法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

青林堂と青林工藝舎、どうして差がついたのか

約一ヶ月前、facebookで難民差別イラストを公表して批判をあびた、はすみとしこ氏。BBCも報道していた。
シリア難民少女の写真を日本人が挑発的なイラストに……人種差別か - BBCニュース
そのイラスト集が商業出版されるという。発売前だがAmazon.jpの「日本の政治」カテゴリでベストセラー1位になっている。

そうだ難民しよう!  はすみとしこの世界

そうだ難民しよう! はすみとしこの世界

悪名であってもfacebookで注目されたため出版にこぎつけたのだろう。だからといって批判すべきではなかったという話にはならないが。


そもそも、はすみとしこ氏が保守的な漫画で商売することや、それを世界に広めようとすることは、今回が初めてではない。
フランスのアングレーム国際漫画祭に、従軍慰安婦をモチーフにした漫画群が韓国から出品されると報じられた2014年のこと。幸福の科学関係者が「論破プロジェクト」という団体をたちあげて、対抗する漫画を出品しようとした。
「慰安婦漫画で日本が倍返しだ!」「見た目は派手だが、脇はがら空きだぞ」 - 法華狼の日記
その対抗作品は一般からも募集されており、はすみとしこ氏の漫画もあった。そのひとつを『鯖としらすのにゃぜにゃぜどーして?従軍慰安婦』といい、はすみとしこサイトで全30頁が公開されている。
従軍慰安婦ってなあに?

漫画作品として見ると、背景の単調な白さ、書きこみの少なさが特徴といえるだろう。facebookで公開していたイラストが、どこかの写真素材を背景にして人物画と文章をコラージュしていた理由がよくわかる。
在米日本人の子供がいじめられているという情報に対して、「韓国や中国の子ならまだしも、どうして白人の子までいじめるんだニャ! 日本と米国はトモダチにゃのに!!」*1という台詞を発したのは、あらゆる意味でダメだと思った。米国政府による日本批判を「狂人の嘘に加担させられているのよ」*2という台詞も正直すぎて表現として成立していない。
従軍慰安婦問題を否認する主張にいたっては、引用した画像を見てのとおり、台湾慰安婦も日本政府への訴訟を起こしたことすら知らないようだ*3。わざわざ細かく論評する気もおきない*4
その後、はすみとしこ氏は論破プロジェクト公式サイトで4コマ漫画を連載して、現在も関係をつづけている。
華麗なるプロパガンダの世界 | 論破プロジェクト
このような二次加害の展示をとりやめさせた漫画祭スタッフの判断は正しいし、ひとりの人間として感謝するしかない。


また、はしみとしこ氏の書籍を出版する会社が青林堂というところも注目されている。かつての青林堂といえば、先鋭的な漫画雑誌『ガロ』で知られていた。
はてなブックマーク - Amazon.co.jp: そうだ難民しよう! はすみとしこの世界: はすみとしこ: Books
しかし青林堂保守系の出版社に変貌してから、かなりの月日がたっている。私も2010年の日記で『コリアンジェノサイダー』の商業化に言及した。
「アニオタ保守本流」からチャンネル桜に出演したという話 - 法華狼の日記

西村氏が監修した『歴女が学んだホントの日韓関係』なる書籍の宣伝を始めたことにも苦笑い。発行している青林堂の商品紹介ページを見てみると、「コリアンジェノサイダー」を書籍化したものだという*1。ずっと前から書籍化される話は聞いていたが、まさか以前に『ガロ』を出していた青林堂からとは、時代の流れにせつなさをおぼえる。みんな不景気が悪いんや。

アングレーム国際漫画祭2014に対しても、論破プロジェクト側の意見をつたえて、漫画出版社だったのに外野から批判するばかり。
Facebook

日本ブース担当の藤井氏が開催直前に寄稿しています! ジャパニズム 17 「反日マスコミが日本を滅ぼす」2/10発売

ツイッターの保守的発言で悪名高い、井上太郎という所在不明の人物の主張を書籍化したこともある。その記述を市民運動家に訴えられて、原告の要求をのむかたちで和解したばかりだ。
反ヘイトスピーチ運動家への「名誉毀損」 出版社・青林堂が「お詫びと訂正」 - 弁護士ドットコム

和解は6月23日付け。青林堂がこうした記述を取り消す旨の「謝罪広告」をサイトに掲載するほか、青林堂が木野さんに慰謝料25万円を支払うことや、ウェブサイトから記事を削除すること、書籍の改訂版を出す場合に記載を削除することなどが取り決められたという。

