1980年の韓国。民主化を要求する学生と軍隊の衝突が起きていたが、とりあえず市民はいつもと変わらぬ生活をつづけていた。
タクシー運転手のカン・ミヌは、客に糞をなすりつけられたり、社長の娘に恋をしながら、運動へ参加した弟を案じている。
そして市民の要求が平和裏にとおるかに見えた矢先、軍隊による本格的な攻撃がはじまった……
2008年の韓国映画。軍事独裁政権による虐殺として知られる光州事件を初めて商業映画化して、韓国で大ヒットしたという。
光州5・18 : 角川映画
虐殺にフォーカスをあてるというより、民主化運動をたたえつつ挫折の痛みを記憶しようとする物語。もちろん平和な空間に弾圧が飛び火してくる問題や、狭い路地を追い立てられる恐怖や、医療活動をも攻撃する軍隊の恐ろしさは描かれている。しかし全体としては、軍事独裁国家に反抗して鎮圧される内戦映画という印象がつよい。
光州へ空挺部隊が向かう冒頭から*1、市街地で殴りあう学生と軍隊、道庁という拠点をめぐる攻防、拘束からの脱出や銃火器の奪取など、民主化運動と鎮圧行動が激化していく流れを見せていく。場面ごとに攻略すべき目標が明確だし、それを映像で充分に表現できている。ひとつの重機関銃で形勢が逆転する場面など、ちゃんと地形的な意味が語られ、激しい着弾という映像表現が説得力を支える。勝てないことを理解しながら市民を指揮する元軍人も、いかにも内戦映画らしい人物造形だ*2。
米国は世界に光州事件を報じたという位置づけだが*3、元軍人が案じたとおり報道だけで終わってしまい、国家間においては黙殺されてしまう。だからこそ結末の、この事件を語りついでほしいと敗走者が願う言葉が、ありきたりであっても印象に残るのだろう。
日本の社会運動と比べて興味深く感じた場面もある。
軍隊は男性だけだが、市民には男女がいる。衝突がおさまった瞬間、こちらには若い女性がいて自由につきあえるぞと市民側が兵士を挑発する。下ネタまで飛び出す。道庁への通路を封鎖する兵士も笑いあい、市民との平和なひとときがおとずれる……かに見えて、その直後に大規模な虐殺がはじまる。
女性をトロフィーのようにあつかう問題や、現場の末端とならば認識を共有できるという楽観。そうした過ちが魅力的ではあると描きつつ、落差の演出として反転させる*4。社会運動の愚かしさの伏線にする。おそらく当時の社会運動にあっただろう過ちを、あえて描いて反省点として位置づける。
史実によりそいつつ現代の視聴にたえる物語をつくる手法としても単純にうまい。この描写があるから、映画全体としては当時の男女観がつらぬかれていても、見ていて許容しやすい。
ところでDVDで見たのだが、本編とまったく関係ない日本版イメージソングが収録されていて困惑した。映画とイメージがあっているわけでもなく、いかにも韓流ドラマのイメージな甘ったるい男声歌唱。主題歌をさしかえるよりは良いと思うしかないか。