法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「テロに屈するな」と主張して、なぜ「ハルノート」を拒絶できるのか

現在、次世代の党の副代表をつとめる田母神俊雄氏が、1月22日づけで、下記のようなブログエントリをあげていた。
イスラム国日本人拉致事件に思う | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

テロには絶対に屈してはならない。

日本国民を1人でも拉致したら、犯人を地の果てまで追いかけても殺害するという国家の強い意志が明示されることが必要である。それが日本人に対するテロを未然に抑止するのだ。

そもそも北朝鮮に拉致された人数だけなら、日本人より韓国人が多い。その一点だけでも、「テロに屈するな」という原則の効果を疑問視できてしまう内容だ。
しかし今回に問いたいのは、田母神氏のような人物が何をテロとみなしているかということ。


かつて航空幕僚長だった田母神氏は、懸賞論文に応募して最優秀賞をとったことがある。その内容は、太平洋戦争で敗北するまでの日本を正当化しようとするものだった。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
簡単に要約すれば、日本軍による張作霖暗殺事件も、米国が日本へつきつけたハルノートも、全てコミンテルンの陰謀によるものだという*1

1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

フランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。

そしてハルノートを受けいれても要求が厳しくなることを想像し、日本が戦ったことを正当化した*2

日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。

「テロには絶対に屈してはならない」のならば、大日本帝国に対して最後通牒がつきつけられるのは当然だろう。さらに厳しい要求を米国がおこなったとしても、田母神氏の論理ならば当然のふるまいであって、コミンテルンが批判されるいわれはない。
だからこそ田母神氏のような人物は薄弱な根拠に飛びつき、大日本帝国がテロ国家でなかったという前提を導入しようとする。そうして「ハルノート」を拒絶しつつ「テロに屈するな」と同時に主張する恣意性から逃れようとする。
しかし大日本帝国はテロ国家でないといえるだろうか。そのような基準で何をテロとみなせるだろうか。


原則が正しいと仮定しても、原則の適用は対応の正しさを保証しない。むしろ原則的であるほど、恣意的な適用をすれば恣意的な対応へとむすびつく。
たとえ国家の、それも民主政権の軍事行動であったとしても、暴力がテロにならない充分条件ではない。そもそもテロリズムとは革命政権による恐怖政治を指すものではなかったか*3
少なくとも暴力という手段をもって対応するかぎり、屈するべきでないテロなのか、検討をくりかえさなければならない。つまり暴力で応じるかぎり、「テロに屈するな」という原則は「原則」として成立しない。
そして「テロに屈するな」という原則において暴力をもちいなかったとしても、原則が「原則」として成立しうるというだけであり、依然として何をテロとみなすかは問われなければならない。

*1:それぞれ2頁、6頁。その陰謀論としての完成度は、あの雑誌『Will』に秦郁彦批判が掲載されるレベルということからしても、おして知るべし。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090306/p1

*2:6〜7頁。

*3:https://kotobank.jp/word/%E6%81%90%E6%80%96%E6%94%BF%E6%B2%BB-53022