法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本軍による性暴力被害者への支援運動について、中国に着目した『架橋するフェミニズム』のレポートが興味深い

大阪大学の牟田和恵氏が代表となった研究のまとめとして、『架橋するフェミニズム―歴史・性・暴力』という電子書籍が約1年前に無料公開された。
この公開は、公式サイトでも説明されているように、国会議員の杉田水脈氏をはじめとした不当な攻撃に対して、科研費の成果として示す意義もあったろう。
科研費バッシングに応えて/無料電子書籍『架橋するフェミニズム』刊行しました! | ウィメンズ・アクション発信ナビ

冒頭にも書きました通り、『架橋するフェミニズム』は、研究成果のより広い公共への還元のために、誰でも無料で読める電子書籍として刊行公開しています。管見の限り、このような試みは、科研費の研究成果発信として先駆的なものだと自負しています。

もちろん『架橋するフェミニズム』は科研費をつかった研究「ジェンダー平等社会の実現に資する研究と運動の架橋とネットワーキング」の「まとめ」すなわち要旨ということが明言されている。
研究のすべてを詳細に記載してほしいという要望ならば理解するが、もし概略しか記載されていないことをもって批判するならば、それもまた不当な攻撃と評さざるをえないだろう。


さて、『架橋するフェミニズム』には8人の執筆者が各章を書いている。
個人的な関心から特に興味深く読んだのが、熱田敬子氏による第7章「日本軍戦時性暴力/性奴隷制問題との出会い方――ポスト「証言の時代」の運動参加」だ。

大沼は、ジャーナリストの江川紹子のインタビューに答えて、アジア女性基金が評価されなかったことが「中韓に謝ってもいいことない。かえって居丈高な態度をとられるじゃないか」という日本国民の思いにつながったと語っている(江川2013)。

まず、アジア女性基金の理事だった大沼保昭氏の上記発言に対して、そもそも中国は基金の事業対象ではないのに韓国と一体化されている問題を熱田氏は指摘する。

韓国とはまた異なる状況、経緯のある中国や香港の支援者たちの経験を見ることで、地域や時代により異なる日本軍戦時性暴力/性奴隷制被害と、多様な支援運動のあり方を示す一助としたい。

中国における支援事業をとおして、従軍慰安婦問題*1をめぐる政府と民間の緊張関係を熱田氏は指摘していく。


2011年から支援運動を調査していたという熱田氏は、科研費をえたことで2014年から調査の範囲を広げた。
そこで面識をもった20代の支援者3人へのインタビューが紹介されているわけだが、日本軍慰安所制度への問題意識はフェミニストですら薄く、周囲もあまり積極的でないことが語られている。

周囲の態度について莉莉は、「本当に関心がある人はたぶん少ない。みんな自分の生活が忙しいし、自分の生活を維持しなければいけないし。残念だけど」と、仕方のないことだという。

この支援者が通訳などで協力し、インタビューにも同席しているハイナンNETは、日本で生まれた支援団体である。
やはり日本で生まれた別の支援団体で共同代表をつとめる石田米子氏も、他国にあるような現地の支援団体が中国にはなく、官民ともに積極的ではないと2004年に語っていたという。
3人の支援者自身も、支援団体の活動に参加する以前は従軍慰安婦問題への関心はなかったと全員が答えている。ひとりは香港で中国とは異なる教育課程を受けたが、中学の授業で軽くふれられただけだったという。

蓉榕・大学で歴史小説についての授業を取って、歴史叙述や主体の問題には興味があった
Nichol・戦争の歴史に特に興味があったとは言えない・仕事の関係(セクハラ防止啓発)で性暴力被害を受けた女性には興味があった
莉莉・「慰安婦」がいた、南京大虐殺があったということは知っていた。だが、それはただ歴史だと思っていて、自分からは遠いことだった


中国政府は、熱心に教育しなかったり、公的に支援しないだけではない。
日本政府を刺激しないために中国政府がさまざまな支援活動を規制してきた事例を熱田氏は指摘し、インタビューイのひとりの体験談も引く。

