法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『不屈の男 アンブロークン』

映画の基本情報

イタリアから移民した不良少年ルイス・ザンペリーニは、その逃げ足の早さを兄に見こまれる。
陸上選手となったザンペリーニは、長距離走で高校生記録を叩きだし、ベルリン五輪で入賞し、つづく東京五輪に目標をしぼった。
しかし戦争がおしせまる時代を受けて、ザンペリーニは志願兵となり、B24の爆撃手をつとめることとなった。
そして遭難した友軍の捜索に向かった時、機体が墜落。ザンペリーニは仲間とともに太平洋を漂流し、日本軍の捕虜となる……


同名のノンフィクションを原作とした、2014年の米国映画。アンジェリーナ・ジョリー作監督、コーエン兄弟が脚本をつとめた。
unbroken-movie.com - このウェブサイトは販売用です! - 映画 アニメ動画 ドラマ動画 映画動画 海外ドラマ リソースおよび情報

もともと1956年に出版された自伝を受けて、ユニバーサルがザンペリーニの人生の映画化権を獲得していた。しかしさまざまな事情で撮影されず、半世紀以上たって新たな原作で映像化することになり、結果として長野五輪で走る姿をもりこむことができた。
原作者のローラ・ヒレンブランドは、実在の競走馬をモデルにした『シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説』の著者。取材で見つけた戦前の新聞記事で、この陸上選手より速いのはシービスケットくらいという記述から、ザンペリーニを知ったという。
ザンペリーニはイタリア系移民というマイノリティで、陸上選手として活躍した舞台はドイツ。さらに本番は東京五輪と出発前に兄と会話して、開会式では日本人選手と目線をあわせる。つまり主要な枢軸国すべてと良好な縁があるという、第二次世界大戦の米軍人として興味深い立場にある。
しかし物語としては、あくまで興味深い個人の人生が中心にあり、国家の問題を告発するつくりではない。陸上選手としての自己実現と、軍人としての苦難をとおして、不屈の精神をもって敵をゆるす思想を描いている。


映像については、基本のしっかりした撮影で、しかし力を入れすぎていない。監督の方針で、撮影が3テイクを超えることが滅多になかったという。それでも必要な質はたもっていて、場面ごとの意図がわかりやすく、見ていて混乱する場面はない。
海や戦地や収容所はオーストラリアで撮影されている。ゴムボートを浮かべた海原や、太平洋の密林は悪くないが、残念ながら日本の情景にはいくらか違和感はあった。ただし露骨に日本趣味を強調しているのではなく、大きすぎる建物などの細部が積みかさなって全体の雰囲気に齟齬が生まれる、言語化しづらい微妙な問題である。もし日本で撮影できたなら、もっと違和感のない映像にしあがっただろうことが惜しい。
そして戦場や収容所を舞台にしながら、目をそむけたくなるような陰惨な場面もない。全体に配慮がいきとどいていて、日本人をふくめて誰でも身がまえることなく観賞することができるだろう。

日本軍描写への抗議と、映画の実際

しかし日本と深い縁をもつ人物を題材とした大作映画だが、日本での初上映は2016年2月と遅れた。日本軍の食人風習が描写される可能性を理由に、抗議運動がおこなわれたためだ。
アンジェリーナ・ジョリー監督『アンブロークン』来年2月日本公開へ! - シネマトゥデイ
ちなみに署名サイト「Change.org」において、製作配信撤回キャンペーンは1万人以上の署名を集めたが、劇場公開キャンペーンは1829人にとどまった。
キャンペーン · 事実に反する内容の映画の製作と配信を撤回すべき! · Change.org
キャンペーン · 映画「Unbroken」を日本で劇場公開しよう! · Change.org
賛否の数字を比較するだけでも暗澹となるが、製作配信撤回キャンペーンは内容そのものが信じられないほどひどいものだ*1。小規模ながら正式に公開され、映像ソフト化されたのが救いである。


映画を実際に鑑賞すると、人肉食の描写はまったくない。
そもそも映画評論家の町山智浩氏の指摘によると、原作でもザンペリーニ個人の体験とは別個に言及されているだけらしく、それも大きく誤った記述にはなっていない。
たまむすびで「アンブロークン」 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
ちなみに原作で同時に言及されているという生体解剖事件は、それをモデルにした作品『海と毒薬』がベルリン銀熊賞を獲得しており、今さら世界から隠すことに何の意味もない。
映画の後半をしめる捕虜虐待すら、主人公が受けた数々の試練のひとつにすぎない。目新しさや激しさよりも手がたさをねらったような作品なので、戦争映画としては凄惨な描写が少ないくらいだ。

前半は戦争映画としてよりも、〇〇映画として見どころがある

まず戦闘アクションは悪くないが、ドラマの要点ではない。
攻撃対象は前線基地や迎撃機だけなので主人公が戦争に悩むことはなく、そもそも描写が短い。ゼロ戦の機銃掃射をあびながらの爆弾倉を舞台とした奮闘は描写として珍しく、VFXも現代映画の水準にとどいているが、陸上競技の回想で何度となく寸断される。
物語としては半壊した爆撃機での不時着が重視されている。


