法華狼の日記

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朝日新聞を検証する第三者委員会を検証する第三者委員会が必要だ

朝日新聞従軍慰安婦報道をめぐる第三者委員会による報告書が公開された。
朝日新聞社インフォメーション | 慰安婦報道検証 第三者委員会
全体として朝日新聞にメディアとしての重い責任と自覚を強く求めている。署名記事にすることで後年に検証しやすくするべきという提言などは、従軍慰安婦問題にとどまらず報道の標準になってほしいくらいだ。


しかし公開された報告書の全文を読んでいくと、いくつもの疑問符をつけざるをえない。
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf
相互に矛盾するような提言もあるし、はっきり事実誤認している部分もある。


特に目立つ問題は、北岡伸一委員の個別意見だ*1

 今回の従軍慰安婦報道問題の発端は、まず、粗雑な事実の把握である。吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。
 類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

この個別意見は報告書本体と矛盾がある。混同を論じた部分を読むと、当時は広く見られた間違いであるという朝日検証を追認しつつ、研究が進んでいないことは注意深く説明するべきだったと結論しているのだ*2

1991年から1992年ころにかけ、急速に「挺身隊」と「慰安婦」の相違が意識されるようになるまでは、両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があったことは事実であると解され、2014年検証記事の記載に誤りがあるとは言えない。
 しかし、報道機関としては、記事の正確性に十分配慮すべきであり、研究が進んでいない事項については、読者の誤解を招かないよう注意深く丁寧に説明する必要がある。

そしてApeman氏に指摘されているように、「百人切り」については端的に事実誤認をしている。
これが21世紀の「進歩的文化人」(by 西尾幹二)だっ! - Apeman’s diary

当時の報道では「どうやって確認するのか?」という当然の疑問に対して、当番兵をとっかえて数えさせるんだ、というそれなりに合理的な「審判」の方法がちゃんと紹介されていたことは、当ブログの読者の方ならご存知かと思います。

そして戦争中の勝手な行動や、将校によるゲームが可能だったこと自体も、朝日新聞を始めとした戦後の報道や研究が明らかにしていった。これは名誉棄損裁判でも被告となった朝日新聞に妥当性が認められ、原告側の稲田朋美弁護士の適格性を疑わせる結果となった。
それでも「百人切り」は従軍慰安婦問題と直接には無関係だ。しかし、よりによって第三者委員会で検証対象となった朝日検証についても、はっきり事実誤認している*3

 今年8月5日の報道で朝日新聞は強制連行の証拠はなかったが、慰安婦に対する強制はあり、彼女たちが悲惨な目にあったことが本質だと述べた。それには同感である。
 しかし、第1次安倍内閣当時、安倍首相が強制連行はなかったと言う立場を示したとき、これを強く批判したのは朝日新聞ではなかったか。今の立場と、安倍首相が首相として公的に発言した立場、そして河野談話継承という立場とどこが違うのだろうか。

それでは朝日検証で強制連行をとりあげた部分を見てみよう。
強制連行 自由を奪われた強制性あった:朝日新聞デジタル

日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

証拠がなかったことと資料がないことは違う。その上で、資料による証拠がある事例も指摘している。朝日検証を「強制連行の証拠はなかった」と要約するのは事実誤認だ。
安倍首相の否認は朝鮮や台湾に限定しないものであり、吉田証言に依拠しなくても批判することができる。事実誤認であるため、雑誌『諸君!』で秦郁彦氏からも「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません」*4と批判されていた。
北岡委員の適格性を疑わせるには充分といえるだろうし、研究者としての資格にも疑問符をつけざるをえない。もともと北岡委員は歴史学者であり、しかも日本陸軍や政治史を研究していた*5。自身の専門領域で明らかな事実誤認をしていることに目を疑う。


