法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』

1980年のソウルで、父子家庭で個人タクシーをいとなむキム・サボク。たまった家賃をはらうため、光州への長距離客を横取りすることを思いつく。
アフガン帰りのため、客のドイツ人ユルゲン・ヒンツペーターとの会話も問題ない。しかし光州入りの直前で、高速道路を軍が封鎖していた……


『高地戦』のチャン・フン監督による、2017年の韓国映画光州事件を報道した外国記者とタクシー運転手の実話にもとづき、軍隊による民衆の弾圧を記憶する。
映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』公式サイト

ちょうど10年前に光州事件を内側から描いた映画『光州5・18』も素晴らしかったが*1、外側からかかわる今作も完成度が高かった。見比べると相補的に事態が理解しやすくなるし*2、同じ情景を違った角度で再現している面白味もある。
約40年前という中途半端な過去の風景再現にも気を配っている。群衆の誰もが当時らしい服装に見えるし、こじんまりとした3ボックスカーばかりが道路を走る。駐車場に当時のタクシーがずらっとならぶ風景が地味にすごい。VFXを併用した空撮も雰囲気を壊さない。その微妙な再現が入念だから、時代の変化が実感できる。
アクションシーンも迫真的で充実しているし、娯楽的な快楽を生まない慎重さがある。市民に対する銃撃は、破壊の派手さで興奮させるのではなく、物体が弾ける描写で痛みを表現。予告映像の1分目から確認できる、煙幕のなかを兵士が進んでくる情景など、アニメ映画『人狼 JIN-ROH』を思わせて、韓国での実写化の期待が高まった。
ただひとつ、最後の最後に主人公を助けるカーチェイスだけは娯楽的カタルシスにあふれていて、必ずしも観客の評価は高くないのだが、フィクションがリアルをねじふせる爽快感もたしかにあった。


物語は、社会運動と距離をとって利己的にふるまう主人公にはじまり、笑いをまじえながら悪化する事態で後戻りできなくさせていき、かろうじて脱出できる局面にいたれば社会運動に共感する気持ちが育まれている……そんな定番の構成を、ていねいに押さえている。
それでいて、あくまでタクシー運転手個人のドラマとして完成している。光州事件のいくつかの局面にかかわるが、どれも巻きこまれた市井の一個人として無理のない範囲にとどまる。事態の全体像を個人で把握できないことが、事件を報道する意義に説得力をもたらす。
また、主人公の利己性を限界まで引き出しているおかげで、メッセージの押しつけがましさがない。暴力的な弾圧を目撃する局面になっても距離をとりつづけ、ぎりぎりまでギャグ演出で茶化しつづける。それがシャレにならない事態と理解させるために、ていねいに描写を重ねて実感させようとする。
同じ状況を違う局面でくりかえすことで、どのように状況が悪化しているかを表現する対比もよくできていた。タクシーがUターンする意味が、ドラマにおいて180度変わる。主人公の逃亡を失敗させた病院も、後半では虐殺の痛みをつきつける。とある人物の痛々しい姿に、いやおうなく小林多喜二を思い出した。
そして主人公はタクシー運転手として成長していく。タクシーとは、個人を自由な場所へ運ぶ仕事であり、いわば市民の靴になること。だから主人公は次の世代が歩みつづけるように、祈るように靴をはかせてやるのだ。


ちなみに、映画公開後に判明した現実のタクシー運転手は、映画の主人公像とは全く異なる。しかし、それが作品の瑕疵になっていない。むしろ願いを現実化させた映画の力に、驚きと救いを感じる。
『タクシー運転手』キム・サボク氏の長男「本当の父の姿を知らせたい」 : 政治•社会 : hankyoreh japan
同時に、現実に近い主人公像で映画化しても良さそうだな、とも感じた。エリートなタクシー運転手で、外信記者が得意客なインテリが、コンビの記者と一大事件に直面してクールな感情をゆりうごかされる……これはこれでおもしろい。

*1:『光州5・18』 - 法華狼の日記

*2:今回の映画で台詞だけで語られる出来事が、『光州5・18』ではひとつの象徴的な転換点に位置づけられている。そもそも『光州5・18』で主人公がタクシー運転手だった意味が、今回の映画および関連報道ではじめて理解できた。