法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

朝日新聞が従軍慰安婦問題を特集

大戦末期の国内被害だけを報じがちな8月において、朝日新聞が日本軍の加害にまつわる特集をしていた。過去に報じた従軍慰安婦関係の記事について再検証したものだ*1
慰安婦問題を考えるに関するトピックス:朝日新聞デジタル
いくつか過去の記述を撤回した部分もあり、それが主な話題になっているようだ。特に強制連行の一証拠だった吉田清治証言にまつわる報道が撤回されたことで注目されている。
はてなブックマーク - 「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル
ただしグレゴール・メンデルが捏造していても現代の遺伝学はゆらがないように、官憲による狭義の強制連行をふくむ日本軍の諸問題が否定できるわけではない。
朝日検証で撤回や訂正したのは、他も既存の主張を紹介した部分ばかり。解説部分を専門書から引用した時、専門書側が誤っていたため解説部分を撤回したようなものだ。もちろん情報を紹介しただけでも責任は負うわけだが、その時々に歴史研究を踏まえたこと自体は否定されるべきことではない。


朝日検証の多くにしても、現代の学説にそった内容で、残念ながら歴史研究への新しい知見は見当たらない。従軍慰安婦が軍用性奴隷とみなされる立場におかれていたことは改めて確認されつつ、日本政府の方針を転換できるほどの部分は良くも悪くも存在しない。
しかし、戦後における歴史の受容については新しい指摘がいくつもあった。朝日内部の取材経過や記者の感想、各新聞紙の報道との比較は興味深いものがある。
特に縮刷版のない産経新聞を検証し、1993年時点で吉田証言に価値があると評していたことを発見したのは、新聞社が本格的にとりくんだからこその成果だろう。
他紙の報道は:朝日新聞デジタル

産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に「人権考」と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」というものだ。
 同年9月1日の紙面で、「加害 終わらぬ謝罪行脚」の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。

しかし、産経新聞でも大阪版はそれなりの人権感覚を持っている一例と感じられ、むしろ好感を持った。記事全体を確認できないと断言できないものの、性的暴力をふくむ公権力の問題において、被害証言をあげることの難しさを理解している筆致に読める。機会があれば特集全体も読んでみたい。


いずれにせよ撤回部分もふくめて、当時の朝日新聞なりに熱心な報道をおこなっていたことはわかるが、独自に責任を持てるような部分がほとんどない。
単独で報じたといえるのは、副官通牒と呼ばれる軍関与証拠資料くらい。しかもこれは先日の河野談話検証で、直前に日本政府が把握していたと報告された*2。朝日検証でも指摘されている。
「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握:朝日新聞デジタル
慰安婦と挺身隊の同一視、加害証言として注目された吉田清治著作、実名の被害証言として注目された金学順証言、どれも既存の著作や活動を紹介したものだ。先述の朝日検証でならべられているように、前後して他紙も報じていた。
従軍慰安婦問題において朝日新聞が突出して報じていたかどうかも疑問が残る。たとえば15年間で吉田清治氏について16回報じたという数は*3、ここ最近に産経新聞が「テキサス親父」を報じた数と同じくらい*4。少なくとも日本兵だった加害証言者と、当初から明らかなデマゴーグを発している非当事者*5、どちらを報じるべきかは比べるべくもない。


ちなみに、従軍慰安婦問題において日本軍の責任を軽視する唯一といっていい歴史学者も、一時期は朝鮮人慰安婦をふくめて「強制連行」に近いという見解をとっていた。
強制連行 自由を奪われた強制性あった:朝日新聞デジタル

当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注?。

注? 「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本 総解説」(自由国民社、1985年)

なお朝鮮半島ではない複数地域においては、官憲の直接的な強制連行もあったことが歴史研究で明らかにされており、そのことは秦氏も認めつづけている。
朝日検証では書かれていないが、秦氏は1993年時点の著作でも一定の強制を認め、複数の先行研究を肯定的に引いていた。
4、慰安婦は売春を強制されていなかった?

秦郁彦昭和史の謎を追う』〔下〕(1993年、文藝春秋)334〜335頁


第41章 従軍慰安婦たちの春秋(上)


 関特演は対ソ戦の発動に備え演習の名目で在満兵力を一挙に四十万から七十万へ増強する緊急動員だったが、島田俊彦関東軍』の記述や千田夏光が主務省の関東軍後方参謀原善四郎元中佐からヒアリングしたところでは、約二万人の慰安婦が必要と算定した原が朝鮮総督府に飛来して、募集を依頼した(千田『従軍慰安婦』正篇)。
 結果的には娼婦をふくめ八千人しか集まらなかったが、これだけの数を短期間に調達するのは在来方式では無理だったから、道知事→郡守→面長(村長)というルートで割り当てを下へおろしたという。
 実際に人選する面長と派出所の巡査は、農村社会では絶対に近い発言力を持っていたので「娘たちは一抹の不安を抱きながらも?面長や巡査が言うことであるから間違いないだろう?と働く覚悟を決めて」応募した。実状はまさに「半ば勧誘し、半ば強制」(金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』)になったと思われる。

この千田著作は、挺身隊と慰安婦が同一視された原因のひとつとされている。もっとも朝日検証にあるように、同一ではないが重なる存在であったことも事実と考えられている。情報のとぼしい状況で調査した先行研究としての価値まで消え去るわけではない。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタル

記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万〜7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

仮に、しかたなく未発達な先行研究をふまえたことをもって情報媒体としての価値を否定できるならば、従軍慰安婦問題において日本軍の責任を少しでも否認する唯一の歴史学者まで否定される。それでも私個人はかまわないと思っているが。

*1:以降、この特集記事を朝日検証と表記する。

*2:http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042168.pdf

*3:「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタルの朝日検証によると、「確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。」「97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。」とのこと。

*4:「テキサス親父 site:sankei.jp.msn.com/」といった文字列で検索すると、ここ1年間に限っても、多数の書評や講演記事が出てくる。

*5:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130724/1374624159