法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『トーキョー・プリズン』柳広司著

敗戦直後の日本。東京裁判が始まったばかりのある日、巣鴨プリズンで謎の毒殺事件が発生する。謎を解く探偵役は、戦時中の記憶を喪失しているBC級戦犯容疑者。ワトソン役をつとめるのは、戦時中に行方不明となった兵士を探しにニュージーランドから来た私立探偵。
さまざまな古典や偉人を題材にしてきた著者が、はじめてオリジナルの登場人物ばかりで構成した本格ミステリ。ただ、歴史小説一般が歴史の二次創作に近いと思えば、過去作品の延長線上にあるといえるか。探偵やワトソン役も、さまざまな古典ミステリを思わせる人物像をしている。


謎解きの主な焦点は、きびしく管理された監獄内での密室毒殺事件と、探偵役の捕虜虐待疑惑。そこに焼け跡を調査してまわる私立探偵が戦争に直面していく物語がからんでいく。頁数は多いが文章は平易で、描写も詳細にすぎず、読みやすい。
本格ミステリとしては頁数に比べて登場人物が少ないし、事件の謎も主として毒物移動だけなので真相の見当はつけやすい。しかし、どんでん返しとシンプルな毒殺トリックがきまっていて、満足度はそれなりにあった。


何より良かったのが、戦争責任のあつかいだ。軍部の暴走だけで片付けようとする態度を批判しつつも、報道の偏向だけに責任を押しつけることもない。当時の国民も真実から目をそらす報道を望んだと自戒しつつ、全国民に責任を分担して薄めることも避けている。自分以外に責任があったと主張するような自己弁護を批判し、責任が消失していく社会制度を批判する。
自身も被害者なのだと自己欺瞞するために天皇を軍部の被害者とみなし、共犯的に責任を問われないですませた日本国民の問題を、ニュージーランド人の視点から描き出した。この理路で天皇の戦争責任を問う過程は、登場人物の視点において明解だ。
もちろん、連合軍にも原爆投下や敗戦後日本でのふるまいをつきつけ、その正義を問う。しかし東京裁判を勝者の裁きとして単純に拒否することも慎重に避けている。日本が身勝手に戦争をはじめたことを率直に記述しているし、アメリカ人弁護士が裁判の拙速さに怒る場面もある。相対化する表現はあったが、戦争責任を相殺することはなかった。


そして捕虜収容所の所長をつとめていた名探偵にかけられた虐待容疑。懸念したとおり、文化の違いによる誤解という推理が行われた。
……だが、それは中盤の段階にすぎない。名探偵が捕虜を刺殺したという作品独自の噂、そして名探偵らしい能力を持ちながら多くの捕虜から名指しされた謎が残る。ゴボウや鍼灸が虐待と誤解されたという都市伝説*1は有名だから、それだけが真相ではミステリにならないわけだ。そして最終的に、きちんと現在の歴史研究水準にあわせた真相が開示され、確かに日本軍には根深い問題があったのだと示してみせた。
推理という過程をふむことで納得しがたいことを読者に納得させる、本格ミステリという表現。その特性が、歴史認識問題と結びつくことで効果をあげた好例だと思う。