法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ひろがるスカイ!プリキュア』第5話 手と手をつないで!私たちの新しい技!

毎晩ソラ・ハレワタールが悪夢を見ているらしい。虹ヶ丘ましろは気になるが、聞けずにいた。一方、長らく動きがなかったカバトンは背広姿で屋台のおでんをつついていたが、何者かに戦いを命じられる……


金月龍之介シリーズ構成の脚本に、前々作シリーズディレクターの土田豊演出、シリーズ初代キャラクターデザインの稲上晃による作画監督という布陣。
もともと今作は、OPで倒れたプリキュアをもうひとりが引っぱりあげる構図や、以前の話数でビル壁を足場にする場面など、シリーズ初代を意識したような描写が多い。そこに今回ふたりのプリキュアが手をつないではなつ必殺技と、結末の手帳に書かれた宣言で、明確にオマージュがささげられた。それをシリーズ初代のキャラクターデザイナーが担当する面白味。
初回から描かれたハレワタールのヒーロー願望と異世界人らしさで気づかなかったが、等身大の少女のキャラクタードラマになっているところも意外な初代らしさがある。今回ようやく組織の存在がうかがえるくらい敵の目標が不明確なこともあって、あくまで災厄のような戦いに巻きこまれた少女たちのドラマとして進行して、世界を救うような大上段のテーマは描かれない。
ハレワタールはヒーローであろうとするキャラクターであってヒーローであるキャラクターではない。葛藤もするし人格もまだ完成していないし、虹ヶ丘を守るべき友達としか見ることができない。それもまた、一般的には優等生でありながらも人格は等身大の少女が戦いに巻きこまれた初代らしさがある。
距離が生まれていたプリキュアふたりがよりをもどして終わり、それを示すモチーフとして手帳がつかわれるところも、シリーズ初代の傑作回を思い出す。その第8話とは、敵のドラマと主人公のドラマが実はあまり関係ないところも似ている。

そうして日常を破壊しかねない大事件が起きているのに、どこまでもふたりの世界で物語を閉じたところが、良い意味でも悪い意味でも百合アニメのようだった。そのためにハレワタールの行動原理のひとつでありつつ戦闘参加には障害となる赤子を、特殊な器具で自由に浮遊するよう設定したあたり、作品の優先順位がよくわかる。


ただ、全体的に物語の要求に映像がこたえられていない感じはあった。横断歩道や別のビルの屋上などでプリキュアふたりに分断ができているという視覚的な暗喩は、もっと精緻なレイアウトのほうがさらに効果的だろう。今回くらいは写真参考をつかっても良かったのではないか。
今回もこのシリーズとしては上位のスタッフ布陣だが、もともと稲上晃はキャラクター作画はかわいくとも二十年前の初代の時点で古臭かったし、実写のようなレイアウトが得意なアニメーターではない。土田豊もそれをおぎなうような演出処理の工夫をするタイプではない印象がある。先述の初代第8話は五十嵐卓哉が演出を担当して、ステンドグラスの光や青空を背景にした逆光など、当時なりの撮影処理の工夫で実写らしい生々しさを作っていたものだ。
必殺技にしても、初代を意識したように手をとりあうまでは良かったが、途中から敵との位置関係がよくわからず、最終的に何をやっているのか自体がわからなくなった。ビーム系の攻撃技ではなく円盤という今作のモチーフに切りかわるまでは理解できたが、何か浄化液らしきものが落ちてくるところが納得しづらい。変身アイテムのような光の点滅を巨大円盤で描写するのはポケモンショック対策で難しいとして、たとえば巨大円盤が高速回転すると扇風機のように風が発生して物品を怪物化している邪気を吹き飛ばす、とか……