法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『僕の妹は漢字が読める』かじいたかし著

HJ文庫大賞銀賞を獲得し、WEB公開された冒頭の試し読みで話題をさらった作品。
23世紀における「正統派文学」を作り上げ、提示した冒頭までは、やはり完璧といっていい。オオダイラ文体はなかなかリズムもテンポも良く、声優朗読CDなどを出せば素直に売れるのではないかと思ったりも。「正統派」ではない文章もさしはさまれて、作者が意図的に異なる文体を作り上げていることも強調されている。
23世紀の認識で生きている主人公の一人称もそれらしく、ラブコメ主人公のボクネンジンぶりを極端にしたようなもので、明らかな破綻は見られない。
オオダイラ文体や萌え文化以外に未来世界らしい設定は少ないが*1、テーマと関係ない無駄を削ぎ落としたと見ればいいだろう。


時間移動SFとしても定型的な描写を押さえており、ある程度まで楽しめる。
漢字が読めないことや萌え文化の需要段階で生まれるギャップ描写は、現代の萌え愛好と萌え嫌悪の隠喩にも思えてくる。23世紀の思考で生きていた主人公が、過去での文学をめぐる対立をへて、自省していく終盤は素直に盛り上がった。
23世紀人の行動が21世紀に影響を与えて、23世紀の文化を形作ったという展開も時間移動SFの王道で良い。
いかんせん時間移動をした主人公達の行動が行き当たりばったりにすぎて中だるみを作っているし、御都合主義も多いのだが、そこはまあ頭のいいキャラクターとは描写されていないので許せるところ。


しかし、明らかに話が閉じていない結末は致命的。章の終わりにさしはさまれる古典的な文体の一人称が、主人公達の行動へ便乗して世界を改変したところで終わる。世界を形作る各種設定、キャラクター説明、解決すべき問題を提示することが終わっただけ。これが大長編の『ドラえもん』であれば、まだ中盤にすぎない。
主人公達と別行動していることが終盤にはっきりするまでは、世界改変の犯人はあまり心情を表わしていない下の妹で、叙述トリックで正体を隠しているという可能性も考えたが……外面にとらわれず物語の素晴らしさを見るべきという主題は充分に消化されているが、作中で発生した問題は何ら解決していない。予想を外されつつ期待も外された。
いくつかの時間改変SFでは、最後に問題が発生して主人公達が事態収拾に向かうところで終わることもある。だが、そういう結末で発生する場合は、結末にいたる前の展開から収拾方法に見当がつくものばかりだ。
この未完ぶりのまま新人賞を獲得できたとは思いにくいところ。インターネットに公開されている選評を読むと、次巻へ続けるため受賞作に世界改変を後から書き加えたという可能性を感じた。いくらなんでも、この物語構成のままで応募したなら、話が閉じていないことも改善点と指摘されるはず。
小説賞(第5回ノベル/ジャパン大賞) | HJ文庫公式Webサイト

設定とタイトルの持つインパクトで読者を上手にお話に引き込んでいる作品。インパクトの強さだけでなく、読みやすい文章・会話のテンポの良さ・ギャグの質の高さといった作者のセンスが評価されました。
元々の着眼点やセンスは優れているので、キャラクターの個性をより強くし、作中のエピソードについてもさらに面白さを増せればよりよい作品となるでしょう。

*1:電子書籍が発展せず紙製の書籍が流通している設定まで明示されている。