北岡委員個人にとどまらず、報告書本体でも事実誤認が見つかる。
一例として、波多野澄雄委員が論じている「国際社会に与えた影響」がある。
全体としては、そう問題のある内容ではない。吉田証言や朝日新聞の影響力は低いと評価し、安倍晋三首相をはじめとした問題性を否認する主張が国際社会の反発をまねいたと指摘している。
しかしグレンデール市の慰安婦像について、韓国側と日系市民が論争していたという記述がある*6

議決に際しての公聴会の論争構図は、日系市民が慰安婦は強制的に駆り出されたのではない、として強制性を否認し、韓国側は日本政府が性奴隷の管理・運用への関与を河野談話で認めていることから、性奴隷の事実は世界の女性の人権擁護の象徴として少女像を肯定する、というものであった。

これは2014年3月に国内各紙が報じていた。そこでは朝日新聞産経新聞もふくめて、日系人団体は慰安婦像の建立に協力していたこと、提訴を起こしたのが在米日本人であることを指摘していた。
グレンデール市に見る、日韓の対立ではなく人権の確立としての従軍慰安婦問題 - 法華狼の日記

http://www.asahi.com/articles/ASG2V4QB5G2VUHBI012.html

在米日本人らの団体が撤去を求めて提訴したことに対し、反発する日系人らが25日夜、同市議会で代わる代わる異議を唱えた。

国際社会の従軍慰安婦認識を理解するならば、現地に根づいた日系米国人と、それと異なる共同体を形成している在米日本人の違いには注意を向けるべきだろう。
波多野委員の筆致には中立であろうとする意図が感じられ、しかしそれゆえに報告書の長所をつぶしている部分もある。いずれ新しいエントリで指摘したい。


何より報告書の問題は、「強制連行」という言葉についての検証を充分おこなわないまま、全体の論を展開していることだ。この問題は植村隆記事を論じた部分で端的に表れている*7

植村も、あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で「連行」という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった旨説明している。
 しかし、前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、「だまされた」と記載してあるとはいえ、「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。

イメージを根拠にして書かれていないことを読みとられてしまい、安易や不用意と批判されてしまう。記者とは大変な仕事だと感じるが、それは表現者の負うべき責任ではあろう。
しかし朝日新聞以外で、同じような事例に「連行」どころか「強制連行」という言葉を使った新聞記事がある。「だまされ強制連行『慰安婦』に」と小見出しにした共同通信の配信記事が、1975年に存在するのだ。
慰安婦を騙して集めたことを、1975年の新聞記事は「強制連行」と表現していた - 法華狼の日記
そして強制連行の印象をかたちづくったと指摘されている吉田清治著作でも、「専業の周旋人」による「わずかな前渡金で朝鮮人をだまして集める」ことを強制連行にふくめていた。
吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を読む - 法華狼の日記
そもそも北岡委員批判で示した朝日検証記事でも、強制連行に広い意味があったことを詳細に指摘していた。
強制連行 自由を奪われた強制性あった:朝日新聞デジタル

秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注?。

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注?。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注?=、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

 こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注?=と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注?=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

もともと強制連行は騙す手段もふくめて労働者を集める政策を指していた。その延長上に吉田著作や軍関与という争点がある。
報告書の基盤とするからには、「強制連行」という言葉に対する「社会通念あるいは日常の用語法」がどのように変遷していったか、くわしく検証する必要があったはずだ。


このように、過去の朝日新聞をふくめた多くの情報を集めて、過去の朝日新聞を検証しているはずなのに、過去の朝日新聞より誤った認識が見られる。
念のため、報告書が無意味だとはいわない。朝日新聞社内の意思決定など興味深い独自情報もあったし、くむべきと感じる意見もいくつかある。
それら長所を考慮してなお、第三者委員会を検証する第三者委員会を求めずにいられない。

*1:93頁。

*2:41頁。

*3:94頁。

*4:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070815/1187217373でくわしく紹介した。

*5:http://www.grips.ac.jp/list/facultyinfo/kitaoka_shinichi/の「主な著作・論文等」の最初が『日本陸軍と大陸政策 1906〜18年』だ。

*6:60頁。

*7:17頁。