法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

対魔忍ガンディー

非常に興味深い博論の紹介を見かけた。マハトマ・ガンディーの思想の変遷を性的に求めた、とても真面目な博士論文らしい。



紹介されている一橋大学の博論要旨を見たが、私には正確な理解が難しいということがわかった。
一橋大学大学院社会学研究科・社会学部
とはいえ登場するワードを興味本位でながめるだけで楽しく、インドをモチーフにした無責任な伝奇小説の元ネタに使えそうだとも思った。


そして紹介しているDeutschRussisch氏の指摘のとおり、まるで性的欲望の表面的否定でキャラクターを形成するポルノ作品のような印象をおぼえる。


この部分を読んだ時から、エントリタイトルにしたワードが頭にこびりついて離れない。


なお、論文要旨によると、ガンディーの思想は性欲の抑圧でとどまったものではなく、5章以降でまた違う段階へと変遷していくことが語られている。
しかも終章によると、むしろガンディーの性的な思想背景は「間違った迷信化」*1と位置づけられるくらい、すでに知られていることらしい。むしろこの博士論文の眼目は、その「間違った迷信化」こそがガンディーの実践の基礎だったという論証にあるようだ。

換言すれば、この精液に対する「間違った迷信化」無しに、ヒンサーとアヒンサー、女性と男性、ジャイナ教とタントラ思想、若さと老い、同性愛と異性愛、自負と無力さ、宗教と世俗、そして、存在と非存在というあらゆる認識的境界線を絶え間なく再構成しようとするガーンディーの宗教政治の「様々な実験」はいかなる意味でも起こり得なかったのである。

*1:このワードには既視感があるので、あるいはずっと以前に似たような話題を見かけたことがあるのかもしれないが、少なくとも今回の博士論文の紹介ツイートを見るまで完全に忘れていた。