法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

さまざまな批判に対する朴裕河氏の反論で、ひとつ気にかかるものがあった

朴裕河氏に時間的な余裕ができたとのことで、少しずつ日本語での反論をインターネットで提示しはじめている。

朴氏自身で反論すること自体は良いことだろうし、朴氏の視点による事態の説明は興味深いところもある。
批判が向う地点はどこなのか? – 鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える | 박유하 『제국의 위안부』, 법정에서 광장으로
たとえば研究会での家父長制をめぐる徐京植氏との衝突は、事実であれば重要な争点になりうるだろう。

私が在日僑胞社会の家父長制問題について発表してから、彼らの態度は変わった。徐京植は「ジェンダーより民族問題が先」だと露骨に話したこともあった。当時研究会のメンバーの中には、公的な場ではそう話す徐京植を批判しなくても、私的な場では徐京植を批判する人もいた。

ただし、こうした主張は最初に発表された2015年の時点で、鄭栄桓氏から反論されていた。
朴裕河の徐京植批判について : 日朝国交「正常化」と植民地支配責任

2000年代前半の徐は「ジェンダーより民族問題が優先」などという粗雑な議論はしておらず、むしろ植民地支配が二つのカテゴリーによる複合的な差別を生み出し、解放後の在日朝鮮人たちも二重の桎梏のもとにあったことを指摘していた。

つづけて鄭氏は1998年の徐氏の文章を引き、「手先」なりの罪が朝鮮人業者にあるという主張や、強制連行を植民地支配の問題としてとらえるべきという主張が朴氏より先行していたことを指摘していた。
むろんジェンダーを問題にしたかった朴氏にとって、複合的な問題ととらえるべきという主張であっても「ジェンダーより民族問題が先」と解釈された可能性もある。


こうした鄭氏に批判されている部分をのぞいて、私個人が気にかかった朴氏の反論は、下記のくだりだ。

徐京植や尹健次は、私の本が日本右翼の思考を「具体的に」批判した本でもあるという点を全く言及せず、ただ「親日派の本」として目立たせたがっていた。

彼らの他にも私が知っている限り、私の本以前には慰安婦問題に対する否定派の考え方を具体的に批判した人は殆どいなかった。韓国や日本の支援者たちは慰安婦問題に否定的な人々に対しては頭ごなしに「右翼!」という言葉で指差しており、金富子が私に対して「右派に親和的」という言葉で非難したことはその延長線上のことだ。

2005年に原著が出版された『和解のために』について、このような自己認識を2015年に提示したことには目を疑う。


私が知らない「韓国」の言論状況については朴氏を信じるとしても、「日本の支援者」が具体性に欠けた頭ごなしの批判ばかりしてきたわけがない。
たとえば下記の2冊は、具体的な事実関係で否認論へ反論しているだけでなく、否認論の価値観や枠組みも批判していた。

「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実

「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実

もちろん具体的な否認論を相手にせずとも、従軍慰安婦問題を解説するにあたって否認論の思考への批判として成立している書籍はあまたある*1
いくら「殆ど」という留保をつけたとしても、有名な裁判でも争われたベストセラーと、第一人者ふたりの共著を無視していい理由にはならないだろう。
先行研究の矮小化と自画自賛がすぎる。これでは先に引いた鄭氏の批判が妥当だろうと感じざるをえない。

*1:むろんインターネットでも、少なくとも2005年より以前から同様の批判がなされていた。http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen.htmの「日本軍性奴隷」という項目で、1990年代後半のメーリングリストでおこなわれた論争が収録されている。