法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「せめて、市民の顔をしろ」

五輪辞退をもとめる一部の意見に、水泳選手の池江璃花子氏がツイッターで説明していた。しかし下記は明かな虚偽というしかない。


私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべき事を全うし、応援していただいてる方達の↓
期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。↓

もちろん広告などで活躍しているくらいでは、一選手が開催の決定権をもつとは思えない。
しかし、決定権をもたないことと何もできないこととは違うし、変えられないことと意味がないことも違う。


もし現行の五輪開催に批判したいところがあれば*1、関係者の辞退*2というかたちで意見を表明するのも一手段ではあるし、取材やSNS等で意見をいうだけでも意味はある。
宮本亞門氏「炎上覚悟であえて言います」 東京五輪「日本がNOを!」…TVで発言/芸能/デイリースポーツ online

演出家の宮本亞門氏(63)が28日、日本テレビ系「真相報道バンキシャ!」に生出演。東京オリンピックパラリンピックについて、「日本が中止の意思を表明すべき」ときっぱり語った。

復興五輪「架空だった」…罪悪感抱く宮本亞門さん、IOCや政府を「利己的」と批判 インタビュー詳報:東京新聞 TOKYO Web

 私が出演したテレビ番組では「自分はこの状況で走っていいのか」と苦悩する聖火ランナーが報じられた。IOCや政府の利己的な考えは、「他人のことを思う」という利他的な精神と正反対。国民はその間で心が引き裂かれています。

「国民の意見を無視してまで…」新谷仁美が“アスリートのあり方”に言及。五輪反対デモに「当然のことだと思う」と理解示す | THE DIGEST

「ニュースで拝見しました。これは当然のことだと思う。コロナ関係なく、スポーツに対してネガティブな意見をお持ちの方は当然いる。その人たちの気持ちにどう寄り添っていけるかが重要」とした上で、「国民の意見を無視してまで、競技をするようではアスリートではない」と持論を展開した。

たとえ関係者でなくても、デモ*3や署名のかたちで参加することができる。選挙権をもつ成人であれば、五輪中止や延期をうったえる政党や政治家に投票することはできた。
沈黙するだけでも権力者へ白紙委任状を提出したことになるが*4、今回のツイートは反対の意を表明することを明確に否定している。
反対の意を表明せずに現状の追認を表明したなら、100%の開催責任を負う立場ではありえないにしても、100万分の1%くらいの開催責任はある。民主国家の市民であるということはそういうことだ。


なお、もしも池江氏が現状を追認するしかない立場を強いられているのならば*5、それ自体がひとつの人権侵害だろう。
若い女性だからこそ、意見を上層部にあげられない状態がつづいている可能性も、残念ながら高いとは思っている。
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そして池江氏にかぎらず、一市民でも声をあげられるという自由が無視されたり忘却されているのならば、それは社会全体の問題でもある。
ならば「せめて、市民の顔をさせろ」といわざるをえない。私たち自身のためにも。

*1:開催中止でなくても再延期や、ワクチン接種等の医療優遇の否定など、さまざまな論点をふくむ。

*2:ストライキといいかえてもいいだろう。あわせて、演劇やライブでおこなわれたように、中止した場合の選手をはじめとした関係者への生活保障などを要求する運動なども考えられる。

*3:感染症流行下においては形態に考慮が必要とは思うが。

*4:とはいえ、社会を構成する一員があらゆる社会問題に声をあげる義務を課すと、それはそれでまた別の問題になる。一個人に意見表明をもとめる意見が殺到するとするとすれば、その意見の妥当性とも独立して考えるべきことだ。

*5:この仮定は、実際に意見を表明した主体性を軽視しても良いという意味ではない。