法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

産経新聞がもちだした天児都証言は、あまり従軍慰安婦問題そのものとは関係がない

千田夏光従軍慰安婦』を批判しようとして、その参考資料のひとつ「花柳病の積極的予防法」の著者の次女に反論させているのだが。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140520/plc14052016300015-n1.htm

千田夏光という作家に父が慰安婦制度の考案者のように嘘を書かれ、大変な目に遭った。平成3年ごろから、私の診察室にまで内外からいろんな人が押しかけ『民族のうらみをはらす』とか『謝れ』などといわれ罪人扱いされました」

 こう振り返るのは福岡市在住の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)(79)だ。天児によると、千田の著書『従軍慰安婦』には、戦時勤労動員制度の女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を同一視するなど63カ所に及ぶ問題記述があるという。

まず、過熱報道があったことや、その結果として批判をあびせられたという証言について特に疑問符をつける必要はない。どのような理由で報道したとしても取材対象を傷つければ反省すべきだし、一般的に家族の責任を取らせるべきではない。
しかし千田本人とのやりとりはともかく、千田著作への批判となると証言としての意味は薄くなる。あくまで関係者による考察にすぎず、ほとんど第三者と立場は変わらない。

 天児の父でやはり産婦人科医だった麻生徹男は戦時中、陸軍軍医少尉として中国各地を転々とした。昭和13年1月に上海で慰安婦約100人の検診をした経験から、14年6月に「花柳病(性病)の積極的予防法」という論文をまとめ上官に提出した。

 麻生はこの中で、検診では「(朝鮮)半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記し、その理由として日本人慰安婦より若年者が多かったことを挙げている。ただ、軍の命令で行った検診結果の一例を書いただけだが、千田はそれを論理を飛躍させてこうこじつけた。

 「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」

問題の「花柳病の積極的予防法」および関係する文章は、下記ページに転載されている。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu36.html*1

『「好人不當兵」私達日本人は中国にとって善き隣人ではなかった。我が国振りの国民皆兵を思い、又1937年の南京に想いを馳せるなら、一億の大和民族之れ皆戦犯である。…』、という麻生徹男本人が、タイプ印刷で出版した「戦線女人考など」の序文が入っている。こうした視点があったから出てきた資料であろうが、花柳病のみならず、「慰安婦」に対する当時の実態や考え方を知ることが出来る貴重な資料だと思う。

ただ健診結果を記しただけで終わっているわけでなく、提言をしていることも指摘されている。産経新聞の引用範囲は不充分なのだ。

朝鮮人半島人)娼婦(従軍慰安婦)は皆若く花柳病は極めて少ないが、日本人の娼婦(従軍慰安婦)は、花柳病の「急性症状」こそないが、大部分が20歳を過ぎた経験者であり 「既往花柳病ノ烙印ヲオサレシ、アバズレ女ノ類ハ敢ヘテ一考ヲ与ヘタシ。此レ皇軍将兵ヘノ贈リ物トシテ、実ニ如何(イカガ)ハシキ物」であると非難している。そして、「戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス」というのである。そこに、多くの朝鮮人少女がその被害者となった理由が存在するといえる。

わざわざ戦後に著書で公表したことから麻生徹男本人が反省していたことは本心なのだろうし、「花柳病の積極的予防法」の結論で性的ではない慰安施設を求めていたことも有名だが*2、当時の軍医として日本軍の意向にそっていたことも事実なのだ。


そして産経新聞記事のもとになったと思われる天児都本人の記事を読むと、さらに首をかしげる内容だ。
http://www.tokibo.co.jp/vitalite/v1999.html
上記ページの「慰安婦問題の問いかけているもの」というリンク先のPDFファイルで千田批判が書かれているのだが、「問題点をあげてみます」として列挙された項目が、冒頭から的外れなものばかりなのだ。
http://www.tokibo.co.jp/vitalite/pdf/no32/v32p05view.pdf