NHKプロデューサー池田恵理子ドキュメンタリー映画『大娘たちの戦争は終わらない〜中国山西省・黄土の村の性暴力〜』では、1995年の北京世界女性会議で、中国政府が中国の被害女性たちの会議参加を許さなかったことが描かれている。
 こうした状況は過去のものになったわけではなく、最近の日本軍戦時性暴力パネル展でも、中国政府が日本政府への配慮から内容に制限をかけることがある。ドキュメンタリー映画『大娘たちの闘いは続く〜日本軍性暴力パネル展のあゆみ〜』(池田恵理子撮影・編集・構成、2013、制作・ビデオ塾、29分)では、2011年に盧溝橋で開催した日本軍戦時性暴力パネル展で、女性国際戦犯法廷の「天皇有罪」判決を記述したパネルは、日本政府を刺激し国際問題につながるとされて、展示できなかったと述べられている。2012年、南京において日本軍戦時性暴力パネル展を開催した南京師範大学教授・金一虹らは警察によって展示が途中で撤去されるという経験をした(金2016)。
 蓉榕も、中国で日本軍戦時性暴力の問題を語り、謝罪賠償請求などの運動につなげることはかなり厳しいと感じている。彼女たちが日本軍戦時性暴力のドキュメンタリー映画上映会を行おうとした時も、中国の警察から中止しろとの圧力がかかった。

ここまで読んで、いやおうなく連想した。韓国が民主化することで、ようやく従軍慰安婦問題で被害者が声を上げることができるようになった歴史を。
さらに、中国出身の作家である石平太郎氏が、中国の政治体制を批判しながらも日本の国益を重視して民主化を軽視する見解をとっていたことも思い出した。
劉燕子氏と安田峰俊氏の対談で「リベラル」を批判する根拠が、勝手な期待を裏切られた体験談ばかりな件について - 法華狼の日記

すでに民主主義国家となったはずの韓国が、今でも日本に対する理不尽な敵視政策をとっているのはその実例である。

国益を優先する枠組みでは、不満をもった民意を抑圧する一党独裁政権を歓迎しかねない。日本政府にとって、軍事独裁時代の韓国がそうだった。

もちろん政府が自国の被害を他国へ訴えることは少なくないわけだが、だからといって外国からの被害の訴えが外国政府の意図によるとは限らない。
ひとりひとりの被害によりそうことは、しばしば政府の意向と衝突する。むしろ強権的な政府ほど、被害を政治利用したいがために、個別の被害を抑圧しかねない。


そうして支援者のひとりは活動をとおして愛国主義を批判する。

中国で日本軍戦時性暴力被害を取りあげることは、必ずしも「愛国」と結びつくわけではない。そして蓉榕にとっては、日本軍戦時性暴力被害に取り組むこと、日本軍戦時性暴力被害に取り組む日本人と出会うことは、むしろ「愛国主義」を批判的にとらえかえす積極的な意味も持っていた。

一方、香港の支援者は一種の民族意識をおぼえていったようだ。

Nichol自身思いもしないことだったが、被害女性たちのために日本の支援団体と一緒に地道な支援をしてきた、何人かの中国人の姿を見て、中国に対する認識も変わったという。「自分の信念に忠実で、寛容で、計算づくのところがない」、「中国人は本来こうあるべきだと思うような人たちだった」と、Nicholは彼らを絶賛する。支援運動に関わる「人」は、抽象的な抑圧者とは異なる中国のイメージとして表象されている。

念のため、ここでの「中国人」への賞賛は、国家権力への従属を意味するような愛国主義とは異なるものだろう。
歴史と体験をとおして「人」をとらえなおし、むしろ偏見と境界をのりこえ、架橋する力がある。

*1:なお、熱田氏は「慰安婦」という呼称の問題点を指摘し、日本軍戦時性暴力や性奴隷制問題といった呼称を選んでいる。この呼称が絶対のものではないという留意もしている。