そもそも現在の青林堂は『ガロ』すら十年以上も休刊している。保守系をのぞいた漫画作品といえば、アマチュア作品の書籍化や、名作の再録があるくらいだ。


もちろん青林堂の精神が完全に死んだわけではない。
1996年の創業者没後、会社の経営問題をうけて編集部はいっせいに退職し、青林工藝舎という会社をつくった。そこで漫画雑誌『アックス』を発行し、花輪和一刑務所の中』をはじめとした話題作を意欲的に送りだしている。
アングレーム国際漫画祭2014においても、外野だった青林堂とはちがって、作品を発表している漫画家が招待されたり、出版された作品がノミネートされていた。
従軍慰安婦問題を題材としたアニメーションがカナダ映画祭にノミネートされ、日本の一部で反対運動が起こされているとの情報 - 法華狼の日記

念のため、青林堂は創設者が亡くなってから保守的な傾向を強めており、雑誌『ガロ』で知られていた時代とは別物である。
青林堂スタッフが設立した事実上の後継社である青林工藝舎からは、アングレーム国際漫画祭2014に丸尾末広氏が招待されていた。

同じ2014年度において、遺産賞に勝又進『深海魚』がノミネートもされていた。
アングレーム国際漫画祭2014 ノミネート作品発表!|BDfile

編集部や漫画家の環境は苦しいままとは聞くが、それでも慢心せずに進んだからこそ今があるのだろう。


なお、青林工藝舎ができてすぐに青林堂が形骸化したかというと、そこまで単純ではない。たとえば大越孝太郎氏のように、改定版や新作を青林工藝舎から出した後も、2001年に青林堂で新作を出した漫画家もいた。
創業者の生前に経営をひきついだが、没後に編集部のクーデターにあったとされる山中潤氏。下記ブログで2008年におこなわれたインタビューは、積極的なクーデターを否定している。
原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:山中潤氏の語る「ガロ」 - livedoor Blog(ブログ)
母体にしていたツァイトともども経営に致命的な問題はなかったというが、体重が40kgになるほど体調を悪くしてしまった。そこでツァイトの社長を先輩の福井源氏にゆずり、さらに青林堂の代表者印もわたしてしまったという。
原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:山中潤氏の語る「ガロ」・6 - livedoor Blog(ブログ)

「福井さんは代表者印が欲しくて、ずっと探していたらしいです。
 そういう動きを知ってたので、僕は福井さんを避けていました。
 日にちはよく覚えていないんですが、たぶん7月4日の事でしょう。
 昔の友人に呼ばれて、ツァイトと青林堂のある初台のビルに行った所、
 そこに福井さんが現れたのです」

ここで経営がのっとられたため、編集部はいっせいに去っていった。直後にツァイトも倒産した。
しばらくして山中潤氏は青林堂にもどり、現在の経営者にうつって復刊した『ガロ』にもかかわった。ここまでは青林堂もかつての姿をのこしていた。
原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:山中潤氏の語る「ガロ」・7 - livedoor Blog(ブログ)

「復刊した最初の号の台割は僕がやりました。
 だけど、その後に長井勝一資料室のある宮城県の塩釜まで取材にいって、
 東京に戻ってきたら、もう席がなくなっていました」

少しずつ社風は後退をつづけ、2002年で青林堂の伝統が完全にとだえたらしい。

ガロはオンデマンド出版の雑誌になる。
内容は過去の名作(主にガロ作家以外)の再録で、
ガロの最大の特徴である「新人起用」の伝統はここで潰えた。

つまり経営をたてなおした実質的な二代目が経営権をうばわれ、排除されるという段階をふんでいたという*5。いずれにせよ、青林堂にかつての魂はほとんどないことは変わらない。
ちなみに現社長の蟹江幹彦氏は2015年1月に東京新聞のインタビューを受け、保守系出版物が経営を助けてくれるむねを語っていた。もともと『ねこぢる』関係の版権を持っていたらしいが、そこまで魂を切り売りするくらいなら、わざわざ青林堂のような会社で商売する意味がわからない。

*1:26頁。太字強調は原文ママ

*2:25頁。

*3:各国・地域における償い事業の内容-台湾 慰安婦問題とアジア女性基金

*4:とりあえず論破プロジェクト本体がつくった漫画に対する批判エントリを再掲しておく。依拠した資料がほぼ同じなので、だいたい同じ批判が通用してしまう。アングレーム国際漫画祭で「慰安婦の真実」を伝ようとしたプロジェクトの内実 - 法華狼の日記

*5:元副編集長のブログも、それを裏づけるような内容が書かれていた。白取特急検車場【闘病バージョン】 元ガロ編集長、山中潤さんと20年ぶりに再会した