(1)従軍と慰安婦を結んで造語をしたこと――従軍看護婦など軍属の身分を表す用語と並べて「従軍慰安婦」という造語にしたため、従軍には強制の意味が含まれるので、これが容易に強制連行に結びつき、強制連行が性的奴隷を想像させ、現在の混乱のもととなっています。

従軍カメラマンや従軍看護婦や従軍牧師も、全て強制されたと考えるのだろうか。それに千田著作以前にも「従軍慰安婦」という言葉を用いた雑誌記事がある。

(2)根拠なしに強制連行と結びつけたこと――支度金1000円を払って連れて来たという文中に強制連行されたと書く矛盾があります。

支度金を払えば強制連行ではないという理屈はおかしい。強制には甘言でだます方法もあれば、借金でしばりつける方法もある。たとえば中国大陸山西省での日本軍による集団性的暴行では、拘束した被害者へ金銭をわたしていたという証言もあるのだが、だからといって相手と対等な商行為をおこなった証拠にはならない。
これ以降に書かれた「問題点」についても、すでにscopedog氏の下記エントリで批判がおこなわれている。著者との行き違いがあったという証言を除けば、第三者でも否定できるような考察ばかりで、新聞がわざわざとりあげる意味はない。
千田夏光氏を「朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説」提唱者のように仕立て上げるWikipedia - 誰かの妄想・はてなブログ版


また、クマラスワミ報告の根拠のひとつとなったジョージ=ヒックスの著作に対する批判もあるのだが。

ヒックスは日本語はできないと言い、この本はゴーストライターの韓国人Hye Kyung Leeが書いたと言いますが、私はこの人の取材を受けたことはありません。文献が沢山並んでいて索引もついて立派な学術書のようですが、文献は千田夏光の本とそれをマゴ引きした著書のものばかりです。

日本語ができないという伝聞は、おそらく秦郁彦著作に書かれた誤認にもとづいているのだろう。
どくしょのじかん 5 - Stiffmuscleの日記

序文によると、著者は日本語が読めないので、東京大学の高橋教授に頼んで在日韓国人女性のユミ・リーを紹介してもらい、彼女が日本の運動家たちから資料をあつめ(おそらく英訳もして)送ってくれたとある(2)。

上記のように秦著作に書かれているが、Stiffmuscle氏の引用した序文全体を読んでも、翻訳して資料を送ってもらったとあるだけで、ヒックス本人が日本語ができないとは書かれていない。
ゴーストライターが書いたという伝聞は、ひょっとして下記のように序文で明記されていたことが元だろうか。

まもなくLee Yumiさんと出合うことができた。Leeさんは在日朝鮮韓国三世である。Leeさんは、面識がある運動団体を通じて、慰安婦ついて書いてあるものをほぼ全て集めてくれた。本書の著述に使われた素材(その多くが極めて曖昧なものだった)の80%はLeeさんが見つけたものである。

しかしHye Kyung LeeとLee Yumiでは名前が異なる。慰安婦の話題にしぼって検索した範囲では、「Hye Kyung Lee」は天児都記事の転載として登場するか、大阪経済法科大学の李恵慶論文が引っかかるくらい*3
ちなみに2002年のアジア女性基金フォーラムのパネリストとして「KIM Hae-Kyung」と「LEE Kyung-Jae」の名前が並んでいるのだが、これとの混同もあるのだろうか。
http://www.awf.or.jp/pdf/0172.pdf


過熱報道によって受けた痛みや、資料を無遠慮に使用されたことは、少なくとも主観的には真実なのだろう。父親への批判を避けたい心情も理解はできる。
しかし天児都記事を読んでいると、遺族を矢面に立たせて日本軍を擁護しようとする各種訴訟のことばかり思い出してしまう。

*1:引用時、文字色変更を排した。

*2:吉見義明『従軍慰安婦』53頁等でも言及されている。

*3:ライダイハンについての韓国メディア内の受容が論じられており、これはこれで興味深い内容だった。http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/review_2013-03.pdf