法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

人権は国家に帰属することが前提の資産?

下記エントリのコメント欄で、id:iteau氏がフレキシブルな人権尊重を主張していた。
毅然とした態度しか外交カードを持たない政治家の能力 - 法華狼の日記

現状、韓国側が望む形での慰安婦問題の解決される可能性はほぼありません。この問題にフォーカスするのは日韓関係の「友好」を棄損する以外の効果はありませんが、韓国側としては原則の問題なのでやらざるを得ないのでしょう。

>自覚の有無にかかわらず、国家による外国との交渉は、外交政策として処理するという側面を必ず持つものです。現状にしたところで、北朝鮮にいるままの安否不明の拉致被害者を政治的に「処理」していることに変わりありません。


いいえ、個人の基本的な人権は絶対的に国家や社会の公共目的の干渉は許されないし許されるべきではありません。この点がしばしば、あなたや、いわゆるはてなサヨクとも評される人たちと私の認識が決定的に異なる点です。私はその点を人権感覚が欠落していると批判しているのです。

驚いたことに、上記は同じ(2011/12/28 09:59)で主張している。いわゆる「べき論」が友好を毀損する以外の効果がないと断言した舌の根も乾かないうちに、自身は「べき論」を絶対的な根拠にして相手を非難する。従軍慰安婦の人権には言及すらしない。
もちろんiteau氏の問題は「べき論」の恣意的な活用だけではない。引用されている私の文章は、iteau氏が(2011/12/27 07:56)で表明した「拉致被害者個人の人生を外交政策として処理すること自体が、不可能であると言う認識が欠けているように思えてなりません」という主張に対して、国家の交渉は外交にならざるをえないと批判したものだ。あくまで私は「不可能である」などという現実を認識できないかのような主張を否定したのであって、外交において人権を尊重するべきということを否定するわけがない。
iteau氏に引用されている(2011/12/27 08:22)の前にも私は(2011/12/27 06:48)で下記のように明言していたくらいだ。そもそも「べき論」に基づいて反論するような話題ではない。

ちなみに今回のエントリは政治能力の話をしているのであって、いわゆる「べき論」を話しているわけでもありません。もちろん、政治手腕の巧拙を論じることにそれぞれの価値観が反映されますが。

一方でiteau氏は論点をわけると宣言をしてはいない。同じ(2011/12/28 09:59)で下記のように態度の首尾一貫性を問いただしているくらいだ。

あくまで外交的な利害にプライオリティを置くべきだと言うプラグマスティックな態度を一貫してとっているならば、私は全く支持しませんけど、それはそれで論理的一貫性があるとは言えますが、慰安婦問題での評価を見ているとそうではないように見えます。

別の相手に対するコメントとはいえ、せっかく論点をわけると私は明言したのだから読んで欲しかったところ。


さて、「個人の基本的な人権は絶対的に国家や社会の公共目的の干渉は許されないし許されるべきではありません」と主張しているiteau氏だが、過去の主張と考えあわせると、「人権」のおよぼす範囲を極めて狭いものと思っているようだ。
一例として、永住外国人への地方参政権付与についてのエントリを見てみよう。
永住外国人参政権問題について - extra innings

永住外国人参政権を付与するのは国民の意思次第、いったん付与したものを廃法にしてとりあげるのも国民の意思次第である。最高裁判例はいわゆる芦部説とほぼ同様の考えである。

私自身、その考えだが、本来、参政権は、地方と国政と分化されるものではなく、憲法的にもそのように規定されていないと考えるのが自然だと思う。

それは法の基盤たる思想の問題ではなく、ごくポリティカルな問題であるに過ぎない。

いうまでもないが、参政権もまた基本的人権の一つとして数えられる。上記エントリにおいてiteau氏は「国民の意思」つまり国民主権たる日本国において、基本的人権への国家の干渉を肯定し、同じ考えだと明言したわけだ。
そして参政権という人権が剥奪された現状を肯定するために「ごくポリティカルな問題であるに過ぎない」と主張する。何のことはない、批判対象として持ち出した「いわゆるはてなサヨクとも評される人たち」の問題は、「認識が決定的に異なる」という言葉に反して、iteau氏自身の態度でしかなかったのだ。
さらにiteau氏は、拉致被害者と相似した問題である強制連行に言及しつつ、やはり参政権付与を否定する。その論理がひどい。

強制連行と参政権の付与はイコールでは結び付けられない。強制連行があったならば、謝罪と保障をするべきで、そこに参政権が登場する理由はまったくない。強制連行があったならば、謝罪と保障をしたうえで、旧居住地へ帰還させることだ。

生活基盤が日本に移って長い人に対して「旧居住地へ帰還させる」ことのみが選択肢となることに、問題点を感じないのだろうか。
拉致被害者当人が自らの自由意思で北朝鮮に残留することを希望するということですか?しかし北朝鮮においてはその自由意思を保障し実現する外的環境が無いでしょう」ともコメント欄で主張していたiteau氏だが、結局のところ何らかの国家に「帰還」するという選択肢しか思い浮かべることができないわけだ。それは「自由意志」の尊重ではないというのに。
しかも続けて下記のように主張する。

しかも最近の研究では、実際には強制連行で来日した比率はごく小さいにも関わらず、こうした主張がなされてきたことも明らかになっている。数パーセントの存在を全体に拡大することは、全称命題以外の何物でもなく、外国人犯罪者を取り上げて特定の外国人の脅威を言うことをレイシズム扱いするような人がおかしなことにしばしばこうした逆向きの全称命題を用いるのである。

仮に、強制連行の事実と地方参政権が結び付けられるとしても、その対象になるのは当事者であって、それ以外の人たち(移民や不法密入国者)が対象にならないのはもちろん、子孫が資産として継承し得るものなのかも疑わしい。

「最近の研究」という表現を始めとして、よく見かける主張の羅列なのだが、引用の末尾でついに権利を「資産」と見なすにいたる。後の「個人の基本的な人権は絶対的に国家や社会の公共目的の干渉は許されないし許されるべきではありません」という主張との整合性はiteau氏や同類の脳内でしか成り立つまい。
結局のところiteau氏が考える「人権」とは、「国民」という立場にある人間に対して「国民の意思」で付与したり剥奪したりできる「資産」にすぎないのだ。だからこそ国家への帰属意識を前提として疑わず、人権感覚が欠落しているなどと他者を非難できるのだろう。