法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

国防について万が一の可能性を考慮するのは当然だ

「都市型社会と防衛論争」 - Apeman’s diary
上記エントリから連想した一般論だが、他国が侵略してくる可能性を考慮することと、軍備を増強することの間には、大きな開きがある。
「万が一の可能性」を根拠にして軍備の必要性を主張する者が、他方で軍隊が不利益をもたらす「万が一の可能性」は考慮せず、ともすれば軍事力が暴走する可能性について指摘する者を揶揄する光景は、そう珍しいものではない
現在の日本でも、たとえば田母神元航空幕僚長を生んだ自衛隊の状況や、イラク戦争における駆け付け警護の意図を表明した政治家の存在くらい、考慮に入れるのは当然だろう。


現実主義を目指すなら、「万が一」という言葉は、「万が一」ほどにも対価を支払う必要がない問題に限って用いるべきだろう。もしくは、様々な「万が一」があることを念頭に置かなくてはならない。
軍備にはコストもかかればリスクもある。おそらく他国の侵略と同程度な可能性しかない軍事クーデターというリスクから、他国とのつきあいで戦争にかかわるような可能性高いリスクまである。実際、もし自衛隊に対する様々な縛りがなければ、イラク戦争に現状より深く巻き込まれたことは確実だろう。


なお、思想の発露として「万が一」を主張するのは自由だし、はっきり許容されるべきだと思う。それは現実主義ではなく、どちらかといえば文学表現の領域だが。