法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

誠意は伝わらない

誠意 - 法華狼の日記に対して、[twitter:@chronekotei]氏から応答しないむねのツイートがあったので記録し、感想も書いておく。
前半2ツイートはほぼ私に向けたもの。後半については時間や内容から見て連続性が感じられたので紹介するが、必ずしも私に関連したツイートとは限らない。

感想を許されるなら、むろん良い気分はしない。「クネクネのダシ」にされるのがかなわないというなら、せめてその感情だけ表明するべき。そもそも勝手に読み取った態度を理由として打ち切りを宣言するべきではない。
仕事や他の返答を優先して応答しなかったり、論争を打ち切ることならば、それ自体は全くの自由だ。今回は私から言及したのだから、なおさらのこと。むしろ、わかりにくいから応答できないという返事を最初から続けても良かった。
しかし仮に私の問題点が多々あるとしても、どのような論評をchronekotei氏が述べても間違いではなくなるわけではない、ということも注意しておく。前回に指摘した「意訳」について、簡単な釈明くらいはあるかと期待したのだが、とうとう言及リンクをはらないどころか名指しすることすらやめてしまった*1


相手が悪いことと、相手に何をいってもいいこととは違う。この混同は今回の話題にからんでよく目にした。
たとえばchronekotei氏のツイートをまとめたTogetterに、下記のようなはてなブックマークコメントがついていた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/269769

id:salmo 議論, 資料
なんであの人たちがシンプルに具体論に踏み込まずに延々比喩について論じてるのかわかんね。誤読されまくる比喩なんて理解の補助線としての価値すらなかろうに。 2012/03/09

id:You-me twitter, ネット, 事故, 天災
あの比喩は失敗した比喩だ、で終わると都合が悪い人がいる説/「正しく怖れよ」という言説は絶対に許してはいけないという命題に基づいて苦労してみてるとか/正しく怖れる、は科学だけの話じゃないんだけどねー 2012/03/09

単純に「失敗した比喩だ」といった感想で終わらせていれば、異なる感想を持つ私も、特に批判できる立場ではなかった。寓話の感想というものは基本的に読者の自由であり、誤読すらも作者の責任になることが多いと私は考えるし、そう表明してきた。
しかし「失敗した」で終えず論証しようとしたり、寓話を超えた領域まで踏み込んで語ろうとしていため、私も論証の瑕疵を批判したり記憶違いを指摘しようとした。
誰が「正しく怖がれ」といったのかという問題 - 法華狼の日記
些細な間違いであって主旨に影響がないというなら、訂正するのもたやすいだろう。なぜそれをせずに批判されること自体を批難しようとするのか、私には理解できない。


なお、「クネクネ」とは馴れ合いを指す隠語だそうで、私に対する評価よりも、chronekotei氏らの態度にこそ当てはまるのではないかと思う。
クネクネとは - はてなキーワード

当初は、固定ハンドルを記名しないユーザーが多数いるいわゆる匿名掲示板において、固定ハンドルのユーザーとその周囲のユーザーが、他愛もない話でイチャイチャと内輪で馴れ合っている様子に対して、主に匿名ユーザーから浴びせられる「皮肉・嫌味」的な意味合いの強い罵倒言葉であった。

*1:その意味では前半ツイートも私に対するものではないという読解が形式的にはありうるが、対象を名指しせず批判的な評価をくわえつつ応答を拒絶する態度そのものが一般的に見て批判されることに間違いない。