法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『キック・アス』

とあるコミックオタクの高校生がいた。彼はオタク仲間とつるみながらヒーローになることを夢想し、こっそりコスプレして街の自警団活動を始める。
一方、アメコミヒーローと自らを同化させて戦闘訓練にあけくれる父娘がいた。ふたりは悪人を処刑する過程で、コスプレ高校生を結果的に救ってしまう。
現実のヒーローのようにもてはやされるようになったコスプレ高校生と、彼によって被害を受けていると勘違いする犯罪組織、その犯罪組織への復讐に燃える父娘の争いが、思わぬ方向へ転がっていく。


2010年の、ジャンルパロディ的なアメコミヒーロー物。原作は未読で、映画と主人公の結末が違うという情報だけ知っていた。
父娘の活躍、特に小柄なヒットガールの敏捷なアクションは前評判どおり素晴らしい。超常能力こそなくても『バットマン』くらいの超技術が出てくるかと思ったが、基本的に身体能力と既存の武器を組みあわせて戦う。
ヒーローパロディなのは外面だけで、どちらかというと自警団を題材としたブラックコメディアクションといった印象。コスプレ自警団は実在するし、それに『ダーティーハリー』をくみあわせたらこうなるかな、といった感じ。


そしてヒーローにあこがれるオタク主人公を痛々しく描くかと思いきや、意外とそうではない。
susahadeth52623氏のエントリによると原作から大きな改変がされ、全体としてヒーローオタクに救いを与える方向で映像化されたようだ。
正月から血まみれです キック・アス - The Spirit in the Bottle

大きな違いは以前にも述べたビッグ・ダディの動機だろう。そして次はデイヴがケイティにゲイではないと明かした後の顛末、そして今回改めて気付いたレッド・ミストのキック・アスに対する態度がある。

しかし中盤と終盤の改変を抜きにしても、映画の主人公はそれほど痛々しくない。ディスコミュニケーションを起こしつつも、気持ち悪がられるほど外見が変なわけではない。何より、恋人こそいなくても最初から気のいいオタク仲間3人組でつるんで、青春を謳歌している。母の死も引きずっていないことを冒頭で宣言している。
だから主人公がヒーローになれた結末も、それほど飛躍が感じられず、興奮できなかった。かわりにゲイフォビアを利用したギャグは、映画の結末であればマイノリティへの身勝手な思い入れだけを否定していると解釈でき、全体としては悪い改変ではないと思う。


ここで面白いと感じたのは、主人公のライバルとして登場するヒーローの改変点だ。娯楽映画らしいハッピーエンドと原作テーマを両立させるため、主人公の役割をライバルへ移しかえたと考えると合点がいく。
映画だけを見れば、ライバル役はもともとヒーローになりたがっていたし、敵でない時の主人公にあこがれていることで一貫している。実利のためヒーローを演じたのは、むしろ親に協力してもらうための方便だ。
思えばライバル役は、最初から孤独だった。友人になってやろうかと主人公が仲間内で冗談まじりにいいあう冒頭からして、オタク内でも低い立場にあることが示唆されていた。演技や服装も主人公よりオタクっぽいし、組織の支援があるとはいえヒーローコスプレの本気度は主人公以上だ。
不幸なまま結末をむかえ、ヴィランとなることを宣言する最後も、主人公のかわりにヒーローオタクの挫折をひきうけたと解釈すれば納得できる。


思えばライバル役レッド・ミストのデザインは、『Mr.インクレディブル』で主人公ヒーローにあこがれて挫折してヴィランとなったシンドロームに、少し似ていないか。

ディズニー マジカルコレクション 120「Mr.インクレディブル」シンドローム

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