法華狼の日記

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従軍慰安婦問題について誤った主張を掲載した朝日新聞へ、明示的な撤回を求めるべきか

朝日検証の後編となる記事がWEBでも掲載された。
慰安婦問題を考えるに関するトピックス:朝日新聞デジタル
しかし変わらず吉田清治証言の撤回ばかりが注目され、強制連行説を撤回したかのような反応まで見受けられる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140805-OYT1T50178.html

朝日新聞は当初、吉田証言などを基に、慰安婦の強制連行を問題視してきた。だが、強制連行の根拠が崩れると、慰安婦慰安所に留め置かれていたことに強制性があると主張するようになる。


まず、ひとつの証言を信用することと、ひとつの証言だけに依拠することを混同してはならない。
もともと証言で構成されるオーラルヒストリーというものは、ひとつの証言に依拠できないものだ。どうしても記憶の改変がつきまとうし、あくまで個人の視点であるため全体を俯瞰することもできない。ひとつの証言が誤っていただけで事象を否定できるならば、日本の戦災体験も多くが否定できてしまう。
東京大空襲の被災者に見る、証言の齟齬と細部の異同 - 法華狼の日記
吉田清治証言もそうだ。慰安婦名証言をはじめとして多数の証拠がほりおこされるようになった1991年から1992年にかけてApeman氏が調査したエントリがある。仕様の関係で完全な網羅とまではいかないが、朝日新聞慰安婦に言及した記事との比率で1%もないことが指摘された。
恐るべき朝日新聞の洗脳力 - Apeman’s diary

1991年と1992年の2年間について「聞蔵IIビジュアル」で調べてみました。その結果、なんと、驚くべきことに、たったの2年間で……6回もとりあげられていましたっ! 1991、2年には「慰安婦」というキーワードを含む記事があわせて874件あるのですが、そのうち約0.7%もが吉田氏に言及していたのです……。

1992年の秦郁彦調査記事で否定されるより前から、唯一の証拠とも重大な証拠とも考えていなかったことがうかがえる。おそらく証拠のひとつとして言及しただけだ。
もともと朝日新聞は吉田証言について、あくまでひとつの証拠と思っていたのだろう。朝日検証においても15年間で16件だけ、その間の従軍慰安婦記事と比べた率はさらに少なくなる。だからこそ、わざわざ名指しで訂正記事を出す必要がないと考えたのだろう。


今回もそうだ。検証につづいて朝日新聞は秦インタビュー記事を掲載している。
強制連行の有無、検証あいまい 秦郁彦さん(現代史家):朝日新聞デジタル

強制連行を根拠づける唯一の証言だった吉田証言を否定しながら、中国やインドネシアで戦犯裁判にかかった命令違反や個人犯罪の数例を引いたり、慰安所での「強制」や「軍の関与」を強調したりして、「朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない」とあいまいに逃げてしまったのは惜しまれる。

朝日検証と見比べるだけでわかるが、これは誤謬に満ちているといってさしつかえない。
強制連行 自由を奪われた強制性あった:朝日新聞デジタル

当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注?。

日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。

秦氏は、歴史学の進展も朝日検証もふまえず、自身が過去に強制連行を認めていたことの釈明もせず、吉田証言のみが強制連行の証拠だったと主張する。軍票の価値変動や、生活の実態を無視して、高給説を主張する。
しかし朝日新聞は吉見義明教授らと両論併記するように、特に批判することもなく秦記事を掲載した。対立する意見を伝え、中立的にふるまって責任を軽減させる。従軍慰安婦問題に限らず、そういう新聞なのだ。


膨大な情報をつたえる報道において、その全てをひとつひとつ再検証しつづけることは困難だ。
だから妥当と思われる新たな情報をつたえて更新し、事実上の訂正報道とすればいい。先述の読売社説も、朝日検証への産経回答も、そのように主張していた。
他紙の報道は:朝日新聞デジタル

産経新聞社広報部の話〉 当該記事では、吉田清治氏の証言と行動を紹介するとともに、その信ぴょう性に疑問の声があることを指摘しました。その後、取材や学者の調査を受け、証言は「虚構」「作り話」であると報じています。

むろん、新たな情報をつたえて更新するだけでは、たとえ横並び報道であっても無責任だという意見もあっていい。しかし更新で充分だという評価を産経新聞秦郁彦氏にはくだせるのに、なぜ1997年を最後に言及していない朝日新聞には適用できないのか。
先の秦記事についても、吉田証言報道と同じように問題視して撤回するようせまる意見は見かけない。検証不充分な証言よりも、明らかに誤っているというのに。
なのに吉田証言の明確な撤回が遅れたことだけを批判するとすれば、朝日検証で示されたことを理解できていないか、妥当性を求めているわけではないか、そのどちらだろうか。
はたして、従軍慰安婦問題について誤った主張を掲載した朝日新聞へ、明示的な撤回を求めるべきか。


一方で、情報の更新が訂正になると考えても、朝日新聞がおこたっていたことは批判できる。
朝日新聞は1990年代の一時期を除いて、従軍慰安婦問題に熱心にとりくんでいたとはいえなかった。ほぼ学問的な通説がかたまると明らかな新情報もほりおこせず、ニュースとしての価値が減じたと判断したのかもしれない。以降、大きな報道は政治的な動きがあった時ばかりだった。
捏造された「朝日新聞の捏造」?(追記あり) - Apeman’s diary

1991年以降、「慰安婦」というキーワードでヒットする記事数を挙げる。91年=150件、92年=724件、93年=424件、94年=373件、95年=494件、96年=577件、97年=757件、98年=393件、99年=194件、2000年=235件、01年=233件、02件=149件、03年=92件、04年=104件、05年=193件、06年=110件、07年=423件、08年=122件、09年=73件、2010年=59件、11年(12月21日まで)85件。

ことさら1997年における吉田証言の撤回を報じなかったように、さまざまな資料や証言を克明に報じることも少なかった。いったん報じた責任を重視するならば前者を優先してもいいが、学問的な妥当性や過去の直視を重視するならば後者を追及すべきだろう。
それこそ8月に日本国内の戦災被害を報じつづけるように、今回を機会として、従軍慰安婦問題に熱心にとりくみつづけても良い。朝日検証への反応を見るにつけ、日本兵が広範な地域で直接的に婦女子を暴力的に連行して性的暴行をくわえた事例すら、よく知られていないようだ。それどころか、そうした「強制連行」の複数事例にわずかながら言及した朝日検証に対して、「狭義の強制連行」を否定したりスマラン事件しか事例がないかのような反応がつく。
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むろん、募集時の直接的な暴力さえともなわなければ問題ないという話ではない。朝日検証にあるように、強制連行という言葉ひとつに限っても、もっと広い意味で使われてきたのだから。