法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

陰謀論者の鸚鵡返し

大屋雄裕教授*1が、私を陰謀論者と評するエントリを書いていた。
リアリズムと陰謀論(2) - おおやにき*2

陰謀論の見本がこちらになります。法華狼氏の「[ネット][身辺雑記]もはや人間の言葉が通じない」(12/9)。同氏(12月7日)の「[ネット][陰謀論者]陰謀論を認めさせたい人たち」で紹介されている私のtweetが、強行採決による野党の抵抗増大や支持率低下という代償にもかかわらず政府与党が法案可決を急いでいるのは何故かという問題に対して当事者が合理的に意思決定していると想定するならばこのような可能性があると述べたものであるのに対し、後者エントリのコメント欄で法華狼氏が述べていることはまさに示唆的である......「政党が常に合理性がある行動をとるという前提が間違いですよ」。

ちなみに引用されている文章が出てくるコメント欄のやりとりは、下記のとおり*3

id:oktnzmさんへ

haarpネタとかならともかく野党関係や支持率を犠牲にしてまで今国会で成立させる合理性は表にはなさそうだから裏でなんかあるんだろうねというのが普通の推論だと思うが。 2013/12/08

政党が常に合理性がある行動をとるという前提が間違いですよ。
さらに大屋教授の場合は、その「普通の推論」を自民党以外の政党や組織には向けないだろうな、という疑惑があります。事実、大屋教授はデモ組織に対して「普通の推論」を想定していませんよね?

大屋教授は「想定」にすぎなかったと説明したが、oktnzm氏は「普通の推論」と読みとっていた。
そこで大屋教授は再掲していないが、問題のツイートをあらためて引用しよう。

これでは大屋教授が「推論」しているとoktnzm氏が読み取ってもしかたがないだろう。あくまで現実とは関係ない仮定の話だったというなら、「予測」や「推測」という言葉を用いるべきではなかった。


そして大屋教授は下記のように主張する。

敵は愚かであるか悪辣な陰謀の駒なのだと推論が展開し、その観点からすべてを説明することになるという典型的なケースだということができるだろう。なおその際、発言を文脈から切り離して「独自の意義」を付与したり客観的な数字を認識することを拒否する、というのも典型的な症例である。

「発言を文脈から切り離して」の例として大屋教授が出した、生活保護についての説明が下記のとおり*4

前者、法華狼氏の引用する私の上のtweetは、生活保護受給者ないしそれに近い層という「立場の悪化している弱者」は社会において相対的に少数であり、その支持を重視すると政治力が小さくなることになるのではないか、という趣旨のbn2氏(@bn2islander)に対し、現在の生活保護受給者はたしかに少数だとしても生活保護を含む社会保障所得再分配政策という観点で見ればその恩恵を実際に受けたり将来的に受けるかもしれないと考える層は多いだろう、だから大政党の基盤にすることができるのではないか、という趣旨を述べたものである。

ところがこれについて法華狼氏は「誰もが受給資格者になるという想定もできず、他人事のように語る。」と完全に逆さまに読解するわけだ。

反論の根拠にしている太字強調された部分だが、逆さまに読解するも何も、もともとのツイート内に明記されていない。
それともツイートの流れを見れば、太字強調された部分が文脈として読みとれるというのだろうか。大屋教授は再掲していないが、私はエントリで下記ツイートも引用している。

さらに大屋教授が生活保護に言及した発端は下記ツイートだ。もともと大屋教授は犠牲者と犠牲者を対立させて、一方を守ることを片手落ちとして批判する踏み台として利用していのだ。

大屋教授は生活保護法改正による犠牲者を「目の前でまさに立場の悪化している弱者」と位置づけ、特定秘密保護法案による「いつかどこかで苦しめられるかもしれない犠牲者」と対立させる考えに、一定の賛同を示していた。だから私は大屋教授を「誰もが受給資格者になるという想定もできず」と評価したのだ。
今回のエントリになって生活保護受給者も「いつかどこかで苦しめられるかもしれない犠牲者」にふくまれると明言しただけならばいい。bn2islander氏と議論しながら少しずつ考えを変えていったことも事実なのかもしれない。しかし、あたかも過去から一貫して主張していたかのようにふるまうのは無理がある。「発言を文脈から切り離して」いるのは大屋教授自身だろう。


次に、「客観的な数字を認識することを拒否」の例として大屋教授が出した、治安維持法についての説明が下記のとおり。

後者は、私の上のtweetについて。これは(書いてある通り)治安維持法による逮捕者が20年間で約7000人という数字の解釈をめぐるものだが、「普通に多いな」という元tweetに対してその数字が他と比較してどの程度のものかということを客観的に述べたものである。つまりならせば(この点についての留保は下のtweetでしているわけだが)それは年350件水準で現代における殺人事件(概ね年800件水準)の約半数、公務執行妨害売春防止法違反・銃刀法違反といった事件の件数と同じくらいというのは統計上明らかになっている数字の問題に過ぎない(ちなみに当時の殺人件数は現代の倍程度なので、さらに当時の視点からのインパクトは小さくなる)。

