法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

西村修平氏は典型的な転向左翼としか感じられない

話題ごとに前後しながら発言を引用し、批判をくわえていこう。
独占インタビュー:『ザ・コーヴ』上映中止を主張する「主権回復を目指す会」の西村修平氏がすべてを語る|「右左関係なく、無気力が日本のすべてに貫いている」メディアに出る事のなかった西村氏に独占インタビュー - 骰子の眼 - webDICE
興味深かったり意外に思う部分もある。しかし全体としては、湾岸戦争の時期に日本の取るべき立場を問われて、まともに反論できずあっさり転向した藤岡信勝氏を思い出させる。

それまで、日本の保守の方達というのは、行儀がよすぎるというか、自己表現が極めて下手、下手と言うよりメンタリティーが弱い、弱いから大衆の前に出る事ができなかったんですよ。自分の意志を街頭に出て表明するということができなかったんです。ましてや日の丸を持って街頭に立つということは、右翼と言われるからもう恐くてできなかったわけです。

昔から大音量で走りながら様々な主張を叫んでいた街宣車の存在が忘れられている。右翼活動家によるテロリズムも、戦後に限ってさえ複数あるのに。

これはすでにちょっと遡れば10年前の女性国際戦犯法廷(2000年)、これは慰安婦強制連行が世界に定着させた最大のでっち上げだったけど、その時にこれだけひどい現実が起きているんだから日本の保守の人立ち上がって下さいと、保守や右側陣営に呼び掛けた。 だけど、まったく誰一人として立ち上がらなかった。それで僕は日本会議の知人を通して、平沼(赳夫)さんとか中川(昭一)さんだとか安倍(晋三)さんあたりにいろいろコンタクトを取って反対やってくれといったけど、まったく無視されました。

この言説が歴史学的に見て明らかな誤りであることはさておき、産経新聞文芸春秋週刊新潮といった様々な媒体への言及すらない。
つまるところ西村氏は狭い視野でもって活動をしていたから、対立していた活動の存在感を過小評価し、あたかも弱者であるかのように見なし、助ける理由としているわけだ。その助ける過程において、被害者意識に立ちつつナショナリズムの高揚を得ていただろう様子も容易にうかがえる。後段においては「自分達が今、はっきり言って我々は絶滅を免れた日本人という希少品種。」などという発言まで飛び出すのだから。
もちろん自身が所属していた左翼活動に対しても無知だったのだろう。そうでなければ慰安婦強制連行が女性国際戦犯法廷で定着したなどという、従軍慰安婦論争史への明らかな無知をさらけ出すはずがない。強制連行の史実を主張していた歴史学者はもちろん、抵抗し反発した歴史修正主義者に対してすら失礼といえる。
そして後段における同様の主張で、西村氏が全くの無知から発言していることが明らかになる。

慰安婦強制連行の時にだって、まったく日本の保守が抵抗もできなかった。 この女性国際戦犯法廷が一般的に知られたのは、安倍晋三中川昭一NHKの番組に介入したと大騒ぎになったからで、その時に日本の保守派が何を言ったかと言うと、チャンネル桜系から始まって何から何まで「いや、情報に疎くて当時知らなかった」「まさかそこまでとは思わなかった」「あの時代はまだインターネットも無かった」と言い訳しました。じゃあ今回はどうだと。今から10年前に比べたら情報量は100倍、1,000倍ですよ。 だけども同胞が精神テロに合っているにも関わらず立ち上がらない。ということは、今の日本の保守派は現実的な問題がこれだけあってもそれをパスするんですよ。 日本会議はなんにもやらない。朝日新聞毎日新聞が社説で論ずる「表現の自由」絶対主義に対して、産経が社説で体を張って論ずるということはしなかった。


これまで同調してきた他の政治活動に対する批判も西村氏は行っている。

それと同じように今、日本人が、日本民族がどういう状況に置かれているのかということを客観的に把握することを徹底して勉強会をやっていきたいと思う。 宴会保守のような、酒飲んで支那人朝鮮人の悪口を言って悦に入るような勉強会じゃなくて。

ですから、ネットの保守運動とか在特会在日特権を許さない市民の会)のような、ただ人を呼び集めてデモやって、はいそれで終わりますというような、花火のような運動とはこれからは決別するということです。

