法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『超能力事件クロニクル』ASIOS著

 超常現象を懐疑的に研究する日本の団体ASIOSが、超能力をもつとされた歴史的な人物から現代の著名人までまとめた人物録。

 個々の人物が超能力を発現するまでの簡単なプロフィールから超能力が社会にどのように受容されたか、そして超能力とされた現象への主要な疑問点などをわかりやすくまとめている。
 すべての人物の能力が否定されているわけでもない。他人の疾病を高い確率で指摘する女性などは身体的なサインを読みとっているなら医療に活用できる可能性があると評されたりもしている。


 しかしながら個々の超能力は疑問点もふくめて有名なものばかりで、過去にASIOSの関係者が詳細に批判した事例もある。超能力者への独自インタビューもあるが、ほとんど既存の公開情報を整理しているだけ。
 どちらかといえば超能力を自他が見いだした過程や、社会にどのような影響をあたえたかという記述に興味深いものが多かった。それを目的とした書籍ではないと思うが、時代や地域ごとに分類された超能力者のプロフィールを読むうちに、いくつかの傾向がうかがえるようになる。
 有名な超能力者の多くが詐欺で逮捕されたり裁判で有罪になっているし、自著の記述も説明のつかない矛盾だらけで、誇大妄想的な自己の能力を根拠もなく吹聴したりする。一般人とくらべても信用するべきではない人々ばかりなのに、頭から信奉する人々があつまって応援をはじめる。誇大妄想的な主張が信奉者をあつめてしまった問題として、余命三年時事日記の懲戒請求扇動事件を思い出したりもした。この書籍から読みとれる社会の問題は偽りの超能力にかぎらない。
 同時代の報道で超能力の虚偽が明らかにされた事例も多く紹介されているが、これは同時代から全否定されてもおかしくない超能力者がなぜ今も信奉されているのかという問題と考えるべきだろう。


 誤解をおそれずにいえば、病気の人間を周囲が神輿にして玩具にしている問題も少なくないと感じた。この「病気」という表現は比喩や揶揄ではなく、実際に長期入院などを契機に超能力にめざめたという人物が意外と多いのだ。
 孤独に長期入院をしている人物が超能力をつかえると自称しはじめた時、それを頭から否定するべきとは思わないが、かといって全面的に信用することが相手を尊重することだとも思えない。話を聞いて孤独をいやしながらも治療に専念させるべきではないだろうか。超能力をもつとされ政財界の信奉者をあつめた少女が悲惨な末路をむかえた事例も、環境が超能力者を演じることを要求したように感じられた。
 もちろん周囲が超能力者を利用して詐欺をはたらいているような構図ばかりでもない。子供の重病を治してもらったと思って信奉者になり、効き目のない治療を周囲にひろめて、自身の子供も充分には回復せずに亡くなったような事例もある。宗教や宗派をたちあげた事例も複数あり、オウム真理教事件の原点に当時の一般的なオカルト趣味があったことを類例との比較で実感できた。