法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

中宮崇氏の『新感染 ファイナル・エクスプレス』評が、あまりにもデタラメすぎる

プロ2ちゃんねらーを称する中宮氏の映画評が、産経を主軸としたWEBメディア「iRONNA」に掲載されていた。すでに多くの批判にさらされている。
はてなブックマーク - ゾンビ映画『新感染』で分かった「ジコチュー」韓国人のリアル
中宮氏は映画作品として高評価しつつ、登場人物の利己的な言動を韓国人固有のものとみなして、読者に安心感を与えようとしている。まるで虚構と現実の区別がつけられていないし、映画の感想としても時代遅れといわざるをえない。
たとえ映画が社会問題を反映しているとしても、登場する悪人だけが制作国の国民性そのものと解釈するべきではあるまい。登場人物には悪人も善人もいるのだから、それぞれが制作者の人間観の誇張や反映と考えるべきだ。
そして自国の国民を風刺していることは、他国に同様の問題がないことを意味しない。


ちなみに中宮氏は意図的に扇動した自覚があるらしく、批判で検索順位が上がったことを喜んでいた。それが「ジコチュー」という自覚はないのか。

明らかにゾンビから逃げてきた人物から車内にゾンビが蔓延した導入を、韓国特有の無賃乗車で悲劇が発生したと解釈する珍妙なツイートもしていた。

ツイッターのような珍妙な解釈は「iRONNA」では抑えているが、たまたま先に映画を観ていた者からすると、やはり最初から最後まで疑問符がつく。


まず最初に中宮氏は韓国映画全般をくさし、その対比で『新感染』をもちあげようとする。

嫌韓流の真実』なんてムックに執筆させてもらったこともある私は正直何も期待していませんでした。どうせ韓国人お得意のパクリにまみれた駄作だろうって高をくくっていました。良い意味で完全に裏切られましたね!

しかし『マンガ嫌韓流の真実!』であれば2005年、『嫌韓流の真実! 場外乱闘編』であれば2006年。日本の漫画を原作とする『オールド・ボーイ*1が世界的な映画祭でも評価され、未解決事件を題材とした捜査サスペンス『殺人の追憶*2や、暗殺部隊の反乱を描いた『シルミド』のような軍事アクション大作など、いくつもの傑作が日本で公開されていた時期だ。韓国映画への見方が十年以上は遅れている。
比べると『新感染』は感想エントリで書いたとおり、良くも悪くもエネルギッシュな作品が目立つ韓国映画にしては、むしろバランスがとれた作品と感じられたものだ。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』 - 法華狼の日記

あまり韓国映画らしい狂気や暴力の過激さはない。ゾンビ映画として特別に設定が斬新というほどでもない。意外なほど全体のバランスがよくとれ、オーソドックスに伏線を回収する、どこまでもシンプルなアクションホラーだった。


つづいて中宮氏は『新感染』で登場人物が異なる見解から争う描写を、韓国の本性だと主張する。

他のゾンビ物と異なり、韓国映画ならではの要素がてんこ盛りです。ざっくり言っちゃえば、韓国社会や韓国人の本性というものをまざまざと見せつけられる映画です。

『新感染』はこれまでの他国のゾンビ映画と比べることさえおこがましいほど、登場人物たちがジコチューで卑劣、邪悪極まりない。平気で他人をだまし、盗み、約束を破り、果ては殺します。

中宮氏は他のゾンビ映画をどれほど見ているのだろうか。
ツイッターを見ると意外と複数のゾンビ作品に言及しており、アニメ化もされた日本のゾンビ漫画『学園黙示録』などでは他人への敵愾心を煽ってすらいた。

しかしゾンビ映画にはくわしくないとも自称しており、生存者同士が協力することが過去は当然だったという見方も示している。

実際は、現代的なゾンビ映画が完成した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッドからして、ゾンビは人間同士の殺戮の触媒に位置づけられていた。同じロメロ監督による、ゾンビ映画がジャンルとして定着した『ゾンビ』では、主人公たちは少人数だけでショッピングモールにたてこもるし、享楽的にゾンビや他人を襲撃する暴走族も中盤に登場する。
近年も、走るゾンビ像が定着した『28日後…』は、ゾンビとの戦いよりも人間同士のいさかいがクライマックスとなった*3。日本でも、『学園黙示録』と同じ監督が制作したTVアニメ『甲鉄城のカバネリ』は、ゾンビを利用した醜い権力争いへと物語が収束していった。
いずれにしても、他人を裏切るような言動や、本当に怖いのはゾンビより人間という観点は『新感染』発ではない。むしろゾンビ映画において普遍的と中宮氏は理解するべきだ。


