法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』水たまりの怪魚/宇宙人の館

前半は原作のアイデアを使ったアニメオリジナル、後半は原作のアイデアを忠実に映像化。


「水たまりの怪魚」は、のび太のパパとスネ夫のパパが、釣りで競争。ただの水たまりにドラえもんが秘密道具で魚を放流したことから、大騒動に発展する……
リニューアル後にもアニメ化された「水たまりのピラルク*1を大きく改変。野比家と骨川家の父親を競争させ、別の原作「海坊主がつれた」*2の物語をおりこんでいる。しずちゃんが最初からのび太といっしょにいるところもポイント。
しかし、物語としての面白味は弱い。秘密道具で食材を元の生物一体に戻す描写ばかりをふくらませ、とにかく画面を狂騒的に映えさせるだけで、スコシフシギな物語があるとはいえない。映画『新日本誕生』で登場したトレアドールをつかって牛や豚を働かせる描写も、尻尾をつかむという描写で絵としての説得力に欠ける。


「宇宙人の館」は、ひとけのない洋館に宇宙人がいるという噂をスネ夫たちが語り、のび太が笑いとばす。そこで深夜の洋館に潜入し、謎の正体を確かめると……
怪奇SFのように雰囲気をもりあげつつ、短編ミステリのように合理的に解決し、両方が負けたと考える皮肉なオチにいたる。なかなか印象深い佳作だった原作を、現代ならではの説明をアレンジで入れつつ忠実に映像化した。
たしかに現代でもCGでは出せない特撮の味わいを求める意見は多いし、子供がのぞきに来たら歓迎してあげる描写は現実の逸話を知った今は過去よりリアルに感じる。ドラえもんのび太が最後に動く宇宙人を肉眼で見るアレンジも、ダメ押しとして効果的。のび太が前回*3を受けたようなダジャレをいったり、ドラえもんが蚊に刺される自分を高級だといったり*4、物語の連続性を感じさせる描写も多い。
ただ、コンテも絵柄もクセが強くて、昭和のアニメを見ているような気分になった。なぜかアップショットが多く、カメラワークでパンを多用し、無人たんさロケットを立体としてていねいに動かす。ジャイアンの体型も原作初期のようななで肩で、違和感があった。

アニメーター志望だった母子家庭の高校生に対して、画材を購入する余裕があるから貧困ではないという保守速報は、今の日本の象徴なのだろう

さすがに、はてなブックマーク*1等では反論する意見も少なくないが、ツイッターでは経済評論家の渡邉哲也氏や石井孝明氏が肯定的に保守速報を紹介していた。

虚偽情報ばかり流布して*2、排外主義や差別主義を利用し、社会の分断をもたらして金銭をかすめとる、そのようなブログの経済における意味とは何だろう。
そしてその保守速報を肯定的にとりあげる経済評論家*3は、いったい貧困を自身の本業でどのように位置づけているのだろうか。


本題にもどってNHKの元記事を見れば、生活環境からして充分に健康的といえないことがわかる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html

小学5年生のときに両親が離婚し、現在は一緒に暮らす母親が働きながら家計を支えていますが、経済的に厳しい状況です。自宅のアパートには冷房はなく、夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き、暑さをしのぐ毎日です。自分の家が経済的に厳しいことについて実感させられたのは、中学時代の授業だったといいます。パソコンを持っていなかったうららさんは、授業で先生に「ダブルクリックして」とか「画面をスクロールさせて」などと言われても、ついていくことができませんでした。母親からは千円ほどのキーボードだけを買ってもらい、一生懸命練習したことは忘れることができない出来事でした。

あらゆる物を持たないのではなく、必要に応じた物が持てない貧困ということもわかる。
さらに貧困によって将来の選択肢がせばまる問題が指摘されており、そこで将来の夢を断念しつつある現状が語られている。

進路を選ぶ3年生の夏を迎えたうららさん。絵が好きで、アニメのキャラクターデザインの仕事に就きたいと、専門学校への進学を希望していましたが、入学金の50万円を工面することが難しく、進学は諦めました。
うららさんは「私はいちばん不幸だなと思った。夢を持っているのになんで目指せないんだろう」と話し、経済的な理由で将来の選択肢が狭まっていくのを感じています。学校の担任から、夢を諦めずにさまざまな技術を学ぶことができる公的な職業技術校への進路を提案され、家計を助けるためには就職か技術校に進むのか今も迷い続けています。

ここで自分の立場と意見をつたえる活動に参加した学生が、貧困を否認する人々に比べて社会の貢献度で劣っているとは思わない。
もちろん、学生に社会に貢献する義務などは本来ない*4。本来ならば、社会こそが学生を支えなければならないはずだ。


そして、このような学生の部屋に物品があふれているといっても、いわゆる高級品は画面に見当たらない。ざっと見るかぎり、処分や整理をするにも費用や労力がかかりそうだ。
高級とされている画材もアナログなペンタイプ。2万円のセットを一度に買ったと確定する情報はなく、少しずつ買いそろえて消耗するたびに補充している可能性もある。むしろ初期費用がかかるデジタル画材ではなく、最終的に高額になっても少しずつ買えるアナログ画材をつかうことこそ貧困の象徴に感じてしまう。
ツイッターを検索してみると、すでに漫画家による同様の指摘があった。

私は知らなかったが、画面に映っているのは有名なコピックよりも廉価なブランドだという。色数も画業を目指すには足りないくらいだという。

もちろん、情報が閉ざされていること自体の貧困といった指摘もされている。


NHKにとりあげられた高校生は、なるほど今日明日に餓死するという貧困ではないだろう。そのような主張はNHKの元記事にもない。
しかし、文化的な貧困ではあり、選択肢をせばめる貧困であり、社会の格差を固定する貧困であるという主張に対して、具体的な批判は見うけられない。
夢を追うため投資していることをもって貧困の訴えを否認し、経済的に豊かとはいえない学生に緊縮をせまるべきだというなら、そのような社会こそが貧しい。
保守速報の経済活動へ加担するごとに、社会の貧しさがあらわになっていく。そうではないと誰がいえるか。