法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本の大学が脅迫に屈した問題について、大屋雄裕教授は今どう思っているのだろう

慶應義塾大学大屋雄裕教授が、下記のようにツイートしていた。

たぶん皮肉のつもりだと思うのだが、「想定外の事態が起きているいま」という前提はどこにいったのだろう。


この大屋教授のツイートを見て、以前に批判した下記ツイートを思いだした。

当時に私がおこなった批判は下記のとおり。
専門的な書籍から引いた用語解説が後年に不正確とされた時、大学をやめる必要があると主張する人々 - 法華狼の日記

警備のコストを理由にすれば、大学が脅迫に屈することも許容するらしい。しかし非常勤講師に対しては言論で闘うコストを要求するらしい。そのような態度こそ脅迫者の利益になると思わないのだろうか。

そもそも紹介したように、朝日検証でも植村記事について解説されていた。充分ではないにせよ、記事を掲載した新聞社が言論で闘ったのだ。それ以上の何が必要だと考えているのか。

このエントリでは前後して、利益相反の問題はないという事実経過が朝日検証に書かれていることも引用していた。

91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

植村記事は、とりけしのあった吉田清治証言とは関係なく、金学順証言をいちはやく報じたものだ。


私の批判エントリに対して、大屋教授は下記のように応答された。
確信的誤読犯対応(1) - おおやにき
大屋教授のエントリに対して、すでに私なりに応答もした。
「脅迫に屈しないというのは言論で闘うことが前提」「脅迫に言論で闘うというのもよくわからない」どっちだよ - 法華狼の日記

「思った以上に大屋教授は朝日検証を読む能力がなかったようだ」と氏が書いている点についても朝日検証自体の信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)のに何言ってるんだろうというレベルでしかないのに、自信満々に「大学教授の資質を疑問視」とか言えるあたりの自覚のなさも踏まえると、まあ自己の能力に対する主観的評価と客観的評価の差異がわからないんだろうと思われる。

「批判・疑問などにも対抗していない」わけではないことを、ここで大屋教授自身が証明している。対抗する言論が出されたからこそ、「信頼性を疑問視」することができるのだから。

それはそれとして、「信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)」と大屋教授が主張するからには、何らかの根拠が必要だろう。

この後に発表された第三者検証委員会の報告でも、植村記事に利益相反問題はないという結論がくだされていた。
朝日新聞社インフォメーション | 慰安婦報道検証 第三者委員会


そして今回、ほぼ同じ趣旨の文章を大屋教授のブログへ書きこもうとしたところ、たぶん機械的なエラーで書きこめなかった。
書きこむつもりだった文章を、念のため下記に記録しておく*1

批判や反論にこたえないと表明されているのは知っていますが、一点だけ。

朝日検証自体の信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)のに何言ってるんだろうというレベルでしかない


大屋教授のなかでは「言論で闘うことが前提ですがご本人がそういう対応もしていない」と「疑問視されている」はイコールなのでしょうか?
対応が充分かどうか疑問視されることと、対応をしていないと評価することは違うことではないでしょうか?


普通は当の朝日検証で「対応」されていると指摘されたのであれば、その情報の分だけ訂正して、主張をたてなおすべきだと思います。
「何言ってるんだろう」というのは質問ですか? まさか反論のつもりですか?
次のエントリで太字強調して「氏の異常な読解・推論能力に起因するものとして除外すると、やはり何も残らなくなってしまう」と書かれていますが、「対応もしていない」という主張に対して、対応しているという情報がとどけられて、それが充分か不充分かはともかく事実として対応されていることを認めたなら、その情報のぶんだけ残るものがあったと思ってほしいものです。


また、誰がどのように「利害相反」を疑問視しているのか、まったく根拠が出されていません。
朝日検証を読めば、少なくとも利益相反問題についても事実経過が書かれていることがわかるはずです。それでも疑問視されていることを当然の前提にしたいなら、少しは根拠を出す努力をされたらいかがですか?
一応、大屋教授が読んだ可能性がある主張を見つけて、下記エントリにまとめましたが、とうてい信頼すべき内容ではありません。
大屋教授の疑問視について、第三者の情報を求む - 法華狼の日記


それに妥当かどうかも不明な「疑問視」をもちだして、何の意味があるのですか?
私も大屋教授の資質を疑問視していると表明したのはこのエントリにあるとおりですけど、疑問視しているからといって大屋教授が言論でこたえていないとは思いません。 
ちなみに第三者検証委員会による報告でも、植村氏の「利害相反」は問題になっていません。

このコメントで書いたように、大屋教授自身は批判に対して「対応」しない方針を表明したことは知っている。
しかし第三者が大屋教授のブログで読む可能性を考えながらコメントしたので、今回はトラックバックを送ることにした。

*1:転載時、引用符を引用枠へ、URLアドレスをはてな記法を用いたリンクへと改変した。また、「次のエントリ」とは確信的誤読犯対応(2・完) - おおやにきのこと。