額面通りに受け取れば立派な主張と読むこともできるだろう。
しかし、裁判沙汰を起こしたために西村氏が在特会側から切られつつある経緯を知っていると、互いに不都合となった味方を尻尾に見立てて切断しあっているように感じられる。


なお、西村氏という運動家の主張を公に広めてしまっている危険を考慮しても、この記事自体は素晴らしいものだと感じる。普段は知ることがない主張をくわしく得ることができるという意味では、映画『ザ・コーヴ』と同じような素晴らしさだとすらいえるだろう。
聞き手も「──でも今の話を聞いていると西村さんは、極右ではないですよね。」と極右の基準に首をかしげるところこそあるが、「第三段階で中国の侵略に対して」「主権回復という意味では、アメリカに主権を委ねている事にならないですか。」という矛盾を指摘し西村氏から訂正の意を引き出したりと切れ味は悪くない。
特に素晴らしいのが、西村氏の考える「体制」についてのやりとりだ。

左翼を一般的に論ずれば、旧社会党系左派の方達はどうなのかといったら、現在完璧に日本の国家権力、政権与党の中枢に入り込んで、権力を握っているわけですから、これこそ保守派でしょう。辻元清美とか福島瑞穂は権力を掌握した体制派で、対立する我々は革新派、被抑圧側の構図となる。

これはまだしも社民党と現政権との協力維持が報じられていた時期の発言と擁護することはできる。しかし、ただ政権与党の一つどころか、官房長官という要職にあった安倍氏との同調を語っている場面との整合性は感じられない。

──でもマイクでしゃべっている時はしょっぴかれないですよね。

それは僕らが常に反体制派にいるわけですから。今共産党とか社民党とかそういう人達が体制派にいるわけであって。われわれはこの社会に異分子として存在する反体制分子です。

この応答は、見たところ全く話が繋がっていない。「しょっぴかれない」という指摘はどこに消えたのだろうか。
そして続けて聞き手による端的な指摘と、その応答が面白い。

──まだ共産党は野党ですけれど。
それは革命を放棄したけど、政党助成金ももらっていないからね。例えば今回話題になった(リック・)オバリーにしたって、日本政府から査証を貰って入国して。しかも警察もオバリーがここに住んでここに泊まってということがわかってて、我々から彼の安全を守ってるわけですよ。ということは、政府の国家公認の元でオバリーが来日、環境テロリストの来日を認めている。 政府公認で長崎大学やらいろんな所で反日の活動をやっているわけです。それに対して僕らは当然何らかの反対のアクションをとったりすれば、行為そのものは反体制運動でしょう。だから常に我々は反体制派に置かれている。だから僕はそれをいって革命派だよといってる。

思いっきり共産党から話をそらしている。ここまで堂々としていると、いっそ清々しい。そもそも「政党助成金ももらっていない」は反体制的な態度としか思えないのだが。


最後に、太地町を勝手に助けつつ、正当性のアウトソースに利用する主張にこそ、実は最大の誤りが隠れていることを注意しておこう。

要するに朝鮮人や韓国人がこれだけ乗り出してきて万引き働くやら何から何までやっているという問題に対して、それで僕らが活動をやると対馬の島民は「あなたがたの言っていることはわかるけど、あなた方が来るとうるさくて、子供達が怖がるから止めて下さい」っていう。おそらく僕らがいま太地町に行ったら同じ事を言われます。

──太地町とは何かコンタクトは取られているのですか。

市役所とあと漁協にも一回電話しました。でも僕は完全にもう失望ととてつもないむなしさを覚えたので。

──その時の反応はどうだったんですか。

表面的には応援をありがとうございますとか、いろいろな感謝を言っていましたよ。だから僕らは東京でこういう風にやっているから、だったらあなた方が2、3人でもいいから東京に来てアンプラグドに行って、漁民である私達をいじめないでください、私達の生活を破壊しないで下さい、といえばそれでもう決着つきますと言ったんです。でも彼らは「いや、そこまではできない」と。

これは太地町の民をサバルタンとして扱う、政治運動としては最も配慮すべき事柄を怠った態度でしかない。以前にも他の映画感想で簡単に言及したが*1、イルカ保護運動家がイルカを弱者として利用する態度と、その問題の方向性において差異はない。
たとえ言葉を借りてもそれ自体は過ちではないが、その言葉を発した主体が自らにある責任は引き受けなければならない。