小さなことかもしれないが、大屋教授は逮捕者と起訴数を書き間違えている。
元ツイートを投下した[twitter:@SagamiNoriaki]氏が何と比較して「普通に多いな」という感想をもったのかわからない以上、客観的に他の数字と比較することはできない。どの数字と比較するかは、大屋教授の主観的な判断によって決められたのだし、その責任を大屋教授は負う。
それでは、個々人が多くの場合は衝動的に起こす殺人と、国家機関の法律下で組織的におこなわれたことを比較することが、どれほどの妥当性を持っているというのだろうか。これは大屋教授が読んでいるはずのコメント欄でも指摘したことだ。

tweetの人は《起訴率は低いが、件数は多い》という内容を述べている。だから私が後者について否定的に書いたわけであり、ちなみに前者を否定したりはまったくしていないのだが(書いていない、というのは正しい)、法華狼氏は《件数は多い》という元tweetからの文脈を完全に読み落としてしまうわけだ。

書いていないからといって否定しているとはかぎらないというのは、一般論として正しい。しかしそうなると、私が文脈を完全に読み落としているという主張にも根拠がなくなる。件数が多いという文脈によって私の読解が誤っていることが示されないと、読み落としたと評価できることはできないはずだ。

私が「インパクトは社会内部で片寄っていた」と書いた点について「治安維持法の犠牲者の過小評価」としている点についても非常にあたまがわるい。というのは社会全体として一定の件数があるものの分布を偏らせるとどうなるかというと当然ながら薄い部分と濃い部分が発生するわけで、統計上の数字ほどのインパクトを感じない人たちと数字以上に感じる人たちが現われることになるだろう。

で、まあこのあたりは戦前なり社会主義の歴史なりを一応勉強したことがあれば常識的な見解だと思うが当時において社会主義に触れたり染まったりする機会があったのは要するにインテリと都市の工業労働者であり、そして農村部を中心とする当時の日本においてそれは社会のごく一部に過ぎなかったわけである。

ここでも書かなかったことを根拠にして反論するのか、と驚かされた。
もともと大屋教授は、起訴の件数を根拠にしてインパクトは社会内部で片寄っていたとツイートしていた。その妥当性を問われたからには、起訴の件数が根拠にできるという論を立てなければならない。何を根拠にして主張していたという文脈を、大屋教授はすりかえている。
もちろん治安維持法の犠牲を過小評価したと批判することと、犠牲者数が少なくても問題だという批判は両立する。治安維持法で逮捕されただけの人数の比率で見ても、人口の過半数を超えることはない。だからこそ「いつかどこかで苦しめられるかもしれない犠牲者」を考えることや、多数決を絶対視した時に切り捨てられる少数派について思いをはせることが、人間には大切なのだ。

そういったムラの存在を踏まえて《仮に全体的には小さな被害でも一部のセクターには致命的になり得る》と主張しないと今回の特定秘密保護法案の批判などが大変やりにくいことになるはずなのだが、もちろん私が敵だという前提から出発する法華狼氏はそんなところまで頭が回らないわけだ。

「仮に全体的には小さな被害でも一部のセクターには致命的になり得る」という主張と私がどこで対立したというのだろうか。まさか「国家権力の影響が起訴にとどまらない範囲へひろがることを想定せず」という私の批判がそれだというのか。
そもそも私が疑問視してきたのは、大屋教授のふるまいだ。特定秘密保護法案と関連はしているが、まったく同一ではない。最初に主張の整合性を疑問視したのは一年半前のブログエントリとの整合性に対してであったし、最近のツイートに対しても大屋教授が特定秘密保護法案そのものはよく調べていないかのようなツイートをしていたことを考慮に入れていた。石破幹事長がデモをテロと同一視していたことについても、特定秘密保護法案の妥当性と独立して論じることができる。


以前にも大屋教授は、特定秘密保護法案に反対するデモと私が同調しているかのような前提でエントリを書いていたことがある。それは間違いだとはっきり返答したのだが。
どこに違いがあるのかしらない人たち - 法華狼の日記

相手が書いてないことを想像して「はしない本音」と評価するあたり、もはや大屋教授は陰謀論者であることを隠す気がないようだ。

私は、現在の特定秘密保護法案に反対するデモを手放しで肯定する立場ではない。

大屋教授は冒頭で下記のように私を評していた。

要するに《自己と同等だが異なる他者》の存在を想定することのできない陰謀論者の観点からすると自分の信じる結論を共有しない人間は敵なのであり

この評価が当てはまるのは、むしろ大屋教授自身だろう。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。

*2:細かいことだが、はてな記法の関係でエントリタイトルの大カッコを半角から全角へ書きかえた。太字強調やリンクは原文ママ

*3:転載時、引用符を引用枠へ変更した。

*4:はてな記法の関係で[twitter:@bn2islander]氏のツイートを独立して引用した。