自分まとめの歴史認識Togetterは微妙なものが目立つ - 法華狼の日記に対して、[twitter:@neon_shuffle]氏から応答があったわけだが、なぜか「はてサの代表格」から「喧嘩を売られた」という認識らしい。
買うと宣言するなら、せめて余さず買ってほしいところだが。
自らTogetterのタイトルに使った「朝鮮語の禁止が捏造だという証拠」が、証拠として成り立っていないという指摘への反論が見当たらないのは、なぜなのだろうか。
「基本的に学問の通説は相応の蓄積がある」と書いたとおり。日本の植民地政策において朝鮮半島の言語が抑圧されたことは、歴史の通説となるまで証拠が積み上げられている。そもそも、いっさい言語に対する抑圧がなかったという朝鮮半島史専門の歴史学者は記憶している限り存在しない。肯定と否定が同等の立場であるかのような「肯定派」という表現自体が感心しない。
「肯定派から一切の証拠が提示されておらず」というのは、単に朝鮮半島史関係の書籍やドキュメンタリーへ目を通していないだけとしか思えない。インターネット上の論争で求めた証拠が提示されなかったのならば、すでに通説としてかたまっていることへ新たな証拠を提示する意味を相手が感じなかっただけだろう。
少数存在しても「徹底的に弾圧され」という主張ができるのならば、やはりTogetterで示した「朝鮮語の禁止が捏造だという証拠」は証拠として成り立っていなかったことになる。
私は「ネオンシャッフルは嘘つきなのにこれを糾弾しないのがおかしい!」とは一言も主張していない。いなされても文句をいえる立場ではないという指摘をした程度だ。
どちらかといえば、neon_shuffle氏へ素直に賛同している側が、意見には賛成でも過去の過ちに留意するという態度をとっていないことへの生温かい視線を示したつもりだ。はてなブックマークとの温度差も記録しておきたかった。
後半の自己弁護は、正直いって見苦しいと思わなくもない。自分より悪い者がいると主張しても、自分の悪さを消せるわけがない。もし「在日朝鮮人の強制連行」が嘘だったとして、独立してneon_shuffle氏を批判することができる。「謝罪が完了している」という主張にいたっては、騙られた人物の全てが謝罪を受け入れたという証拠でも出せるのだろうか。
もっとも、neon_shuffle氏が謝罪の弁を述べたこと自体は特に否定するつもりはない。それ単体では正直者だという評価をしてもいい。問題となるのは、今後に論争相手に値するかどうかの信用性だ。意図的に騙ったと称しているからこそ、今後も騙りを行って一方的な謝罪をしてすませる可能性が残る。
そして現在に起きていることを指しているらしい「被災地で外国人が犯罪を犯してる」という主張が正当化されうると語るツイートにいたっては、そもそも私が「刑事裁判と歴史学の混同」を批判していることが読めていないとしか思えない。無制限に「疑わしい主張」をしていいなどとは一度も主張していない。
だいたい「自縄自縛」という言葉は、自身の主張で自身が身動きとれなくなることを指すのであって、関連性を示していない他人の主張を持ってきても意味はない。関連性どころか、いかなる文脈で「被災地で外国人が犯罪を犯してる」という主張が批判されているかの説明すらない。
実際は私自身も「被災地で外国人が犯罪を犯してる」という類いの報道記事を批判したことがあるが、ここでの「疑わしい主張」を「それなりの合理性」と評されるのであれば、失笑をもって返すしかない。
尖閣諸島衝突事件の映像を漏洩した元海上保安官が、「善良な市民」になっていた - 法華狼の日記
前者は虚言をろうしていたと仮定しても、家があったと自己申告しているのだから照らし合わせて調査するのは容易だろう。あえて皮肉としていえば、現実に可能性を考慮すべきは外国人より日本人が詐称する場合だろう。
後者にいたっては、その場所にいただけで「犯罪」と呼ぶ思考こそが恐ろしい。もし外国人であったとして、ただたたずんでいた老夫婦に何の罪があるといえるだろうか。