法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

どれほど遠くから空襲を見ることができたかという証言

海老名香葉子氏の戦時体験記『うしろの正面だあれ』を映画化する時、レイアウトやロケハンを担当した片渕須直氏は悩んだという。
WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第48回 見たことのあるあの山影、あのカタチ

 東京を襲うB‐29は富士山あたりを通って東に向かうので、その進路下に当たる沼津市にも当然、空襲警報が出る。香葉子は防空頭巾をかぶって避難のために香貫山へ登り、そこで東京の方向の空が赤く染まるのを見た、ということになっていた。なので、海軍住宅の背後にこじんまりとそびえ立つ香貫山も、このときの見物の対象になっていたのだった。


 実際に香貫山の山頂から東京方面の空が見えるのか、ということでは悩んだ。あいだにまともに箱根の山塊が立ちふさがっているのだから。

200mにも達しない香貫山から、1400mを超える箱根山をこえて、東京大空襲が目撃できたことになる。
この取材体験は以前にも紹介したが*1、最終的には映像化された。もちろん炎が空に反映したとしても破壊される建物までが見えたとは考えにくく、そうした描写は主人公が見ていないイメージシーンとして処理されていた。


鳥越俊太郎氏が都知事選の出馬会見で語った証言は、懐疑的な意見が噴出していていたが、はるかに空襲との距離が短い。
鳥越俊太郎氏は本当に空襲体験をしたのか? - Togetter

鳥越氏の出身地の福岡県吉井町(現うきは市)は空襲を受けた地域ではないと多方面から指摘されている。

吉井町から北西に15km離れた大刀洗飛行場には空襲があった

地図で確認すればわかるが、うきは市から大刀洗町の間は川をはさみつつ平地がつづいている。軍要地への大規模空襲を見ることができなかったのであれば、それこそ不思議といっていい。
そもそも爆撃機は九州を東から西へ抜けて空襲したので、うきは市の上空をとおったと考えて間違いない。2000年に「ほぼ日刊イトイ新聞」へ寄せていた鳥越証言では、そうした記憶の詳細が語られていた*2
ほぼ日刊イトイ新聞 -3分間で、最近のニュースを知る。

空襲警報で幼稚園から逃げて帰る途中、上空を米機が通過、大人がするのをまねて道の横の小川に飛び込んで伏せていたことや、空襲警報のサイレンの音、いつも首に巻いていた防空ずきんの感触、家の土間に掘ってあった防空ごうの中に入るのが怖かったという思い・・・


こうした著名人だけではなく、疎開先から遠くの空襲を目撃した証言は複数ある。
まず信頼性の高そうな情報として、うきは市疎開した1943年生の人物が遠くの空襲を見たという体験談を、福岡県の事業サイトで見つけた。
70歳現役人を目指して - 御笠青色パトロール隊 窪田 浩二さん

戦時中、浮羽郡吉井町(現・うきは市)に疎開。幼少だったが、遠くに見えた空襲の様子に恐怖を覚えた記憶がある。

句点で区切られているので疎開先以外の場所から空襲を見たという読解も不可能ではないが、だとすれば「もちろん空襲も覚えてます。防空壕に逃げ込んだこともよく記憶しております」*3と場所を特定していない鳥越証言も同様の読解がなされてしかるべきだろう。
また、大刀洗をふくむ一帯への空襲は複数回にわたっておこなわれた。その年表をまとめた個人サイトで、元資料は不明ながら、うきは市も被害にあったかのような記述を見つけた。
http://kurumenmon.com/2ewar/tikugo_sensaijyoukyou.html

4月17日・18日・21日・5月3日・5日・13日・14日 浮羽、小郡、甘木地方一帯を爆撃される。


他に信頼性の高いものとして、徳島県の公式サイトに集められた戦争証言を読んでいると、幼い記憶として遠くの空襲を目撃したという記述が見つかる。
七歳児が遠くから見た徳島大空襲:岸本 宏美:徳島市公式ウェブサイト

 徳島大空襲があった日には、ちょうど、母の従兄妹にあたる西宮市に住んでいるおじさんが来ていました。徳島駅まで直線距離十二・五キロほど離れていたが、おじさんは空襲のことをよく知っていたので気がついたのか、夜中に起こされて、家の前の土手に上がって眉山の方を見ると、焼夷弾が落ちて、途中からまた広がって落ちて行くのがよく見えました。下一面は炎で赤くなり、飛行機も反射で赤く染まって見えるほど低空を飛んでいたように覚えています。

この証言者は空襲警報を何度も聞きながら、遠くの出来事だったので恐怖感がわかなかったという。それでも避難民が実家の軒先に逃げてきたり、空襲後の灰が飛んできたりしたそうだ。
ちなみに鳥越証言に対しては当時5歳という年齢も記憶を疑う理由に数えられていたが、この証言集でも5歳の空襲体験が収録されている。
五才の少女が見た大空襲:坂本 裕子:徳島市公式ウェブサイト


もちろん個別の証言を見ていけば記憶違いがあるかもしれないし、逆に証言しか残っていない空襲が実在していたと判明するかもしれない。
『戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった』 - 法華狼の日記

ガンカメラ映像によって、被害者証言しかない空襲がいくつか裏づけられた。大都市への大規模な空爆ではないためか、市町村史にも残されていない戦争の歴史が、まだ日本にも隠されていたのだ。オーラルヒストリーの重要性がよくわかる。

いずれにせよ、爆撃目標と少しばかり離れていたくらいでは、空襲をおぼえているという証言を疑う理由にはならない。鳥越証言については、むしろ出身地以外にいて初めて疑念が成立するくらいの距離だ。
しかし、いまだに鳥越証言への疑念だけ選択的に維持する人々がいる。一例として、下記エントリにおけるid:nt46氏のコメントを、私の批判とあわせて紹介しよう*4
nt46氏の欺瞞ぶりに、ちょっと引く - 法華狼の日記

redfox氏のtogetterはあくまで"疑念"なので
それで十分とするような認識に対してアホかとか低知能とかいっていたのです。

そうです、貴方は戦中の鳥越氏が15km以上を移動したり、15km以上先の空襲を目撃するようなかたちで記憶する機会もありえなかったという程度の「疑念」に立脚して、アホかとか低知能とかいう評価をしているわけです。
貴方のいう「疑念」とは、“ある時期に交通事故を目撃した”と語った人物について、実際にその時期に近辺で交通事故が起きていたことが明らかになった後も、“本当は目撃していないかもしれない”と根拠なく主張しつづける言いかがりと大差ありません。不可知論に立てば、あらゆる出来事に対して「疑念」を維持することができるというだけの話です。

8月は戦争証言が報じられることが増えると思うが、はたして鳥越証言への要求と同じくらいの疑念がどれほど出てくるだろうか。