法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『Boichi 作品集 HOTEL』

韓国出身のマンガ家BoichiによるSF短編集。マンガ雑誌で掲載された作品と、コントのような2頁のショートSFが楽しめる。各短編はテーマや世界観にゆるやかな繋がりを持ちながら、いったんコメディタッチな内容に流れ、やがてキリスト教に題をとったファンタジックな物語へ移行していく。


HOTEL-SINCE A.D.2079-』は表題作。滅亡に瀕した人類が、人類遺伝子の「箱舟」を宇宙に飛ばした一方で、他の生物遺伝子の「HOTEL」を地上に残した。その「HOTEL」の支配人となった人工知能が、温暖化で金星のように変化した地球上で遺伝子を守りゆく年月を描く。古典的なSF設定から始まるシンプルなプロットでつむがれる、人類に生み出された人類とは異なる知性の独白が、緻密な画力によって描かれる。急転直下の結末には藤子F短編の某作品を思い出した。
『PRESENT』はホワイトクリスマスに始まる恋愛劇。古典的な難病物にSF設定を導入し、表題作と同じように久遠の時を超えて繋がる心の交感を描き出す。真相はあからさまだが、登場人物がどこで真相に直面するかが物語の肝なので問題はない。
『全てはマグロのためだった』は、いかにしてマグロという種を再生するか奮闘する学者の物語。マグロを追い求めた結果として、どんどん別のSF的ガジェットが生み出されていく展開が楽しい。状況の大きさと反比例するように矮小な動機で動く人間達が、藤子F短編後期を思い出させる。ただ、マグロを食べたいだけなら遺伝子的に生物として再現するより人工的な味や臭いだけ再現するのが楽だろうし、その方向性が選択されなかった経緯も物語に組み込んでほしかったかな。
『Stephanos』は不倫で妊娠したと思われた少女をめぐる物語。あえて分類するならSFホラーだろうか。SFファンの多くが一度は思いつきそうなネタを、実際に高いレベルのマンガ技術で完成させたといったところ。
『Diadem』はフルカラーで描かれた、神話の再解釈作品。オチもふくめてオーソドックスな内容だが、作者の技術力が最も良くマンガとしての見映えに繋がっている。


一見して壮大なSF設定と真面目な物語を展開しながら、個人の矮小さと常識がいかに相対化されやすいものかを引いた視点から見つめる物語に、藤子F作品に通じるものを感じる。SF設定としては特に目を引くような新鮮味はなかったが、まずまずの佳作。
HOTEL-SINCE A.D.2079-』に対してバカバカしい救いを用意した『全てはマグロのためだった』、『Stephanos』と同じ神話体系を異なる視点から描いた『Diadem』と、連作としての趣向も楽しめた。


絵は基本的に巧くて緻密で、それでいて視点誘導がきちんとしていて、読み進めやすい。少女も青年も必要に応じて美しく描かれ、SF的な機械群のデザインも目新しくはないが駄目ということもない。
ただし緻密に描き込まれたリアル気味な作画と、一昔前なデフォルメのコメディ作画が、少し食い合わせ悪かった。真面目な物語に唐突なギャグ描写が違和感あるということではなく、デザインとしてのマンガ絵を使いこなせていない感がある。日本のマンガとは別の流れから来た作家だからかもしれない。