法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

TVアニメ『蟲師』の風変わりな物語構成と、主題を設定で支えるということ

生と死のはざまにある超常の生物「蟲」。それによって狂わされる人々の顛末を、各話完結で描く物語。
印象としては明治初期らしき時代の日本各地を舞台とした、架空の昔話といったところ。蟲を操る蟲師の青年ギンコは、事件にかかわり解決の手助けをするものの、たいていは傍観者であり解説者にとどまる。


月刊アフタヌーン』に連載されている原作マンガはエピソードをいくつか見たのみ。第一話はインターネットで試し読みできる。
蟲師 / 漆原友紀 - アフタヌーン公式サイト - モアイ
一方でTVアニメ前作はDVDで何度か見返しているし、今年春に始まった『蟲師 続章』も楽しんで見ているが、ふしぎと感想を書きたくはならない。正面から真面目にアニメが作られていて、語るべきことは作品で表現されきっているので、わざわざ言語化しようと思わないためかもしれない。
作画面では、基本方針として珍しい試みをおこなっている。日本のTVアニメは基本的に1秒間に8枚の絵を切りかえる。1秒間でフィルム24コマが使われるので、3コマが同じ絵になるので3コマ作画と呼ばれる。しかし『蟲師』は1秒間に12枚の絵を切りかえる2コマ作画を基本にして動きを滑らかにし、さらに蟲は1秒間に24枚の絵を入れて異様な滑らかさを演出している。
『蟲師』は2コマが基本: 編集長メモ

蟲師』では通常サイズの人物の動きは2コマが基本、ロングは3コマ、蟲関係は1コマ、口パクは3コマと決めているんだそうです。

滑らかに動くディズニーアニメでも2コマ作画なので、超常の存在として表現するには巧い技法だ。同じ監督が『惡の華』でロトスコープ技法をこころみたように、アニメーターの表現力を育てて全体に貢献する意義もあるだろう。
しかしこの技法を使いつつも各話の表現では尖ることを抑えているので、やはり語りにくい。第2話終盤の背景動画など、目を引くカットはちゃんと入っていて、楽しませてもらっているのだが。


ただひとつ、前作の時点から感じていたことがある。昔話のように語り口がゆるやかで、奇をてらった展開は少ないのに、ふしぎと物語の密度が高く、視聴後の充実感がある。
たいていの話で、これで綺麗に終わったかと思った後にも数分間ほど物語がつづき、小さな顛末が語られる。主題を強調する出来事が新しく展開するかと思えば、しばしばギンコすら登場しない後日談がおだやかに語られる。あたかも書道のような余白の美。あえて呼ぶなら起承転結承結というべき構成か。
思えば、TVアニメ『まんが日本昔ばなし』は基本的に30分枠でふたつの物語をアニメ化していた。そうした昔話のような単純な寓話を素直にTVアニメ化すると、だらりと起伏の欠けた展開になりかねない。いったん物語が終わりそうなほどクライマックス以降に語り口を抑えて、その後に小さな山を作るという緩急で、情報量を超えた密度を感じさせる。


そう思いながら『蟲師 続章』第四話「夜を撫でる手」を視聴していると、余白とは違った結末に驚かされた。それほど特異な展開ではないのだが、通常の語り口と異なることで、意外性が増していた。
この作品では珍しく理詰めな展開なので、まずは先入観なく実際に見てほしいところ。5月9日の土曜日、日づけをまたいだ24時30分まで無料配信している。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00548/v12104/
登場するのは、森の奥に住みながら狩りをおこなっている兄弟。兄の右手には目玉模様があり、甘い香りをはなって森の獣を誘いだして殺せる。しかし狩られた獣の肉は臭くて売れず、兄弟の家のまわりでは烏が飛びかっている。
兄の力は親から受けついだ蟲のもの。やがて周囲の者は早死にし、本人も人の姿をたもてなくなる。ギンコの助けで兄弟は蟲から逃れるはずだったが、兄は蟲の力を失うことを恐れ、森の中へ消える。好き勝手に獣を殺していた父、それに対する恐怖を思い出し、狩られる側に戻るのは嫌だといって。
しかし森を歩くうちに右手は傷つき、さまよいながら森への恐怖を呼びおこされた兄は、ギンコの説得もあって家に戻ろうとした。ここで物語がえ終わってもいいだろうと思われた瞬間、甘い香りに誘われた烏が襲う。蟲の力が弱まったためではない。目玉模様が血でふさがり、鳥よけの効果がなくなったため。兄の右手に宿っていた蟲は、烏の好物だったのだ。
ここにきて架空の現象ではなく、実在する原理が反映された驚きと納得感。さらに弟へ強そうにふるまっていた兄と、森を支配するかに見えた蟲が、本当は父や天敵を恐れていたというかたちで重なりあう。設定が物語の展開に結びつきつつ、だめ押しするように主題を象徴する。