法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

青林工藝舎はお家騒動で飛び出した分家なので、青林堂に残って守ろうとした本家からはわだかまりもあるはず

かつて特殊な漫画出版社として知られていた青林堂を、パワハラを受けた社員とユニオンが訴え*1、証拠として現社長らの録音が報じられた。
社員をスパイ呼ばわり 青林堂の社員がパワハラ訴え暴言音声を公開【追記あり】

青林堂カムイ伝などを連載した「伝説の漫画誌」の「ガロ」をかつて出版していた。中村さんはその最終期(2001年〜2003年ごろ)に営業部長を務めていた。

中村さんはいったん退職したが、2014年6月に社長に誘われ、青林堂に再入社した。だが2014年12月、正社員にするという約束が守られなかったため、労働組合東京管理職ユニオンに加入し、団体交渉をした。

そこで現在の青林堂が差別扇動に満ちた書籍ばかり販売している問題や、漫画出版社としての魂を継承しているのは青林工藝舎という現状が改めて注目されている。


ただし、創業者の死後に編集部が作家をつれて一斉退職したことは、青林堂が保守化しようとしたことが理由ではなかった。
話題になっていることもあり、当時に青林堂に残った側*2からの異論も表明されている。id:amamako氏がツイートをまとめていた。
かつての『ガロ』の魂を継ぐのは青林堂か青林工藝舎か、対立する2つの見解 - Togetter

編集部の原稿もちだしを批判するツイートが散見されるが、出版業界の慣習はともかく、本来は作家に帰属するべきもののはず。作家をつれていった編集部が原稿をもちだしても、法律や道義の観点から問題視することは難しいだろう。
読者から見た青林堂の「クーデター」は、最近でいうならエニックスから編集部がはなれてマッグガーデン一迅社ができた騒動に近い印象がある。


それでも指摘されているように、分裂後すぐ青林堂が保守化したわけではないし、しばらく『ガロ』も断続的に発刊されていた。以前に時系列や関係者の発言を簡単にまとめたことがある。
青林堂と青林工藝舎、どうして差がついたのか - 法華狼の日記

なお、青林工藝舎ができてすぐに青林堂が形骸化したかというと、そこまで単純ではない。たとえば大越孝太郎氏のように、改定版や新作を青林工藝舎から出した後も、2001年に青林堂で新作を出した漫画家もいた。

創業者の生前に経営をひきついだが、没後に編集部のクーデターにあったとされる山中潤氏。下記ブログで2008年におこなわれたインタビューは、積極的なクーデターを否定している。
原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:山中潤氏の語る「ガロ」 - livedoor Blog(ブログ)
母体にしていたツァイトともども経営に致命的な問題はなかったというが、体重が40kgになるほど体調を悪くしてしまった。そこでツァイトの社長を先輩の福井源氏にゆずり、さらに青林堂の代表者印もわたしてしまったという。

今回の報道を受けて、山中潤氏はfacebookで上記インタビューで語ったことを、新しい情報をまじえて語りなおしている。
山中 潤 - 青林堂に関連する一連の報道について。... | Facebook

私はF氏の様々な工作に乗せられ、無理やり青林堂まで腕づくで連れて行かれ、当時青林堂の実印と青林堂の株式を保有していた会社両方の実印をF氏に取られました。

ここで抵抗できずに実印をとられたことが、編集部の一斉退職の引き金になったという。そして福井社長時代をへて、蟹江幹彦氏が現社長となった。

現在の青林堂の社長であるK氏やW専務とは、97年以前より交流はありましたが、それは私個人の範囲であり、編集部との付き合いは極めて薄く、長井氏とは面識もありません。

先述の2008年のインタビューによると、山中潤氏は蟹江社長時代に復帰しかけたが、取材に出かけて帰ると編集部の席を無くされてしまったという。いまになって読み返すと現在のパワハラ事件を思わせる。


時系列を簡単にたとえると、一代目の生前からひきつぎをしていた二代目が、一代目の没後に体調をくずしたため友人に家をのっとられ、失望した周囲が出ていって分家をつくった。本家が弱体化してしまっては三代目もうまくいかず、四代目にゆずりわたした。そして四代目は看板などの財産を切り売りしつつ、非道な商売に本家の名前を利用している……といったところか。
もちろん関係者が明言していない人間関係の背景など、他にもいくつかの分裂の理由はあったろう。インターネットが一般に普及しはじめたころ分裂したこともあり、同時代における当事者の主張や見解も、さまざまな場所で断片的にアーカイブされている。関係者による最新の詳細な証言として、総合漫画誌キッチュ』で『ガロ』元副編集長へのインタビュー記事が掲載されているそうだ。
本誌情報-創作と娯楽の狭間を目指したマンガ・レビュー・エッセイの総合マンガ誌「キッチュ」
いずれにせよ、経営をうばわれても青林堂に残って守ろうとした人々が、一緒に守ろうとしなかった青林工藝舎へわだかまりをもつのも自然な感情だろう。その一方で、経営をうばわれるような状況では残っても守れないと出ていった青林工藝舎の判断も、いまとなっては間違いではなかったように思われる。


なお、現在の青林堂側の見解として公式ツイートを読むと、単純な構図で過去と現在を対立させており、青林工藝舎を安易にもちあげること以上に誤解をまねく。

しかし、現在の青林堂といえば、『ガロ』は事実上の休刊を十年以上つづけており、漫画といえば旧作の再録がほとんどだ。新作といえば、インターネットで人気のデマゴギスト「余命三年時事日記」「井上太郎」を書籍化したようなものばかり*3。つまり情報の検証や訂正のコストを社会に丸投げしているわけで、それで社員に給料を出しても誇れることではあるまい。
ちなみに山中潤氏が青林堂に入った後、ドラマ化された『南くんの恋人』などのヒット作が生まれて、1頁2千円ほどだが原稿料も出せるようになった時期もあったという。良くも悪くも経営状態は一定ではなかったようだ。