせたこと自体に先見の明を感じさせる*6


さらにVRMMO要素として、のび太が秘密道具の機能で能力を向上させる展開もおもしろい。いわゆる「チート」を物語に組みこんでいるのだ。
ドラえもんも参加して秘密道具も活用し、地味なファンタジーは一転して爽快感あふれる戦記物へと発展する。もちろんそのまま最後まで快進撃をつづけるわけもなく、のび太たちは敵の策略によって挫折することとなる。
そもそも敵の策略こそが、のび太を物語の主人公にしたという真相もすさまじい。平凡な主人公が異世界で大活躍する物語は、近年のVRMMOや異世界転生に限らず、古来から物語の一類型といっていい。それを運命や定番として流すことなく、最終的な敗北をゲームとして義務づけられている敵が助かるための策略として説明づけた。
その策略の詳細は語らないが、ゲームならではの要素がかかわってきている。その要素をふせぐため、たとえチートを使っても特定のアイテムを入手できないプレイヤーとして、のび太は選ばれた。なおかつ、その入手できない理由がゲームプレイヤーとしては弱さになりつつ、ドラマとしては主人公らしさの証明になっていた。


いかにも後年のVRMMOらしい群像劇やチートや主人公を描きつつ、それがドラマの要素として必然性をもち、意外なストーリーへと発展していく。
かつて『夢幻三剣士』を楽しめなかった読者も、そのような観点から読み返すと、また違った評価ができるのではないだろうか

*1:つい先日、「1980〜90年代におけるドラえもん映画の黄金期と照らし合わせてみると、そのストーリーテリングには雲泥の差がある」「作品は構成力に欠け、物語の細部の繋がりは曖昧」と論評するid:hiko1985氏のエントリを読んだ。芝山努『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』 - 青春ゾンビ

*2:結婚後の未来には対等になっている描写もあるが、その過程はシリーズをとおして描かれてない。

*3:『映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 七人の魔法使い』TV放映版 - 法華狼の日記

*4:厳密にはゲームではなく、カセットでさまざまなジャンルを夢として追体験する。

*5:もちろん先述のように、舞台にすべての登場人物がたつ必要はなく、作品コンセプトによっては問題にならない。

*6:なお、1993年以前からもMMOは存在していたらしい。郵便を使った多人数同時参加ゲームとしてメールゲームという遊戯も古くからあった。あくまで既存の概念を物語化したことが先駆的ということであって、作者が新概念を作りだしたというわけではない。