さすがに登場人物の全てがいがみあうわけではないことは中宮氏も言及しているが、自己の解釈に固執して、不都合な描写を無視している。

はかないながらも唯一の希望は子供たちだけです。

席を譲られた老女は極めて利他的で献身的です。

映画の老女は姉妹で対比的なキャラクター描写がされており、すべての老人が無垢だとは示されていない。列車の乗務員も、事態の進展によって異なる態度をとり、それが群像劇をもりあげる。
中宮氏もツイッターでは男たちも協力していくことは認めている。しかし戦友になるとか同胞だからとか、よくわからない理屈で例外のように位置づけている。

しかし『新感染』で最もたよりになるのは、主人公と対比される、もうひとりの父親だ。映画の描写を見るかぎり、エリート層ではないにしても特に低学歴というわけではなく、すぐに暴力をふるうわけでもない。家族を最も大事にしつつ、最初から利他的で、誇り高くふるまっている。その姿を一種のロールモデルとして、主人公も父親としての人格を形成していく。
対して主人公たちを切りすてる人々も、ただ利己的な考えだけではなく、しばしばより多くを救うという建前にすがりついている。利他的な老女*4たちを排除したがる彼らの言動は、むしろ「ブサヨゴキブリメンヘル」を排外したがる中宮氏に似ている。


最終的に中宮氏は、『新感染』が日本人からも普遍的に楽しめる理由として、浅羽祐樹氏のいうような「韓国化」*5をもちだした。

 恐らく、30年ほど昔の日本社会に生きた当時の日本人にとっては、『新感染』はそれほど楽しめる映画ではなかったでしょう。なぜならその頃までの日本は韓国と違い、平気で他人をだまし、盗み、約束を破るような社会ではなかったからです。『新感染』は極めて現実離れした作品と取られていたことでしょう。

 しかし、ここ最近の日本は違います。格差社会はとどまるところを知らず、若者・現役世代と高齢者の世代間断絶はますます進むばかり。資本家・経営者や親の世代を信じられぬばかりか敵にさえなりかねない。かといって、政府や企業などの組織はそれ以上に信用できない。まさに日本社会の「韓国化」とでも言うべき状態です。

このように中宮氏は、韓国映画を賞賛する口ぶりで過去の日本を賞揚し、現代日本への不満をも韓国への侮蔑へつなげようとする。
念のため、娯楽作品において現実を反映することが義務とまでは思わない*6。しかし物語が現代社会を反映しているという観点においては、問題のまったくない社会を人類がつくったことがない以上、なんらかの社会批判がもりこまれる作品は普遍的に存在すると考えるべきだ。
それとも中宮氏は、今の韓国映画には自国の社会問題に向きあう力があったが、日本映画には過去からそのような力がまったくなかったとでもいうのだろうか。
日本映画が古くから怪物化する設定をとおして現代人の利己主義を風刺していたことを、中宮氏は知らないのだろうか。それとも読者が忘れていることを期待しているのか。

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*1:感想はこちら。『オールド・ボーイ』 - 法華狼の日記

*2:感想はこちら。『殺人の追憶』 - 法華狼の日記

*3:感想はこちら。『28日後…』 - 法華狼の日記

*4:その他者を慈しむ価値観ゆえに、デモ隊という説明で報じられたゾンビ映像には同情もしている。ここは左翼的といっていい。同じくデモという説明を聞いて嫌悪感を示す妹との対比的な描写だ。

*5:浅羽氏による釈明と、実際の使用例を比較したエントリがこちら。「韓国化する日本」という言葉について、タイトルにもちいた浅羽祐樹氏による説明と、実際の使用例の乖離 - 法華狼の日記

*6:ただし、虚構をおくりだしうけとる社会が現実に存在しつづける以上、何らかの現実の反映は意図せずともおこなわれることではある。それゆえに、社会問題から距離をとって虚構に徹するためには、作者はよく社会問題を把握しないと慎重にそぎおとせないと感じることもある。