法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『仮面ライダー鎧武』の「果物」「戦国武将」「ダンス」が三題話にもなっていない件について

たとえば歴史をひもとけば、若いころの織田信長が瓜を食べ歩いていたり、豊臣秀吉が瓜畑で催し物をしたりしていた。そういう引用がいつかあるかな、と思っていたのだが全く来ない。ダンス要素についても、織田信長が敦盛を舞った故事などは出てこない。
しかしここはいい。戦国要素はライダーが鎧を着るデザインと、チーム抗争部分のみに反映されているという統一感がある。


やはり問題はダンス要素の乖離だろう。珍しくダンス大会をクライマックスにもってきた第18話「さらばビートライダーズ」で、はっきり露呈してしまった。
根本的な問題として、ダンス描写自体に若者を熱狂させるような説得力が映像にない。それでいて、作中の社会をまきこむほど重要な位置づけがされている脚本でもない。
あるいは放映時期が重なっていた『獣電戦隊キョウリュウジャー』のように、変身時に踊る設定にしていれば、ダンス要素を無理なく入れつづけられただろう。ダンス技術のある人間が変身しやすいという設定にもできる。
もともとダンスはチーム抗争の一手段でしかないのだから、描写されなくても問題なく物語が進む。ライダー要素との結びつきは怪物を戦わせる「インベスゲーム」があるし、それだけが抗争の手段だったとしても問題なかった。
いっそ闘犬や闘鶏どころか、『ポケットモンスター』くらいの緻密さと存在感でインベスゲームを描くことはできなかったのか。果物を食べさせてインベスを育て、覇を競いあうような世界観。それならば果物要素とチーム抗争という要素もつながる。
しかし実際に描かれたインベスゲームは、ライダーに変身して乱入しても批判されないような、いまひとつルールがはっきりしない代物だったし、勝利してもどれくらいチームの位置づけに反映されるかもよくわからなかった。


しかし要素が乖離している問題はまだ残っている。ユグドラシルという巨大組織を敵にまわすことで、チーム抗争という要素まで2クール目から後退してしまった。
しかも先述したようにチーム抗争もダンスとインベスゲームはどちらも中途半端で、若者たちのチーム活動が魅力的に思えないので、巨大組織に反抗して若者たちの居場所をつくる意義が見えない。物語として見ても、抗争の一手段だったインベスゲームの問題性が明らかになったので、守る意義はダンスしかない。しかしダンスすることとライダーをつづけることの関連性がない。
残った果物要素についても、ユグドラシルの一員が錠前を流出させるし、果物を補給しつづけなければならないような切迫感もないし、結局のところデザインとしての意味あいしか残っていない。人間の怪物化という問題が判明したのに、なぜか棚上げされて物語が進んでいる。


もともと要素をいろいろと盛るような作品が好きではないのだが、それにしても要素ごとの乖離がひどすぎる。通常の設定に疑問点や無駄が多いので、序盤に登場した金髪少女といった謎にも興味が向かない。
仮面ライダーデザインと密接な果物と戦国武将にのみ要素をしぼるべきだったのではないか、と視聴者なりに思うのだ。果物だけに。