主人公が最も追いつめられるのは、2人の戦友と小さなゴムボートで漂流する場面だ。時間配分として長いわけではないが、まともな水や食料もなく海上で数十日を生きのびる描写は、単独で観ても楽しめそうなほど力が入っている。
髪型の乱れが少ないのは気にかかるが、屈強な体型に肋骨が浮いていき、水ぶくれするほど日焼けしていく痛々しさはサバイバル映画としてよくできている。どこまでも水平線がつづく絶望的に広い海の静けさ*2、一転して嵐の海の激しさという静と動の切りかえもいい。


ここでサメ映画としても特筆すべき作品になっている。動物パニック映画の1ジャンルを形成するサメ映画だが、冗談のような作品が多い。映画として真面目に評価されるのは、ジャンルを生みだしたスピルバーグ作品『ジョーズ』のような少数だけ。
Z級サメ映画マニアに聞いた本当に面白いサメ映画
いずれにせよ映画に登場するサメはホオジロザメのように凶暴で強力なものが多い。一方『不屈の男 アンブロークン』に登場するヨシキリザメやアオザメは人を食うこともあるが弱くて小さい。たいした道具のない主人公たちがほとんど生身で対処できるくらいだ。それが逆説的にサスペンスを持続させる。
アオザメはゴムボートの直下を泳いだりするが、ハイエナのように複数で回遊をつづけるだけで、すぐに襲うことはない。のんびりした雰囲気すらあり、大きな黒目には愛嬌がただよう*3
しかし日本軍の機銃掃射を受けて海に逃げた時や、それでゴムボートが破損した時は、一転して主人公たちに牙をむく。油断してしまうがゆえの危険として、相対的に受けいれざるをえない恐怖として、弱すぎるサメが存在感を出していく。古典的なゾンビ映画の、弱すぎるがゆえに神経をさいなませていく恐怖にも似ている。
『ゾンビ(ディレクターズ・カット版)』 - 法華狼の日記
映画批判派が存在を否定しながら公文書で裏づけられた機銃掃射だが、物語としてはサメの脅威を引きだす位置づけにすぎない。主人公たちが戦闘機のパイロットへ怒ることすらない。
『アンブロークン』の漂流者銃撃の実在をうかがわせる資料が発見されたとのこと - 法華狼の日記

後半は捕虜虐待が描かれるが、いくつかの理由で痛々しさが弱い

大森の収容所で主人公を虐待する渡辺所長は、「鳥」という通称で捕虜から呼ばれていた。細面の美形で、虐待する場面には耽美な雰囲気をただよわせている。通訳を担当する末端の兵士より、ずっとたくみに英語をあつかう文化人でもある*4
しかし虐待の動機は矮小だ。良家出身なのに収容所の所長という低い地位なため、うさばらしで虐待していると捕虜たちに思われている。底知れない悪意などは感じさせないため、恐怖を呼びおこさない。
精神を痛めつけることが虐待の目的なので、さほど命の危機にあったりもしない。たった3人で命を削りつづけた漂流劇がよくできていたため、仲間とともにくらす収容所の生活は相対的に安楽にさえ見える。


現実のザンペリーニは他の看守にも反感を持っていたらしいが*5、映画では他の看守に主人公が反感をいだくような場面はほとんどない*6
ちなみに有名な映画サイト「超映画批評」では、渡辺以外の日本兵は「早くしろオラ」と「急げコラ」しか台詞のない背景にすぎないと紹介され、それゆえ渡辺の異常性が引き立たないとも評されている。
超映画批評「不屈の男 アンブロークン」35点(100点満点中)
たしかに兵士が捕虜へ居丈高に指示する場面は多いが、地図を隠していた捕虜を渡辺が痛めつける場面で若い兵士はついていけない表情をしているし、日常では兵士同士が家族の話をしている場面も存在する。いかにもチャンネル桜常連の映画評論家らしい描写の見落としだ。


そもそも渡辺は動機がわかりやすいだけでなく、手間をかけて遊ぶように虐待するため、言葉より先に暴力をふるう日本軍らしさがない。日本映画で描かれた日本軍の部下への虐待には、ずっと陰惨で嫌悪感をもよおすものが多数ある*7
この映画で最も理不尽な虐待といえば、直江津の収容所で主人公が高所からつきおとされる場面だ。わざわざ労働を邪魔してまで虐待した意味はまったくわからない。そこに渡辺の指示や意図はおそらくなく、倒れた主人公が遠くの渡辺を見ると見向きもしていない。
そもそも直江津では石炭を運ぶような労働を強制されており、大森に比べて虐待描写は少ないが、ひどい環境を真っ黒になって働かされる情景は、ずっと苦しいものを感じさせた。


渡辺の性格を変えなくても、理不尽な虐待を描くことはできたろう。虐待は部下が実行して、渡辺は命じることも止めることもないように描写すればいい。責任をとらない組織という問題は日本軍らしいし、はっきり命令するよりも底知れない恐ろしさを描けるだろう。
実際、大森へ移送される前、太平洋の前線基地の捕虜として、主人公は似たような経験をしている。自分だけ屋根の下で食事をとりながら、雨にうたれている主人公へ興味なさげに尋問する司令官。その前線基地では捕虜が処刑されるという噂もあり、日本軍の一挙一動に主人公はおびえる。しかし制作者は渡辺をそう描かなかった。
ほとんど映画は渡辺個人の虐待を描いていて、日本軍の組織としての問題は主軸にない。

映画における渡辺は、主人公の敵ではなく影である

ゆるしを描く映画ゆえ、戦争映画らしい高揚や緊張よりも、敵意をもちつづけることへの懐疑が多い。公開前に虐待描写が話題になったため、期待外れという感想も見かけるほどだ。
たとえば大森の収容所にいた時、主人公は対岸への空爆を見て、米軍の勝利に期待する。しかし大規模な夜間の空爆において、戦争の終結が近いことだけでなく、日本軍が敗北すれば捕虜が処刑されるという噂を知る。何を望めばいいのかわからなくなる主人公たち。
そして大森から直江津へ移送が決まり、主人公たちは空爆された街を進んでいく。死体をかかえて歩く男や、死んだ子に泣きすがる母親を見る。空爆された街を遠くからしか見ていなかったことと、プロパガンダ放送のため活気ある中心街を見ていたことが*8、廃墟となった街の衝撃を強める。
映画の結末においても、主人公が日本軍をゆるした戦後が語られる*9長野五輪聖火ランナーとして走った姿も映される。


ただし戦後に会おうとした渡辺だけは、すでに恩赦されていたが、結局あらわれなかったと字幕で説明される。
ゆるしの対象と考えると、会えなかった結末の位置づけは難しい。しかし、渡辺が主人公の決別すべき存在だったと考えれば、この結末でも平仄があう。
収容所の所長という地位に不満をいだいて周囲へうさばらしする渡辺は、移民ゆえにいじめられて非行にはしった過去の主人公と相似形をなす。同時代で比べると、恵まれた環境で自己実現できなかったことと、恵まれない環境で自己実現できたこととで、対照的でもある。
主人公と渡辺が重なる存在であることは、実際に劇中で指摘されている。主人公に顔をよせた渡辺が、耳もとで主人公へ語る場面がある。望まぬ環境に屈しない主人公の目は、自分と同じだ、と。それが特に主人公を標的にした理由だった。
さらに終戦時、家族と映った写真を残して、収容所から渡辺は消えた。これは敵にも家族がいるというだけの描写ではない。帰国した主人公は家族と再会し、その姿が写真として映される。ここでも渡辺と主人公は対の存在として描かれていた。
だから映画で渡辺にゆるしをあたえる必要はない。渡辺の暴力に屈しなかった日々が、そのまま過去の自分を克服した意味をもつのだから。


この映画は、どこまでも個人の人生によりそった、個人の主観で描かれた物語だ。見ていない日本軍の問題はまったく描かれない。
それでも日本軍の虐待を否定したくなるならば、それは映画の問題ではなく、観客の投影によるものだろう。
半世紀以上前の罪がゆるされることに対して、何をそれほど恐れているのか。本当は、映画で描かれた以上の罪があることを、内心では認めているためか。むしろそうであることを祈りたい。

*1:アンジェリーナ・ジョリー監督の写真に「原爆投下を清々しいと語る狂った女」「人の皮を被った悪魔」という文章を重ねるような、誹謗中傷や名誉棄損にあたりそうな画像まで掲載されている

*2:映像ソフトでメイキングを見ると、海にはしけをのばし、実際にゴムボートを浮かべて撮影している。動物はアニマトロニクスが基本のようだ。

*3:メイキングで監督が目のかわいらしさを語り、恐怖を感じさせるためにその目を見せないよう演出したと語っている。

*4:俳優がミュージシャンということもあり、三味線をひく未公開場面が映像ソフトに収録されている。

*5:映像ソフトの特典映像で、ゆるしの対象として渡辺以外の看守に会った経験が語られている。

*6:ジュネーブ条約に反していると訴える将校に対して、ここは日本だと切りすてるという日本軍の組織的な問題を示す描写も撮影されていたが、未公開映像となっている。

*7:『野火 Fires on the Plain』 - 法華狼の日記『続・兵隊やくざ』 - 法華狼の日記等。

*8:前線基地でザンペリーニが処刑されず日本へ連行されたのは、五輪選手としてプロパガンダに利用できると判断されたためらしい。

*9:映画では宗教性が強くなるためか字幕で説明するだけだが、有名人として講演活動をつづけながら離婚寸前になるほど捕虜時代の悪夢にさいなまれ、妻にいわれて牧師の説教を聞いてようやく癒され、戦後は少年の更生活動に尽力したという。映像ソフトの特典として、当時のザンペリーニについて家族が語る映像が収録されており、これだけでも帰還兵の物語として興味深い内容だった。